『たまごの祈り』⑪

 大学に着くと、並木道沿いのベンチに柳が座っていた。もうすっかり木の葉は落ちて、踏みしめる地面はぱりぱりと乾いた音を立てた。大学で彼の姿を見るのは珍しいなと思って、ベンチのほうに近づいていくと、柳がこちらに気づいて控えめに手を振った。寒そうに背中を丸めながら手を振る柳が、ちいさな優しい動物みたいだったので、私はちょっと笑ってしまった。柳は、隣に座りなよ、というふうに、ベンチのあいている席を左手でぽんぽんと軽く叩いた。
「これ、あげるよ」
 そう言いながら、柳はシンプルな黒のリュックからあたたかい缶コーヒーを手に取り、私に差し出した。
「そこの自販機で当たったんだ。適当にボタン押したら、出てきたのがこれだったから」
 おれ、ブラック飲めないからさ、ちょうどよかった、と言って、いつものくしゃりとした顔で柳は笑った。ありがとう、と言ってコーヒーを受け取り、私は柳のとなりに座った。柳はあたたかいミルクティーを飲んでいた。
「悪い気もしてるんだ。急な話だったし、引っ越しって手間もかかるだろ?」
 飲みかけのミルクティーの缶を大切そうに両手で持ちながら、柳はとても申し訳なさそうに言った。私が本当にあっさりと引っ越しを決めてしまったので、今になって心配しているようだった。
「気にしなくていいのに」
「そういうわけにもいかない気がしてきちゃってさ」
「私は、引っ越した方がいいことばっかだし大丈夫だけどな。心配するなら、一緒に住むはずだったひとのことを心配しなよ」
 あの日河原にいた女のひとのことを思い出しながら、なんとなく私は言った。声に出してから、すこし意地悪な質問だっただろうかと、自分が急に恥ずかしくなって、もらった缶コーヒーをぎゅうと握りしめた。
「透子さんのこと?彼女のことならたぶん、大丈夫だと思うんだけど・・・なんというか、変にたくましいひとなんだ」
 柳は自然のままなのに綺麗なかたちの眉を下げながら、ふっと息を吐くようにして笑った。一緒に住むはずだった人が女のひとだったことを隠さなかったことに、私はすこし驚いた。
「付き合ってたの?その人と」
 訊かないのもなんだかもやもやする気がして、缶コーヒーを開けながら、慎重に何でもないような声をつくって訊いてみた。疑問とともにふわりと吐き出された息は白く濁った。冬の外気に触れた耳が冷たかった。
「そういうんじゃないんだ」
 柳はじっと前を見つめて、両手で持つには少しだけ大きすぎるほどの重たい石を地面に置くように、しっかりとした口調でそう言った。

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