『たまごの祈り』㊳

「伊田は?おれに話したいこととかないの?」
「うーん、話したいこと、何だろう」
「お鍋の日にちょっとだけ話した、夢の話、あれってきいても構わない?」
「ああ、あれはきっと、たいしたことはないの」
「でも、とても辛そうだったよ、ちょっと話しただけで」
「うん、そうだね、なんだろう、昔の夢を見てたの」
「昔というと、どのくらい昔?」
「私が幼稚園児くらいのときの、小さい頃の夢なの」
「うん」
「私、なんだろう、知らない男の人にね、襲われたというか、そこまでではないけど、怖いことをされたの」
「・・・それは、ひどいね」
「うん、なんというか、そこから、男の人が怖いときがあって」
「そうなんだ、知らなかった、ごめんね、気になってたから、訊いちゃって」
「ううん、いいの、話そうと思ってたことだし。それに、柳は怖くないから」
「それも不思議だね」
「なんだろうな、柳はこう、ぎらぎらしたいやな感じがしないから」
「ふーむ、なるほどなあ」
「とにかく、怖くないの。一緒にいてストレスもないし」
「そっか、ならいいんだ。よかった。無理をさせてしまっているわけではないんだね」
「なんでだろうね、不思議だよね」
「そうだね、でも、伊田にとって、おれが悪いものではないなら、いいんだ」
「うん、悪いとか思ったこと、ない。なんか安心感があるよね、柳って」
「そっか、なんかありがとう。うん。そうだな。じゃあ、おれ、これでよかったな、すごく」
「どういうこと?」
「たぶん、なんとなくだけど、おれはおれの性質をもって生まれたから、こうして気兼ねなく伊田と暮らせるってことだ。これはとてもいいことだよ」
「そっか。そうかもね」
「正直、生きてていやな部分もたくさん見えるし、いやな考えも持つときあるんだ。おれ、人とはちがう部分があるから。でも、それで伊田と暮らせたり、普通に美味しく飯食えたりするなら、それっていいことなのかもな」
「そっか、なんかありがと」
「うん、こちらこそ。おれ、今の生活が好きなんだ。すごく」
 そう言った柳の、満足そうな微笑みは、この世でいちばん優しいものに思えた。気づけばたまごを生み出す手はすっかり止まっていた。もう遅いし寝ようか、ありがとう、と言って自室に戻る柳の背中を見て、私たちは無根拠にだいじょうぶだと思えた。それはこっくりと深い夜だった。

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