『たまごの祈り』㊲

 話をしながら、たまごの彫刻を実際に作って見せて欲しい、と柳が言うので、柳を私の部屋に招き入れた。柳が私の部屋にしっかりと足を踏み入れるのはこれが初めてだった。
「今日話すことは、隠し事なしの真剣勝負にしよう」
 たまごになる前の木片を興味深く見つめながら、柳が言った。
「おれ、一緒に暮らしていくんだから、ちゃんと伊田と向き合うべきだと思ったんだ」
 もっと早くこうして話すべきだったのかもしれない、と言いながら、悲しそうに前髪を垂らす柳は、いつになく澄んだ空気をまとっていた。私は、うん、わかった、と言いながら、綺麗なたまごを生み出すために、できる限り繊細に、指先を動かした。
「これから、とても変な話をすると思うんだけど、いいかな」
「うん」
「気分を害すようなら、止めてくれて構わないから、大丈夫なところまで、作業をしながらでいいからきいてほしい」
「いいよ、話して」
「おれ、伊田がつくるたまごの彫刻、ほんとうに特別だと思ってるんだ」
「えっと、ありがとう」
「うん。作品としてとても綺麗だし、もっと多くの人に見て欲しいと、本気で思うよ。おれ、伊田から貰ったたまごの写真撮ったりしてるんだ。恥ずかしいから言ってなかったけど」
「うん。なんか照れるね」
「それくらいすごいと思ってるんだ。まず、それを知っておいてほしい。でも、おれが伊田の彫刻に興味を持ったのは、より個人的な理由が他にあるんだ。あまり人に話したことはないし、自分でも整理ができていないから、とても説明しづらいんだけど」
「個人的な理由?」
「そうなんだ、気持ち悪いかもしれないし、馬鹿にしてくれても構わないから、あくまで受け止め方は自由にして、なんとなくきいてほしいんだけど」
「いいよ、話してみなよ」
「おれ、なんていうか、普通じゃないんだ、平たく言うと、その、女性と、関係を持てないんだ。透子さんから何かきいてるかもしれないけど」
 この話には、別段驚きはなかった。柳というひとから、なんとなくそのような感じがしていたからだ。柳といると感じる安心感は、もしかしたらそういった性質からきているのかもしれなかった。私は紙やすりに手を伸ばした。
「透子、柳に手を出されなかったの、ちょっと怒ってたよ」
「そんなことまで話したの?」
「うん、柳と、ホテルに行ったら逃げられたって」
「参ったな、あれは、ああするほかになかったんだよな」
「どうして逃げちゃったの?その、そういうことが、できないから?」
 無作為に散らばった木くずをなんとなく集めながら、私は訊ねた。
「そうだね。簡単に言うとそうなるかもしれない」
 柳はしばらく考え込む姿勢に入って、黙り込んだ。私は丁寧にたまごの表面を磨いた。ひとつ、またひとつ、私の手からたまごが生み出された。
「あの日は、透子さんとの写真撮影の打ち合わせで飲み会みたいなものがあって、新しいことが始められると思うとおれ、嬉しくって、とても酔っ払ってて」
「うん」
「男女の付き合いとかそういった意味合いは何もなく、ただ撮影のために一緒に住みましょうって話になったのも、確かあのときだったと思う。でも、今思えば透子さん、自信家だから何とかして、ずっとおれのこと落とそうとしてたみたいで」
「うん、透子から少しきいた」
「一緒に住むことを容認する相手を落とせないわけないと思ったんだろうね。普通だったら、多かれ少なかれ下心みたいなものがあるのかもしれないけど、おれ、ほんとに全くそういう感情がなくて」
「うん」
「透子さんと同じ方向に歩いてたら、道端で体調が悪いって言いながら急にうずくまって動かなくなって、近くのホテルで休むって言ってきかなかったんだ」
「それでついて行ったの?」
「本当に体調が悪そうでとても心配だったし、おれはすぐに帰りますからって言って、部屋まで送り届けるだけで帰ろうとしたんだ、そしたらさ、部屋に引き込まれて、いきなり抱きつかれて、帰らないでって泣かれたんだ、今まで生きてきてそんなことされたこと一度もなくて、気が動転しちゃって、おれ」
「うん」
「帰らないそぶりを見せて、隙をみて逃げようと思って、先にシャワー浴びて、透子さんがシャワー室に行った隙に、宿泊代だけ置いて逃げるように部屋を出たんだ」
「なんかドラマみたいだね」
「自分でもびっくりしてるよ。彼女には、おれにそんなつもりがなかったとしても、思わせぶりな言動をして申し訳なかったと思ってはいるんだ」
「まあ、怒ってたからね」
「かといって、おれは透子さんを抱くことはできない」
「それは、どうしてなの?なにか、理由があるの?」
 柳は、すこし困ったように笑って、どう言っていいかわからないけど、と前置きして、私が作り終えたたまごをひとつ手に取り、つやつやの表面を撫でながら、答えた。
「使い物にならないんだ、おれの性器、女性と対面したときに」
「へえ、そうなの」
「そう、全く反応しないんだ。なぜだかわからないし、いつからなのかもわからない」
「そっか」
「女性が嫌いとかそういうんじゃない。女性で尊敬できる人はたくさんいるよ。でも、深い交際ができないんだ。普通のお付き合いというか、そういうのはあまり」
「なるほど」
「その上、これは本当になぜだかわからないんだけど」
「うん」
「おれ、卵にだけは反応するんだ」
「卵?」
「そう。スーパーで売ってるような、いわゆる卵」
「卵・・・」
「本当に理由はわからない。おかしいと気づいたのは中学生のときで、何が原因かもわからないんだ」
 私の目の前にはみっつのたまごが生み出されていた。そのうちのひとつを手に取りながら、でもね、と柳は続けた。
「でも、これは違ったんだ。伊田のつくったたまごには、簡単に言うと、反応しないんだ。いや、なんていうか、何かが悪いとかそういうんじゃなくて」
「うん」
「なんだろうな、神秘的で、作品として見れるっていうか」
「うん、なんか、ありがとう」
「普通の卵と形は変わらないのに、こういうこともあるんだって、なんか、発見があったというか、希望が持てたというか」
「なるほど」
「ごめんね、急にこんな話して」
「いいよ、変なこと訊いたのは私だし」
「なんていうか、そんなわけだから、おれ、伊田のことなんていうかその、下心とか変な目でみたりはしないから、安心してほしい」
「うん、ありがとう」
「話をきいておれのこと気持ち悪いと思うなら、出て行ってくれてもいいんだ、この家から。おれが出て行ってもいいし」
「そんな、私は全然、むしろちゃんと話きけてよかったと思ってるよ」
 だからあなたはへんに不幸にならないで、と、私のちいさな心はつぶやいた。柳は、よかった、ありがとう、おれ、どうしようかと思った、と言いながら、気の抜けたように笑った。

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