『たまごの祈り』㉛

「由香里さんって、直也くんの恋人?」
 目の前に置かれた暖かいカルボナーラをくるくるとフォークに巻き付けながら、私は
柳に尋ねた。
「うん。おれたちの高校の同級生なんだ。あいつら、ほんとに別れちゃったのかなあ」
 もっと相談してくれてもよかったのに、と言いながら、柳は暖かく湯気の立つトマトクリームパスタに目を落とした。伏し目がちの目元に重たい睫毛が垂れ、私は、悩んでいるときの柳はずるいなあと勝手に思ったりした。考え込んでいるときに人を惹きつける不思議な美しさが、柳にはあった。店内を照らすオレンジの照明は、より彼を美しくさせた。
「おれ、デートに付き添わされたことだってあるのになあ、カメラ持って横浜の繁華街連れて行かれてさ。お前は専属のカメラマンだ!って言われて、一日中二人に連れ回されて。立ち寄った手相占いの店でさ、『苦労人の線があります』とか言われちゃってさ、おれ」
 まあ楽しかったからいいんだけどね、と言いながら柳は笑った。思ったより楽しそうに昔の話をしてくれているので、私は少しほっとした。私は、美しいからといって永遠に不安そうな柳を見たいわけではなかった。
「すごく仲良しだったんだね」
「うん。その時もめっちゃ楽しそうでさ。すげえお似合いだったのに、なんで別れちゃったんだろ」
 まあ、あいつが話したくないなら仕方ないよな、と言って、パスタを食べることに集中した柳は、これすげー美味い、と言いながら口の端にクリームをつけて無邪気にそれを食べた。
柳はとても美味しそうに食べ物を食べる才能があった。私は柳が何かを食べているところがとても好きだった。食卓を共にしても、無闇に話さなくても心地いい距離感が、柳との間にはあって、私はその場所にすぐ甘えて自由に呼吸をすることができた。私はその自由な呼吸を愛していた。しかし、それを愛すると同時に、自由に甘やかされることへの恐怖から、私の精神は度々過呼吸みたいになった。私は目の前の人間のために時折ひどく混乱していた。
 食前にお持ちされた私のアイスコーヒーは、ひとくちも手を付けられることのないまま、撥水性の赤いチェックのテーブルクロスにすっかりと水たまりを作っていた。半分くらい飲みすすめられた柳のミルクティーフロートは、バニラアイスが溶け出して、この世でいちばん甘い飲み物みたいだった。店内は暖房が効きすぎていて、気づかないうちに私はとても喉が渇いてしまっていた。手に取ったアイスコーヒーは冷たく私の中を通り過ぎていくだけで、いつまでも喉は渇いたままだった。

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