『たまごの祈り』㊸

 私が半分ほど紅茶を飲んでテーブルにカップを置いたとき、今村くんが突然口を開いた。
「そうだ、俺さ、直也って奴にも会いたかったけど、伊田さんに会えるのもすげー楽しみにしてたんだ。伊田さんが作ったやつの写真、柳さんが撮ったやつ、あれこないだユカちゃんに見せて貰ったんだよね」
 これまで海外に行っていた今村という人が私に会いたかったなどというのに驚いたし、私が作ったものを知っているということにも驚いた。柳は由香里さんに、同居人である私のことを説明するとき、私のつくったたまごの写真を送っていたのだということだった。それを今村くんが見て、私に興味を持ったらしい。
「せっかくだから、伊田さんに、俺が作ったものも見て欲しいと思って、これ、写真しかないんだけど」
 今村くんがリュックから二冊ほどのアルバムを取り出した。
 まず、彼自身の作品が写真として現像してあって、アルバムに綴じてあるということに興味を持った。その上で、今村くんも物を作ったりする人間なのだという事実に圧倒された。私は、物をつくるということはもっと孤独そうな人間のすることだと、思い込んでいる節があった。今村くんは私がこれまで関わってきた、絵の上手い人や手先の器用な人たちの、誰よりも陽のエネルギーに満ちている人間に思えた。
 それは、たくさんの手だった。
 一枚いちまいが人の手を粘土のような物で作った作品の写真で、それぞれに付箋が貼ってあった。「シヅさん、得意料理:おひたし」「ナンさん、好物:ラッシー」「駅前のおっちゃん、特技:十円拾うこと」「キョウコちゃん、得意科目:世界史」というようなメモ書きが、もれなく写真についていた。それらは、私が人生で、これまでに見たことのないものたちだった。肘から上ほどの腕が地面から伸び、慈しむような掌を天井にのばす、様々なかたちの、人々の手が、そこには写されていた。
「出会った人たちの、手をつくってるんだ」
 そう言って今村くんはすっかりつめたくなってチーズの固まったピザを食べ、とても幸せそうに笑った。

 一緒に二人展みたいなのやろうよ、新宿とか下北あたりでさ。
 風に吹かれた綿毛のように軽々しく、それでいて尊く言い放った今村くんに、私は怖じ気づいた。
 ちょっと考えさせてください。
 なんて可愛げのない低いかすれた声だっただろう。心の奥底から滲んでくる、あたたかい波を落ち着けるように、こんな風に報われるはずはないと閉じ込めてきた私を、戒めるように、でも、この機会を失いたくはない気持ちを隠しきれずに、恥ずかしい私は、こんなぬるい返事をしてしまった。
「おれはいいと思うけどな、二人展。伊田のつくったものが広い空間に並んでるの、おれ観てみたい」
 私より熱の入った口調で、綺麗な瞳で楽しそうに言う柳を見て、じゃあ私の代わりに柳がやればいいのに、と思った。愛用しているマグカップは、どれだけ洗っても茶渋が取れなかった。
「伊田がやりたいと少しでも思うなら、やってみなよ」
「どうなんだろう、私、純粋に自信ないな」
「それでもさ、やってみたらすっきりするかもよ、何もやんないよりは」
「それはそうかもしれないけど・・・」
「おれと初めて会ったとき、露店で売ってたときも、買っていった人いたんでしょ?」
「そうだね、何人かは」
「じゃあさ、伊田の作品には価値があるってことだよ、やってみなよ」
 私が洗った食器の泡を流してくれる柳のすべすべの手を見て、今村くんなら柳の手をどう創るのだろうとぼんやり考えた。透明の水は柳の手をさらさらにすべり落ちた。
「柳は」
 気づいたら私は柳の名前を呟いていた。何かが訊きたい気がしたが、それが何なのかはわからなかった。何かを尋ねようとしたことを知られるのがこわくて、私は取り繕うように続けた。
「紅茶、つくったら飲む?」
 ひねられた蛇口がきゅっと音を立てた。
「飲む、砂糖とミルクたっぷりのやつ」
 そう言った柳の純真さが眩しすぎて、砂糖とミルクは柳のためにあると思った。
紅茶を飲みながら、プランターを埋めるための苗を買い忘れていたことを、私は思い出した。

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