俯瞰少女と概念教授

「こういうことを言うから,◯◯な人間だと思わちゃうんですよね?」
が口癖の大学院生が研究室にいる.その発言自体は,特に誰かに対して,嫌味な感じを与えていることはなさそうである.

例えば,研究室の流しに洗っていないガラス器具が放置された時に,彼女がやったものでもないのに,洗って乾燥機に戻たりする.
これに「えらいね」と褒めると.
「ついでだったので,やっただけで,余裕がなければやらないし,やりたくないなと思ってたら,やらないので,ただそれだけです.」
と返された.

すると,彼女は即座に,
「こういうことをいうから,ドライな人間だと思われるんですよね」
さらに,矢継ぎ早にこう続ける.
「私,こうやって俯瞰する癖があるんですよね」
で締めくくる.

はたして,これは俯瞰なのだろうか?
自ら自分に対する客観的な評価を下す.でも,本当は他人はそれぞれ彼女に対して,やっぱり「優しい」という意見もあるだろうし,「照れ屋さんだ」などと思う可能性もあり,十人十色である.
むしろ普段の彼女を見てきたところを重ねて下す判断がそれぞれ現れる.

だから,彼女の俯瞰は,ホントの意味での俯瞰ではなくて,彼女がバーチャルに作り出した他人が下す"仮想的な俯瞰"でしかない.

つまり俯瞰風である.

彼女が矢継ぎ早に畳み掛ける"俯瞰風コメント"は,彼女が自分のことに対して,客観的な判断を下そうとする口をふさぎ,彼女の描く自分像を押し付けているようにすら思える.

一方で,この研究室には概念教授というのがいる.教授は,理学博士だけあって,定義に対するこだわりが強く,様々な抽象概念を明確化しようとする癖がある.

俯瞰少女が軽い気持ちで「まじ,ウケる〜草」とでも言おうものなら,
「そのウケるって何?」「そのウケるってどういう概念なの?」
などとウケるの概念を突き詰めて,再定義しようとする.ひいては,相手に自分の知っている「ウケる」の概念を相手に押し付けようとしている印象すら覚える.(実際にはそのようなことはないが.)

50代の教授からしてみれば,「ウケる」とは,落語や漫才で言われる意味では,意図的に生み出される緊張と緩和が生じたことによっておこる不協和と不条理に対して,ついクスッと,時には大笑いしてしまう避けがたい生理現象を意味しているのだろう.

一方で,俯瞰少女は,ちょっと興味をそそること,エモいというほどではないが,あるい程度理解可能な範囲でのちょっとした違和感のある発言や現象に対して感じた違和感をカジュアルに「ウケる」と表現する.

概念教授は,この「ウケる」の用法の違いに対する違和感を理解できず,違和感に耐えきれず,その異なる概念感の隙間をなんとしても埋め,理解の違いを即座に解消しようとする.その姿,「その概念は何なの?」と問い正そうとする風景が,うちの研究室では頻発する.

この状況こそ,私にとっては,「ウケる」状況である.

このとき,あまりに,ウケてしまい,
私はうっかり,「概念おじさんだ!」と失言をいたしてしまった.
研究室は爆笑に包まれたが,完全なる失言だった.
概念教授は,はっきりと「ムカつく!」といってた.
それ以来,教授のあだ名は「概念」になってしまった.

こういうことをいってしまうから
「うかつな人間だと思われちゃうんだよな」
と私は俯瞰した.

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