今日はどこまで

仕事でもプライベートでもタクシーに乗る機会が多い。

東京時代、コロナが流行り始めたこともあり、タクシー通勤が奨励されていた。行きは電車、帰りはタクシーの通勤が多くなった。30分程の通勤なのにタクシーを使ってしまうのは些か罪悪感があったが、「別にええよ」とタクシーチケットをもらったので、開き直ることにする。
夜の首都高をタクシーが走っていく。流れる東京タワーを眺めながら音楽を聴くのは、なんだか最高の贅沢をしているような気分になった。

運転手から話しかけられることも少なくない。
どんな仕事をしているのか聞かれたこともあったし、どんな有名人を乗せたことがある、という話を聞いたこともあった。「堂本光一くんを乗せたことがある」と言われた時には流石に前傾姿勢になった。コンプラ的にはちょっと問題があるように思ったけれど。

去年の夏、沖縄に出張に行った時にタクシーを毎日使ったが、全ての運転手さんに「どこの方ですか?」と聞かれた。沖縄の運転手さんは面白い人が多かった気がする。
初日に空港からホテルまで送ってくれた運転手さんと、最終日にホテルから職場まで送ってくれた運転手さんが奇跡的に同じだった。
「若い人からお金をたくさん取るのは嫌だからね、この辺でメーター止めとくね」と笑われた。会社の経費だからいいんですよ、とはいえなかった。

大学時代に東北に旅行に行った時、バスの遅れで最終電車に乗り遅れて、泣く泣くタクシーに乗ったこともあった。片道一万円。友達と二人で良かった、と心の底から思った。
その時の運転手さんもとても優しくて、銀行がないからとコンビニに連れて行ってくれ、観光で来たと伝えるとサイトに載っていないようなスポットに連れて行ってくれ、宮沢賢治童話村に降りた間はメーターを止めて待ってくれていた。友達は寝てしまっていたけれど、東北の震災の時の話をしてくれたりもした。東北訛りも、一時間経ったくらいにはなんとなく聞き取れるようになったものだ。

地元に戻ってきた今も割とタクシーに乗る。
勿体ない、とよく言われるが、なんとなくタクシーに乗ること自体が好きなので、別に痛い出費とは思っていなかったりする。
先日仕事でタクシーに1時間弱乗車した。運転手さんは、カーナビの操作もおぼつかないおじいちゃんだった。「もうすぐ御堂筋がスクランブル交差点になるらしい」という情報を教えてもらう。「何を目指してるんでしょうね」と、変に尖った返事をしてしまった。
降りる時、お釣りを400円ほど多く手渡された。間違っている、と伝えようとすると、そのまま握らされる。
「なんかあったかいもんでもコンビニで買っておいで」と微笑まれた。

私の祖父は二人とももういない。きっとお孫さんと私を重ねたりしたんだろうか、と思いながら、なんだかなんともいえない気持ちになった。
もらった小銭で暖かいほうじ茶を買い、それを流し込む。あたたか〜い、と抜かす割に普通にぬるかった。

首都高を走るのも、東シナ海を眺めながら走るのも、地元の道を走るのも、どれも等しく好きだ。正しくは走ってもらうのも、だが。
ただ仕事帰りにタクシーに乗るのは、今は終電と終バスを逃したということに他ならない。程々にしよう、と自戒しながら、今日ものろのろと仕事の準備を始めるのだ。

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