縁が目に見えれば

今年の春から一人暮らしを始めた。
始めたというか、しないといけない境遇に立たされたと言った方が正しい。社会人とはそういうものである。

来期から東京で働いてくれ、と内示を受けてから三週間後には東京にいた。
好きな作品の舞台だからという理由で、住む街はすぐに決まった。職場までドアトゥドアで一時間。決して近いとは言えないけれど、その通勤時間が苦にならない程心満たされる生活を送っている。

内見の時、ほとんど直感で決めた部屋。クソ狭いキッチンの代償に、最高の防音性と広いお風呂を手に入れた。
その街に二年前から住んでいる高校の同級生に部屋を決めた事を告げると、同じマンションに住んでいると返事があった。流石に運命と言わざるを得なかった。

彼女とは高校のソフトボール部のマネージャーとして、三年間を共に過ごしてきた。
まだそこまで仲が良くなかった一年生の夏、四泊五日の合宿があった。選手が練習に向かった後、我々は洗濯やら後片付けやらを済ませる。トイレに向かうと、先に彼女が入っていた。
ウォシュレットを使おうとボタンを押す。すると、前の個室から「エッ、エッ?」と焦った声がした。血便でも出たのかと思って声をかけると、彼女は酷く狼狽えた様子で言った。
「なんかウォシュレットが勝手に出てきた」
何故か私の便器のウォシュレットが、前の彼女のウォシュレットと連動していたらしい。
流石に運命と言わざるを得なかった。

この通称・ウォシュレット事件の後、私と彼女は仲良くなった。時にジャニーズのライブに共に行き、人には相談できないような悩みを聞いてもらった。
十年経った今、仕事終わりにいっしょにたこ焼きを焼いたり、聖地巡礼に付き合ってもらったり、ジャニーズのYouTubeを見たり、人には相談できないような悩みを聞いてもらったりしている。
同じ家に友達が住んでいるというのは、楽しくて、とても心強いのだと知った。虫が出た時は互いを呼び合い、災害が起きた時は助け合い、パンを焼いた時はお裾分けしようと誓った。

多分この縁が目に見えれば、きっと腐っているのだろう。運命と呼ぶにはちょっと汚すぎるような、そんな縁である。

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