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ずっと物語を描きたがるのだろう

noteを書くハードル、日記を書くハードルが自分の中で上がってしまい、なかなか書けずにいました。あえてくだらない内容を簡単に書いてみることで、自分の中のハードルを取り払おうと思います。
ありがたいことですが、近頃は仕事が忙しく、仕事をしない日はないほどです。本来ならこの時間も仕事にあてなければまずいのですが、いい加減仕事に飽きてきました。そして、言葉を使いたい!という気持ちが高まっています。

忙しい中で文章が書けなくなり、更に様々な事情で人と会話することも減りました。日々の出来事や感じたことを言葉にする機会がありません。私は形のある言葉としてアウトプットしないと、脳内だけでうまく思考することができません。ということは、ここ1〜2ヶ月私はほぼ無思考のまま生きてきたことになります。更に、言葉にしないことを、私は次々に忘れていきます。それなので、ふと我に返り日々を振り返ると、何も思い出せず何も思い浮かばず、ただひたすらに「無」を感じ、恐怖するのです。
そしてこのように文章を書いている今、なんとも言えない快感を得ています。詳しいことはよくわかりませんが、脳の中の言語野が活性化され、快楽物質が放出されているのだと思います、たぶん。

今日の出来事
スマホが表示するおすすめ記事の中に、講談社の青い鳥文庫の小説賞の募集要項の記事がありました。それを見てしまったため、今日は一日物語を描きたい欲求に駆られてしまいました。私は幼い頃から、漫画や小説などで物語を描くことに対する憧れが強くあり、時々発作のように創作欲が溢れるも、途中で挫折することを繰り返してきました。10代の頃は物語のアイデアを思いつきはするも、起承転結を作ってきちんと最後まで筋をまとめることがどうしてもできませんでした。二十代になって、物語の組み立て方の理屈を学んだり、短編を読むように意識したり、映画を見るようになったことで、アイデアの筋を最後までまとめることが以前よりできるようになりました。しかしきちんと完成形を作れたことはまだ一度もありません。この調子なら、三十代には一応の完成形を作ることができるように、四十代には納得のいく作品ができるようになるではないかと思います。あまりにもスローペースですが、まあ仕方がないです。

近頃常々思いますが、私はずっと私なんだと思います。思えば、子供の頃に好きだったものをずっと好きなままで、なにか新しいことを始めたように見えても、それは子供の頃に抱いていた願望を叶えて上げていることが多いような気がするのです。最近も、子供の頃に好きだった漫画を買い直し、子供の頃に好きだったアニメを見直しています。青い鳥文庫の『泣いちゃいそうだよ』シリーズのシーンをふとしたときに思い出し、青い鳥文庫の賞を見つければ「応募しようかな……」と一生思い続けるのだと思います。

画像はお絵描きAIに「5月15日」とお願いしたら出してくれた写真です。

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