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リサーチクエスチョン Research Question

上記の本を拾い読みしている。社会科学においては、先行研究のスキマ Gap を埋めたり先行研究の精緻化を目指す Gap-spotting型の研究が中心となって量産されており、その一方で、蓄積された先行研究が共通の前提としているものに対して再検討を挟み、代替案を提案する「問題化」Problematization 型の研究がほとんどないのだそうだ。そして、Gap-spotting型の研究はつまらなくなりやすいのであるという。しかし、論文評価のシステムや研究者個人のあり方の両方の要因があって、Gap-spotting型の論文の方が量産しやすく、またコンセンサスを得やすく協調的であるため、研究者も学術雑誌もコンセンサスから出発しないか、コンセンサスを再検討するような Problematization型の論文を生産するインセンティブが無いのだという。

このようなリサーチクエスチョンの本を読みながら、特に知的生産(組織的な単語列の生産)において、一定の方向づけを与えるとはどういうことなのかが気になった。なぜならば、我々は自分自身=一個人の中ですら関心をひとつの束にまとめ切れなかったり、同じ関心分野のなかでも自分の資源(例えば時間)を集中して使用することができなかったりするからである。例えば、何かの疑問に結論を出したいとしても、その疑問が大雑把であることによって、ひたすら関係しそうな資料を漁るだけで、疲れて途方に暮れた上にポジティブな答えもネガティブな答えも見つからないということもあるだろう。つまり、最初から何をどこからどこまで調べれば答えが出るような疑問なのか、整理整頓しておかなければ、散漫な調査研究活動に終わってしまうということである。したがって、知的生産において一定の方向づけ、あるいはゴールの達成条件を明確にすることはどういうことなのかを知ることは無駄足を踏まないために重要である。

一方、ここから連想して会社組織・営利団体が一つの目標を共有し、共同作業する場合はどうだろうか? そこにおいては、数百人から数千人規模の組織が会社全体も目標に向かって曲(まが)りなりにも統合され、同僚の性格や内面など知らなくても、あるいは全体の目標は部署の目標を詳細に知らなくてもお互いに協力し合うことができる。なぜならば、そこにビジネスモデルがあって、それは必ずしも従業員全員が自覚する必要がなくても機能し得るからである。いったんビジネスモデルが確立され、市場の中で地位やシェアを占めることができれば、後は個別の従業員にとっては自分に上司から与えられた細分化された目標(個人にとっての重要業績指標 KPI)を達成するだけで、全体の目標に貢献・寄与し得ることになる。したがって、集団の場合は、個人と違って全体の目標やビジネスモデルのメカニズムは分担されて把握されており、個人研究者のように自分一人ですべてを計画立案することは必ずしも必要ではなく、それなしでも協力することができるのだ。

ところで最近、上場会社で開示が求められるように成った「人的資本」では、人的資本はスキル+ナレッジ(業務知識)と2つに分解され、スキルに対するKPIとナレッジに対するKPIをそれぞれ割り当てることによって、スキルやナレッジの向上を会社全体の目標へと結びつけようとしている。これをコトバを変えて心理学っぽく言えば、スキルとは、習慣(条件付け) habits +作業記憶 working memory +短期記憶であり、ナレッジとは長期記憶であるだが、これらの脳機能をうまくひとつの目的のために集中させるのが、集団における人的資本においてはKPIという目標(典型的には数値目標)であり、個人における研究としてはリサーチクエスチョンではないかと類推している。

他のリサーチクエスチョン立案の本(上掲)にも目を通すと、リサーチクエスチョンに段階を設けてメインのリサーチクエスチョンと、それを分解したサブのリサーチクエスチョンにブレイクダウンしてから調査作業に着手した方がよいという助言もあった。このことの含みとしては、自分の毎日の小さな作業あるいは行動と、最終的な企業目標やリサーチクエスチョン回答までの間のつながりがどこかで(自分自身で自覚的にするものであろうと同僚や上長や教官によるものであろうと)フォローされて接続されていることを確認し続けないと、業務も論文もゴールに到達できなくなってしまうのだろう。

(1,837字、2024.02.20)

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