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映画感想「アラビアのロレンス」

今日は「アラビアのロレンス」(1962)を視聴した。第二次世界大戦下において、ローレンスは規律を守れない軍人だったが、対オスマン帝国戦線に送り込まれてアラブ人たちと共同戦線を張ると、突然頼もしくなっていくという筋書きであった(史実がどうであったかは知らない)。

前半のロレンスはアラブ人たちから疑われながらも武勲を立てたり、行軍途中で落伍した仲間のアラブ人を助けたりと仲間思いの側面もみせ、実際に大砲なしでは陥落不能と思われていた拠点アカバを獲得するなどして活躍し、アラブ人たちから民族衣装や称号を贈られて非常に名誉な扱いを受けていた(作中ではローレンスではなくエル・オレンスと呼ばれる場面も多い)。

ところが、後半になるとロレンスもアラビアとアラブ人を敬遠するようになっていく。なぜならば、アラブ側にしてもオスマン帝国の脅威が消えると、白人に先導されて自分たちが手柄を立てたという筋書きは不要になったからだ。イギリス軍内でもロレンスは陸軍大佐という地位は与えられるものの、失意のうちにアラビアを去ることになる。すなわち、狡兎死して走狗煮らる……というほどではないが、最終的には彼は表に出てこられては困る人物になっていたのだろう。

この映画から読み取れることのひとつのは、結局「アラブ」のために戦ったとしても、そもそも「アラブ」人なるものがこの世に存在するかどうか疑問であるようなところから始めなければならないということである。

実際のアラブ人同士の部族対立は極めて熾烈なものだっただろう。というのも、作中でさえアラブ人同士の部族対立が色濃く描かれているのだから。第三者的にみれば、オスマン帝国という外部からの脅威が具体的に迫っているのだから、到底争っている場合ではないのだが、むしろ緊張が高まっているからこそ蒸し返される日頃の摩擦というものも起こってしまうのだろう。そこに外国人の立場で介入して、アラブを「アラブ」としてまとめあげるというのは並大抵のことではない。なぜならば、特定の部族からの信用も無ければ邪推もされるからである。

また、仮にロレンスが純粋にアラブ人の結束と独立のために戦っていたのだとしても、それがロレンスの祖国である英国にとって国益にかなうかどうかはまったく別問題である。だから、ロレンスは自分自身で「アラブ人」をつくった上でその人々から感謝され、同胞意識を持って一緒に過ごすのが一番よかったのだろうが、実際にはアラブ人は結束することができず、そして、ロレンスも軍人であるにもかかわらずイギリスの国益に必ずしも沿わなかった人物として毀誉褒貶を受けることになったのだろう。

(1,091字、2024.02.13)

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