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無意味は本当に遠回りでしかないのか?

タイムマシーンで令和にやってきたわけではないのですが、本当にせっかちな時代になってしまいましたな。対話というチャンネルが絶望的に廃れて、わかりあいたいくても、対話できないままわかりあわないことを選ぶ(分断)ことがすっかり標準的なコミュニケーションスタイルになってしまいました。

情報がもはや氾濫状態。まるでドン・キホーテで買い物をしているみたい。

個人的にはユニーとかアピタだった頃のほうが数段好きなんですけど、店舗がドンキ化するとお客さんの入りが倍増するってことだけははっきりわかりました。
「満足度」より「集客力」 — 経営者は綺麗事こそ言うけれど、腹のうちはきっとそういうふうなんだろうなと感じています。我々利用者といえば、文句こそ垂れるものの、文句垂れながらもなぜか足繁く通ってる。そんなカオスなお店で顧客満足がなっとらんなどと叫ぼうものなら、たちまち老害扱いされますしね(笑)。

いやあ、炎上ってのが大嫌いなんですよ。

自分自身が炎上したことはないけれど、他人が炎上してるありさまを見るだけでも気分がしんどくなる。それでも、人を集めるための一番有効な手段がそれである以上、手法としての炎上は減らないんでしょうね。

検索を通じて有用なものを取り出すスキル … 私は知らずのうちにそれを手に入れていました。メールに要件だけ書けだとか、とにかく昭和のころの日本人の心性とは真逆のチャンネルを持たなくてはならない場面が多すぎてくらくらします。ちなみに私、手紙のような長いメールを書くことが好きなのですが、たいてい嫌がられていることは自覚しています。

合理的が正義・・・なんでしょうけどね

 
ほんとうに窮屈なことです。読み手にわかりやすい文章を書けだとか、ほんとうにおせっかいも極まりない話だよな(言っちゃったよ)。洗練されたものに染まりたいという風潮。まして時間をかけずにそれを手に入れたいという願望なんてものは、驕りと呼ぶべきものなのではないかとさえ思うのです。

無意味なものが忌み嫌われていますが、そもそも書籍というものはその大半のページが無意味のために割かれているものだったのではないかと思うのです。否、書き手にとってそれは無意味ではなく余白みたいなものかもしれない。メリハリはスキル。それでも文章の緩急のなかに何かの味わいがある — なんてことを言ってはもういけないんでしょうか。

文章を書くことは好きなんです。

でも下手くそだし、やはりなかなか読んでもらえない。

話題選びが大事なのかもしれません(初投稿で「リストラーズ」のことを書いて予想外のリアクションをいただきました。本当に感謝です)。

私自身が古臭い人間なので、要旨だけがスパッスパッと書かれた文章がどうも苦手。数秒でわかる⚪︎⚪︎なんてものはもう蕁麻疹ものです。教養の所有だけが問題にされていて、味わいみたいなものが淘汰されている。なにかテストでもされているような気分になるので、そういう話をふってくる奴に対してはわざとバカのふりをします(というか重度の「無教養恐怖症」「テクニカルターム恐怖症」に陥っている自覚があります。たぶん自分はバカなんだとも自覚しています)。

50歳を超えて立ちはだかる就職難はガチです!


私自身の往生際の悪さに呆れ返っています。もうこれだけ貶されたのだから、そろそろ「はい、私はバカです」って開き直って人生をはじめればいいのに。これまで積み上げてきたスキルなんか捨てて、犬のような人として(犬に失礼です)人生をリスタートすればいいのです。だけど新しい畑を選んだら、時給が天と地ほどに変わってしまうことに恐れおののいています。

納税しなくてはなりませんから、結局は保守的にならざるを得ないというのが現実なんですよね。時給の低い仕事を忌避しているうちに、どの求人も受からないという事態に陥ってます。50歳を2年ほどすぎたら、信じられないほどどこからも相手にされないというふうになりました。

リストラや希望退職といったものは今後も続くのでしょうけど、私と同年代の方には声を大にして「会社には可能な限りしがみついたほうがいい」「クラウドワークはまったくチョロいものなんかではない」ということをお伝えしたいです。綺麗事ばかりが溢れていますが、宣伝文句ですから綺麗なんですよ。そんなお手軽なものは本当にありません!

そうか……このあたりのリアルを発信していけばいいのかもしれませんね。

この世界で必要な覚悟


人間はそれほど強いものではありません。
インフルエンサーに対して異論を唱えることは難しい。
ディスられると数日は立ち直れなくなりそうです。

生活のためである場所は別として、趣味の延長でやっている場所にまでインフルエンサーやプロの表現者がいう「こうあるべき」を守る必要はないと考えています。私は私。どんなに投稿した記事が過疎ったとしても、受け入れて何か書きつづけられればいいなと考えています。

ネット上では実生活にもましてコミュ障です。

ちょうど1年前、本業の売り込みをツイッター上で必死でやっていたのですが、フォロワーとしてついてくるのが(本来相手にしたいターゲットでなく)同業者ばかりで、しかもディスってくる人物にも悩まされながら結局は投げ出してしまいました。Xとインスタからは距離を置くことを決心しています。選択肢(可能性)を刈り取ることも私なりの戦略です。

手っ取り早く何かのスキルを得るなんてことはあり得ないと信じて疑っていないんです。画像生成AIが作り出してくれるイラストに感嘆こそしたものの、結局は「手が3本生えている人物」「指の並びが逆になっているモデル」は自分の手で修正しなくてはならない。そうなると、やはりPhotoshopとかイラレとかで創作している人と同じぐらいのスキルを持っていないと、生成物を商用ベースで世に出せないのではないか。結局、手っ取り早いものなんてどこにもないわけです。

トライアル&エラー&トライアル&エラー


前にも述べたとおり、いきなり洗練されたスキルで仕事をできるなんてうまい話はありません。ただ、どれだけ無意味で自己流だと感じたとしても、ある程度なにかを続けることによってスキルは間違いなく手に入ります。あとはそれを「どう売るのか」を本気で考えなくてはなりません(そこでほんと苦労してます)。

ただ、人生に正解はありません。器用な人も不器用な人もいます。

実は40歳後半からいろんな不運に見舞われ続けています。ただ…この負の連鎖が訪れたのが、娘たちが社会人になるタイミングだったのは救いです。奨学金を借りさせたにせよ、学費の半分ぐらいは私がリアルタイムで払えたので、これこそまさに不幸中の幸いだったりします。悪いことばかりではないです ^^。

この負の連鎖がどこで底を打つのか …… とにかくいろいろ試しています。

お金が入ってこない物事に時間を割いているとき、魔が差して自己嫌悪に陥るのだけはしんどいですが、とにかく常に何かをやっていようとだけは考えています。
noteに帰ってきたのは、まずは私自身の「リハビリ」みたいなもの。ゴミみたいな記事を量産しながら、気づきを身にまとっていきたいと考えています。

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