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ポジショントーク

初出記事を編集して、記事内容に手を加えました(24/04/29)

「本音」を身近な人に対して語ることはほとんどない。
他人の悪口を言うことは絶対にしない。
もちろん腹の中で思っていることはいっぱいあるんだけれどね。

道徳か不道徳かということはそれほど重要ではない。「なにかと標的にされ、イヤな気分にさせられつづけてきた」人生史があることと、なにより自分がイヤだと感じることを他人には絶対やらないって決めている。ただそれだけのこと。

もちろん感じ方は人それぞれ。私が良かれと思っても、それがお節介だってことはしょっちゅうある。きっと。お相手の真意を知るに至ったなら、とにかく誠心誠意謝る。その人が私にとって大切な人ならそうする。
でも、それが伝わるかどうかはお相手に委ねるしかない。
嫌われたら…そうだなあ。霧のようにその方の視界から消えてしまおう。

世の中を生きていくとき、悪口や陰口が大好物っていう人がけっこういる。
とりあえず同調しておいたほうが良さげなときには、ついつい
「そうですよね、わかります」みたいな答を返していたりする。
本当は悪口陰口が大好きなその人を遠ざけてしまえばいいはずなのに。

自分って…なんだかカメレオンみたいだな。

いや、別にカメレオンってのもそれほど悪いキャラではないと思っているんだけどさ。ただ、腹のうちのわからないヤツだ…って思われて仕方ないところはある。そして「よくわからないヤツ」は嫌われるだろう。

その場でこそ、相手の心象を悪くすることはない。
ただ、いつまでもそうやってると「友達」として相手から選ばれることはなくなることだけは必至だ。


私はなぜカメレオンになったのか


ひとつ前の職場では徹底して、寡黙な人間を演じつづけた。
カメレオンではなく、ただ一色の保護色でその色をした場所に棲んでいた。

いや、雑談はできなくはないんですけど、マウントの強い御仁に対するポジショントークってのは相当しんどいんです。

「お疲れさまです」ってふうに挨拶したら、威嚇するかのようなため息を返してくる…そんなのだらけだったあの職場。あそこには十数年居座りました。

やがていわれのない誹謗や皮肉・ハラスメントを受けるようになってきた。あのときの職場で干された原因は、10年も〝知り合い〟なのに、私が雑談すら投げられないようなヤツ(あっちにしてみれば失礼なヤツ)だったからだと思う。知るか!

そういうわけで次の職場(現在の居場所です)では、同じ島の先輩がたには進んで話しかけた。こう書くと失礼なんだけれど、ポジショントークをうまく使いながら、とにかく先輩がたのご機嫌を取ってしまっているふうにはなってしまってたとは思う。ただ結果的には、これまでになく居心地のいい数年間を送らせていただいた。本当に感謝している。

ポジショントークを多用してはいたけれどなあ


今春、そんな先輩がたがいっせいに職場を去ってしまうという事件に見舞われた。

結局はその方たちとは一度も飲みに行けなかったし、最後の最後に住所やメアドを尋ねることもできなかった。数年来お世話になっている職場なんだけど、この春からはぼっちで仕事をすることになる。

結局、腹を割って何かを話したことって、おそらく最後の最後まで一度もない。

先輩がたが時折吐いてしまう〝毒〟に対して、私はただ無難に話を回収していただけのこと。私自身はすごく楽しくお付き合いいただいた(と思っている)のだけど、かの先輩方どうしの仲はあまりよろしくなかったみたいなのだ。

結局…またぼっちだ。
♪ In a little while from now … ♪
頭のなか、ギルバート・オサリバンの Alone Again が流れてくる。

まあ…これは育ちの問題だ。父親がマシンガントークの人で、そのくせ口を挟むことを異常に嫌う。黙って頷いとれ!というタイプの人である。そんな親元で育った私は、相手の表情から声色にいたるまでつぶさに分析して、最も相手が喜びそうな返事を探すことの名人になったはずだ。前職で徹底して寡黙な人になりきったのは、カメレオン業を一度おりたくなったからだ。

いまはこうして〝書く〟ことがいい逃げ場になってはいるのだけど、どうしても内面での掘り下げという作業は滅入る。この思考パターンが醸成された理由を考えるに、結局は毒親育ちってやつに行き着いてしまうんだけど、この年齢(50歳代です)でいまだに毒親毒親と言ってる自分が大嫌いなのだ。子供じゃあるまいし。

エピローグ


ポジショントークで身を守るようになったのは、不条理な両親たちの言うことがいつも正しいというふうにしなければならなかったから。父親や母親のご機嫌をとりつづけてきたが、その関係性はいまだそのままだ(母親は痴呆しているのだが、若い頃の記憶・感受性だけはいまだしっかりと持っておられる)。父親が不機嫌な場面に居合わせるのが極度に苦手なのだ。

前述したとおりで、雑談能力ゼロってわけではない。ただ、雑談のあとに疲れはててしまうのだ。「あの言葉を口にしたとき、なんか表情変わったな」「ふさわしくないことを言ってしまった」等々。丸一日、雑談で口にした言葉のことで落ち込みつづけてしまうことすらある。

相手から「人望ねえな、こいつ」ってふうにみられてるオーラを感じたら、いつも「育ちの問題なんですよ、へへっ」と心のなかで泣いている。30歳ぐらいになったら治るのかなと思ってたら、逆に歳を重ねるごとに耐性がなくなってきているのがしんどい。変なハラスメントの標的になりすぎたというのもある。嗅ぎつけられやすいんでしょうね。

人生あと何年あるのかわからないけれど、もう少し器用になりたいよ。
真の〝カメレオン道〟への道のりはなお険しい。

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