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「死ぬほど忙しい」のと「死ぬほどひま」なのとではどちらがマシなのか

つい2年か3年ほど前まで、私は「死ぬほど忙しい」と感じながら仕事をやっていた。それがひとつの事件(まだかろうじて業界に首の皮一枚で生き残っているので詳しくは書けません…異性がらみや変態系ではないです)をきっかけに、真っ逆さまに堕ちてデザイア。

で現在は「死ぬほどひま」な状態にある。

55歳。かつての私からみた55歳というのは、語感だけでいえば現役を退いたばっかのじいさんというイメージだった。それがいざ自分がその歳になってみると、容姿が意外すぎるほど若く、頭の中も青臭くて、いまだに自分探しをやっている。少しニート臭を加えたコナンみたいなジジイだったりする。本当に嫌になる。


バカボンのパパも波平さんも私より年下


「ええーっ!? ほんと!?」

元祖天才バカボンのOPより

たしかに昭和では、55歳がちょうどサラリーマンの定年退職の年齢だったような。かつては国民総中流なんていう呑気なコトバがあって、両親も<自分たちの価値観>から眺めて私の人生設計にあれこれ言ってきたものだ。

とんでもないことだよ。

この30数年ほどだ。それだけの時間で、日本の経済状態も民度も天と地のように変わってしまったではないか。

彼らは高度経済成長の時代を生きた。父親はおそらく労働とつきあいの酒とに明け暮れる半生を送っただろうし、母親は身勝手で家族サービスなど目もくれない父親に愛想をつかし私をペットのように溺愛しつづけ、盲目的に彼女の生きがいとしつづけてきた。

そんなわけで現在なお存命している父親は絵に描いたような老害へと成り下がり、なお存命している母親はすっかり痴呆老人と化し、ときどき徘徊して警察のお世話になることもあるらしい。母親が実姉のもとで保護されて、自宅の電話番号もいえずに(おそらく90歳近い)叔母のもとに深夜に電話が行き、母の姉の旦那(90歳オーバー)から「あんたの息子はこんな状態でなんで放ったらかしなのか!」と怒鳴られた — と父は私に愚痴った。

なんで私に言う?
で、叔父も余計なお世話だ。

なんで 「諸行無常」 すら理解していないのかと


まったく親世代(いまの80歳代前後)ってのは、やれ法事だなんだ…とやたら仏教行事をあがめているくせにねえ。

という言葉は、レレレのミゼラブルの「無」のほうではない。

「万物はいつも流転し、変化・消滅がたえない」という意味だ。常ならず

国民総中流のあの時代の常識が覆るかもしれない、そういった想像はきっと空想だと笑い飛ばされたにちがいない。でも、実際にそうなった。親や人生の先輩が絶対と信じて疑わなかった私がきっと悪いのだ。

とは誰にも平等に訪れるわけだが、父親は自分をいまだに不死身だと思っている。体のどこが悪くなった、ここが悪くなったといって湯水のごとくお金を使う。

足を悪くして外出しづらいと言って、私には何も告げず(妹と父親だけで)実家のマンションを売りに出してしまった。一言ぐらい相談しろや。何年か前に、階下の方が孤独死して時間が経過してから発見されたという騒動があり(事件性はない)、かの有名な事故物件ミシュラン〝大島てる〟にばっちり載ってしまっている。

売却物件 昨年の正月にはふつうにここが実家だった
大島てるが何と言おうと、安全かつ便利な立地の好物件だ w

無知は怖い。どれぐらい強気の値をつけたかは知らないが、いまだ売れていない。それどころか、買い手がつかないことを帰省するたび私に愚痴る。
明らかに相手を間違えている。

おそらく私に遺産など残るまい。諦めている。

仕事がない 税金がちゃんと払えない


もちろん私がいくつまで生きるのかなんてわからない。

冒頭にちらっと書いた〝事件〟が引き金となり、就業ぐらいはできるぐらいの軽度の鬱(うつ)を持っている。そっち系の薬にまだお世話になっている。

一応は仕事をやっているが、ここ2年ほど週2日しか稼働していない(そのかわりその2日間は朝から晩遅くまで就労している)。家内も働いている。食ってこそいけるものの、私の税金が払えない。とりあえず市県民税と固定資産税と国民健康保険のほうは必死で払っているが、後回しにさせてもらっている国民年金のほうからしょっちゅう督促がくる。

待ってくれ。仕事はいつだって探してる。

かなり特殊な職歴でして … 同業を続けていくしかないのだけど、まじでどこも受からない。異業種で求職しても「わけあり」と見られるのだろう(まあ…わけありなんですけどね)。とにかく受からない。そうこうしているうちに早2年。

生計のもとになっていた会社が雇用保険に加入していないことが離職後に判明し、ハロワ経由で調べてもらったが「ぎりぎりのところで加入要件満たさないようにコントロールしてたんでしょうね 」… 公務員がへらへら笑いながら電話でそう告げた。「そうですかぁ、鬱ですかぁ。でも障害者認定は受けないほうがいいですよぉ」

これきっと労災がらみの念押しだったのな。地獄に堕ちろと本心で思った。

本格的老後へのリハーサルなんだろうな、これ


陰鬱な日々を過ごしているが、ただひとつ救いがある。

定年ギリギリまでバリバリに働いてから、いきなり60歳代半ばぐらいでこの超ヒマーな生活に突入していたとしたら … ばっきばきの老害になっているだろうな。下手すると、母親と同じように痴呆してしまうかもしれない。四六時中、自分自身と対峙していなければならない状態というのはとてつもなくしんどい。

幸いにして(怒りっぽいのと憂鬱になりやすいのはたしかだが)まだ耐性はある。というか落ち込みと無気力が深刻になりつつある。去勢されたばかりのワンちゃんはきっとこんな気分になるんじゃないかと。これからどんどん感情はコントロールできなくなっていくだろう。すでに予兆を感じ取っている。家内の長い話を聞くことが、このところ極端に苦手になってきた。

ひとりで何かをするのは好きなほうなので、孤独とか孤立とかいったものにはおそらく他人よりは耐性はあると思う。辛いのは孤独ではなく、貧乏のほうだ。あとは体力のおとろえといったところ。

親父から遺伝病として糖尿病をさずかってしまっている。肥満体ではない。親父が愚痴るのとほぼ同じ症状(足がつる、極度の冷え性、口や舌の渇きなど)が次々と現れているから、きっと私のほうが進行が早いのではないか。親父はずいぶん長生きしているが、糖尿病罹患者の平均寿命は健康な人より10年ほど短いといわれている。

あと15年ほどか。むしろありがたいかもな。

いまは考えをあらためているが、子供のころから「親より先に死にたい」と強く思いつづけていた。理由は「葬式」にあった。現役時代の親父は毎年年賀状を200通ぐらいもらっていて、帰省のたびに「わしはお前よりずっと人望がある」ってふうにマウントされつづけた。私は10通ぐらいしかもらわない。まあ人望ゼロです。

私が死んでもそれほど大変でもなかろうが、父親か母親がもし死んでしまって連絡とか参列者の対応とか…そんなこと自分には絶対つとまらないと思っていた(実は、相貌失認という「人の顔がわからない」変な特性をもっておりまして。親戚の顔とか全然わからないんです)。

今となっては、簡素な家族葬で送りだすことになったとしても文句は言われまい。連絡とか参列者の対応とかも葬儀社の方々が教えてくださるだろう(何もかも自分でやらなきゃならんと思ってた無知ぶりがはずかしい)。そこだけはありがたい。

コロナ禍で、国民総中流の時代には「お金をかけて当たり前」のところがかなりスリム化された。政治家どもには「犬どもよ、もっと金使え」と思われているんだろうけど、どんなに慎ましやかに過ごしてもどんどん借金が増えていく。もうほとんど贅沢品はほぼ買っていない。散髪も長年行ってた理容室をやめ、例の1000円カットに鞍替えした。思ってたよりはずっと上手な仕上がりだ。

結論


… というか「死ぬほど忙しかった」ころの話をまったく書いてないことに、ここまで書いてはじめて気づいた(笑)。いや、こっちの話があまりにも鬼畜すぎるもので、生々しく書いたらきっと滅入ってしまいます。

前にも書いたけれど、その「鬼畜なことばかりされつづけた」業界にいまだ生き残っている。note上では実名こそ出していないものの、何のどんな拍子で私が誰なのか特定されてしまうリスクもある。もはや失うものなんてなくなってしまった私自身は構わないのだが、いまお世話になっている就業先に迷惑をかけてしまうことは本意ではない。したがって、私が業界の赤裸々なハラスメント等々をここで書いて、ひょっとかして炎上させてしまうわけにはいかないのです。

あ、結論でしたね。

私にはいまのところ「死ぬほどヒマ」のほうがしんどいかもです。

まあ、仏教でも言っているとおり「中道」「中庸」がいちばんでしょう。もうピークをすぎて、野望も希望もない。楽しいことをみつけて、無難に生き延びたいと思う。もう少し機嫌良くいられるようになりたい。それぐらいかな。

長文で時間泥棒。どうもすみません。では股。

       毒親はネタの宝庫

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