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【毒親系】 親父はどうやら景気の悪い話が嫌いらしい

実家から「そろそろ一度ぐらい顔出せや」と言われている55歳児です。

先週に電話をしたら、ともに80をすぎた老親たちふたりで風邪をうつしあっていると言ってた。風邪は少しはましになったのかと尋ねると、ぜんぜん治らんという。そんな危なっかしい空間に、来週から本格稼働を迎える私が飛び込めるわけがない。今朝の電話は、実家に赴くのは(ほんとは今日にしようかと思ってたけれど)GWあたりにさせてくれ、そう伝えるためのものだ。

私と母親には自他の壁がないが、父親には鉄壁ともいうべき自他の壁がある。

結局は忖度を受けることが大好物な人で、私は機嫌のいい人を見ると安心し、不機嫌にさせてしまうことを怖がってしまうところがある。彼と話しながらふと、たぶんこの人は部下とまったく同じ接し方をいま、私にしているんだろうな…と思ってしまった。ちがいといえば、部下には愚痴らないだろうけれど、私にはいくらでも愚痴を垂れ、挙句は「他人事やないぞ」「どうにかせい」と言ってくることぐらいか。

GWには帰れると思うけど、求職中でそれ次第では予定が変わるかもしれないことを伝えた。私も愚痴りたいお年頃なので、50歳をすぎたらパタリと仕事の当てがなくなってしまったといった話(家内は聞いてくれませんので)を、かつて一つ屋根の下で毒親ぶりを遺憾なく発揮してくれた〝かの方〟に投げてみた。

私の惨状をふたことほど語ったところで、話を遮って「わしには人望があるから、会社からは、いつでもきてくれと言われているぞ」といったふうなのが十言ぐらいがまず返ってきた。またマウントをとられてしまったがいつものことだ。

息子の話なんて他人事。そして実に無邪気だ。
「そのうちなんとかなるんやろ?」— 植木等の能天気なフレーズを投げてくる。
冗談ではない。ゆでがえるという言葉は、あんたらのための言葉だよ(百田さんはきっと私ぐらいの年代に向けてそれ投げたんだろうけど、ずるいよなあ)。


悪い人ではないんだとは思う

       — そのように洗脳されているだけかもしれないが

今日はまだ聞く耳があるほうの日だ。他人事のように「自分で塾でもやってみたら?」とか「ネットで何かやってみたら?」と言う。現状は厳しい。昨年度の悪戦苦闘のリアルな話(Xを使っての求職を試みて玉砕した等々)のごく一部を投げてみた。うるさくなってきたのか面倒くさくなってきたのか、観念して、ボケてしまっている母親に電話を渡してしまった。

「もう、お前の話が終わったらもう切ったらええからな」
湿っぽいものに触れた後のやや苛立ったトーンの声が、電話口の向こうから聞こえてきた。

貧乏神ビームを炸裂させてやった。
これも私のささやかな復讐みたいなものである。してやったり(にやり)。

毒親には毒であることの自覚がない。正論で望んでも、逃げるとかはぐらかすといった常套手段はいまどきの政治家とまったく同じ。

政治の構造もある意味、毒親問題と似ている。昭和時代には昭和時代のスタイルでおせっかいをさんざ焼いておきながら、肉親関係さながらに愛国精神を求めて、失敗した国策の穴埋めをさせ、こちらの愚痴には耳をふさぐ。それでも政治家たちは「愚民どもに恩を売ってやった」と思い込んでいる。年老いた親もしかり。国家もすっかり弱体化しているから、次から次へときびしいことを要求してくる。こちらが困っているといった話には耳をふさぐ。年老いた親もしかり。

いつまで続くんだろうな。さあ、上手に気晴らしでもしようか…と言いながら、ふらりと競馬なんかはじめてしまうんじゃねえぞ自分。
ギャンブル好きはきっとオヤジのDNAを受け継いでいるはずなんだけど、水原通訳を見てるとはらはらしてしまうぐらい、自虐的な思考パターンが似ていることは自覚している。もちろん、他人のお金なんて当てにしたことがない。親の懐すら当てにしたことはない。


最近ちょっと思っていること。

「毒親」って言葉がちょっとひどすぎる。もう少しマイルドな言い回しってないかなあと考えている。暴走族を〝珍走団〟と呼んではどうかといった話が、実際に昭和時代にあった。言葉のもつイメージ。
少しはオブラートに包んでみたいと感じている。
なにかいいアイデアはないものだろうか。
もちろん言葉をすり替えても本質は変わらない。それだけは自覚しておかねばならないが、毒という言葉を頭に置くだけで本当に心の毒になってしまうんだよな。

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