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猫の太郎と次郎、そして私。

猫付きの一家だった。


わが家にはいつも猫がいた。いわゆる圧倒的な猫好きの家族というのでもなく、どちらかというと、何となく捨て猫をかわいそうに思ってきたことの帰結だったような気がする。わが家は大家族で、両親、祖母、兄弟、私、兄の友人である居候たちを加えると一時は総勢十一人が一つ屋根の下で生活していた。猫を飼うといっても今日風の室内飼いというのではなく、オープン飼いだから、自由に出入りはできるが、かといって猫たちが生活の半ばを屋外で過ごすということではなかった。普通に夜になると、ご飯をもらうため家に帰ってきて、そのまま時間になれば家で寝るといった具合だ。

家族の中でこの猫は誰の猫といった特別の帰属もないが、やはり多くの猫は餌を用意してくれる母には絶対的な信頼を寄せていた。それでも姉にはやや小さめの三毛猫が、真っ黒な子猫は弟に懐いていた。そして一番最近生まれた猫の三兄弟は私に懐いていたが、これは私に懐くというより、子猫が生まれた時からある程度大きくなって外に自由に遊びに行く頃まで、私の部屋の小箱に住み着いていたことが主な理由だと思う。子供の頃より、寒い季節には私の蒲団に潜り込み、私が勉強しているときは兄弟そろって私の膝の上で寛いでいたからだ。その時に生まれた三匹の子猫の内の一匹は、猫好きの近所のおばあさんに貰われてゆき、私の部屋に住み着いていた猫は結局二匹になっていた。

猫の親離れ、兄弟離れ


十一人が一つ屋根の下で生活できたのには、多少の理由があった。住んでいた家は比較的大きな家で、木筋コンクリートとでも称すべき不思議な造りで、簡単に言えば洋風を装った日本家屋だった。そのため部屋数が多く、部屋の独立性が高かったので、大家族になったということだと思う。こうした特殊な条件のために、家全体が適当な広さのいくつかのエリアに分かれていて、七匹の猫たちもそれぞれ曖昧に好みのエリアに分かれて住んでいた。この中の二匹が、他のエリアからやや❝離れ部屋❞のイメージの、私の居室に住んでいた。

この二匹の猫には、それぞれ「太郎」と「次郎」と、まるで犬のような名前が付けられていた。名前の実質的な命名権は私にあったが、私の世代的な無責任さの反映か、私がとっさにつけた名前だった。そうした居住環境にあったので、その他のわが家の猫と折り合いが悪いということはなかったが、幼いころは食事の時以外はわが家の他の猫とはあまり遊ばず、終日私の部屋にいた。それにも多少理由があって、私の部屋には私の考えで、猫が外に自由に出かけられるように、窓の一画に猫が自由に通れるような小窓を設けていた。私の部屋のこの窓は二階の屋根に通じているのだが、都合よく一階の小さな庭にも降りられて、同時に母親が管理している他の猫との共用部分、つまり家族の食堂と猫の居間を兼ねたところにもつながっていた。もともと私の寝室であり勉強部屋でもあり、懐いている太郎と次郎の部屋でもあり、ずいぶん都合がよい窓だと思えたのだった。

一家に二匹の雄は居られない。


太郎と次郎は幼いころから仲が良く、いつまでもそうだろうと考えていたが、私の知らないところでそれぞれ大人への道を進み始めていた。私がそのことを知ったのは、太郎と次郎が珍しく喧嘩をするようになったからだ。はじめは些細な小競り合いだったが、大きくなるにしたがってその争いは激しくなっていった。こちらも幼かったので、世間的な理解が足りていなかったが、太郎と次郎は、ある種の縄張り争いしていたのだと思う。はっきり言えば、一軒の家に二匹の雄猫は必要ないということだった。二匹の権力争いは、次第に次郎の有利に傾き始め、ついには次郎が私の部屋にいるときは、太郎は私の部屋に近づけないようになってしまったのだった。
やがて次郎は近所の雄猫たちのボスになり、次郎が権力を広げるにしたがって、太郎はわが家に近づくことも困難になり、遠くから私にその存在を知らせるだけの立場に陥ってしまった。私にはどうすることもできなかったが、太郎のことを考えると惨めすぎて、いつも心を痛めていた。ところが、次郎は広範囲に縄張りを見回るので、結果的にわが家から離れることも長くなって、今度は次郎の留守を見極めて太郎が私の部屋に戻ってくるといった変則的なパターンが時たま発生するようになった。

それも大きな意味では一時的なもので、ついには太郎は一週間に一度、二週間に一度、一カ月に一度、二カ月に一度、私の部屋に戻っていたが、さらに近づきにくくなっていることが手に取るように認識させられた。さらに次郎のボスとしての権威が強くなると、太郎は遠くから自分が近くにいることを私に知らせるように悲しい鳴き声でその存在を伝えていたが、太郎の存在しているだろう場所がますます遠くなり、やがてはある冬を境に最早、太郎がわが家に近づくことも許されなくなった。これは猫の世界の出来事であって、私たち人間が関与できる領域ではなかったが、言葉にもならない何とも辛い日々だった。ペットはいつも可愛いが、寿命の違いによる悲しい生き別れとともに、こうしたペットの世界と人間の世界の定めの違いも、避けられない悲しみの一つかも知れない。



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