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灼熱のうどん屋

おそるべしモノの弾み!

まったく私的なつまらない話なのだが、モノの弾みは恐ろしい。真夏の昼下がり、にわかに空腹に陥って近くに適当な店がないかと見回したが、辺りに店らしいものは見当たらない。少し遠くにうなぎ屋ののぼりが見えた。正確には今日は土用ではないが、ザクッとはほぼぴったりな季節なので、いつもならそれで決まりというところだった。
ところがその日は、その選択では何かしっくりこなくて、もっといいものがあるはずだとつまらないことを考えたのだろう。今日は猛烈に暑くて選択肢はいつもよりはるかに少ないのに、どう考えてもうなぎ屋がベストだと思えたが、なぜかしっくりこないことが意識過剰になって、うなぎ屋を頭から追い払って京都の細い通りを右左に探索したが、一向に食べ物屋に出くわさない。しかしそれなりに空腹も黙っていないので、目を皿のようにして細い通りをチェックすると、今度は遠くにうどん屋の地味な看板が見えた。この季節のことを念頭に置けば、冷やしうどんかざるそば、ソーメン、冷やむぎなどが選択肢になる。そこで、のれんをくぐって店に入ったのだが、のれんをくぐるということは店の室内がエアコンの管理下にない。そこで、慌てて店内の様子を見てみると息も絶え絶えに体をゆすっている扇風機が一台。その扇風機の向こうにいる二人の女店員さんの一人、おそらく年齢は六十代半ばで、テーブルに残された食器をゆっくり重ねながら洗い場に運んでいた。もう一人の女店員さんは七十代半ばで、食器がなくなった木製テーブルの上を布巾で丁寧に拭いていた。

二人の女店員のエネルギーに圧されて、禁断のメニューに

おそらくこのうどん屋は、経営者である七十代半ばの女性と、その友人らしい六十代半ばの女性で切り盛りしているらしい。私が店に入った時、二人の詳しい関係は知りようもないが、風情としては、経営は容易な時代ではないが、二人で何とか頑張って店を切り盛りしようという意欲にあふれていた。店は私が来る少し前までは客がいたようだが、私が来てからは客は私一人だった。おそらく一方的に高騰する光熱費を削減するためだろう、一段と熱いその日クーラーもつけずに、あるいはもとからクーラーの設備もなかったのか、窓や入口の扉は精一杯に開け放されていて、せめていささかなりとも涼風を招きたいという思いやりが感じられた。もちろん、いったんは店に入ったが、何か理由を付けて店を退出することは可能だった。しかし、二人の女店員さんの必死の努力を考えてみると、やはりこの店で食べようとする強い意志が湧いてきた。

ひとしきり前の客の片づけが済むと、経営者と思われる七十代半ばの方がテーブルにやってきて、注文を取ろうとしていた。私は日頃から注文に躊躇する傾向があるので、今日の暑さを考えて店に入る前からざるそばを注文しようと決意していた。ところが経営者らしい女性が親切そうな笑顔で、内はきつねうどんか鍋焼きうどんが評判なんです、と話しかけてきた。私はこういう対応をされると、どうしても迎合体制をとる傾向があって、とっさにわざとらしい笑顔になってそれじゃあ、「きつねうどんをお願いします」と、今日の天気を考えれば注文してはいけない禁断のメニューを自ら注文していた。
暑い日に熱いものを食べると、かえって汗が引っ込むという逆説的な主張もあるが、それは所詮言葉の綾で、真夏の酷暑日、クーラーのない飲食店の中で、熱いきつねうどんを食べると、体中から汗が噴き出してくるのは必定だ。二人の女性店員を見ると首にタオルを巻いて汗が流れるのを防いでいた。まさに玉の汗というのか、おでこや鼻の頭には小さな玉の汗がびっしりと張り付いて見た目にも暑苦しそうだった。
きつねうどんが自慢ということで注文した手前、汁を残すのは失礼なような気がして、最後の一滴まで汁もいただいた。


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