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信濃路雪深し

大学受験という青春の風物詩

現代はウェブの時代なので、いまでもそんな習慣が残っているのかどうか知らないが、昔は遠方の大学を受験すると合否の発表を見に行くのが大変だった。そこで、受験日にはおそらく学生のアルバイトだと思うのだが、試験の合否を電報で知らせてくれるサービスがあった。私の親しくしていた友人が、信濃の名門大学・信州大学を受験した。私はこの大学を受験しなかったが、友人も私も大阪に住んでいたので受験するのが大変だったと思う。そこでこの合否を電報で知らせてくれるサービスを申し込んでいたのだろう。この年、私は近くの大学を受験していたので、自分で大学に行って合否の発表を見に行くことにしていた。

そんなある日、友人が私の家にやってきて、いよいよ信州大学に行くことにしたよと、嬉しそうにして話していた。彼は大阪を離れたがっていたので、彼にとっては今回の進路は上首尾といったところだったのだろう。彼は信州に行くことを楽しみにしていて、遠方での受験だったがそれを苦にしている様子もなかったので、長野まで合格発表を見にいったのかと聞いたら、交通費もかかるので当然電報だよと上機嫌で話していた。これからはお互いに離れ離れになるので、私たちは高校時代の思い出を楽しく話し合っていた。彼が私の家に来たのは、大学受験の報告と、別れの挨拶だったと思われたが、私は何ともなく、合格を知らせる電報というのはどんなものかと興味を感じて聞いてみた。
彼は、それを聞かれたことが嬉しかったようで、早速ポケットの中に入れていた電報を私に差し出した。

「サクラサイタ」と「シナノジ ユキフカシ」の間

私は、「サクラサイタ」といった、うわさで聞いていたパターンの電文だろうと思って、電報を開いてみると「シナノジ ユキフカシ」と書かれていた。彼はすっかり合格したつもりで笑っているので、一瞬私も合格を知らせる電文かと眺めていたが、少し考えてみると必ずしもそうではないのではと思い始めた。しかし、本人は何の疑いものなく合格したつもりなので、疑問を呈するのもはばかれて、婉曲な問いかけで、「もう、信州大学へ行く準備はしてるの?」と、聞いてみた。彼は笑顔を絶やさず、もう大学に入学するための荷物はまとめていて、あとは送り先の住所がわかるまで待っているところだと答えた。私はまたまた婉曲な問いかけで、今の合否電報は、こんな回りくどい電文なのかと友人に聞いてみた。すると友人は相変わらず笑顔を絶やさず、雪の深いところだが、ようやく合格したのだから、十分に注意して来るようにという意味じゃないかなと、全く何の不安も疑問も感じることなく答えた。

私は何となく、それ以上聞くことはできず、荷物の送り先が決まらなければ、いつか不合格だったことに気づくはずだと、それ以上は聞かなかった。それから三日後、友人から電話があって、何かの手違いで不合格だったと、それもそれほどがっかりした様子もなく連絡があった。私たちが受験した当時は、国立一期校と二期校は受験日が違っていて、つまり一期校と二期校と二つの国立大学を受験することができた。一期校と二期校の区分は1978年になくなっているが、この当時は、一期校と二期校を受験することができた。電話の彼の話からは信州大学の話題は消え去っていて、すでに来年は一期校にどの大学を、二期校にどこを選ぶかが、目下の関心事であるようだった。そしてまた、「シナノジ ユキフカシ」の話題は二度と私たちの会話に出ることはなく、彼との関係も何の不都合のなく、何も変わらずそのまま続いていくことになった。


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