見出し画像

懐いてくれていた?セキセイインコ

事務所のセキセイインコ

私は一時、大阪でプランニング事務所を開いていたことがある。さして儲かっていたわけではないが、とにかく一年中忙しい事務所だったし、そこそこの数の社員もいた。そんなことで代表者だった私は、朝の十時頃から夕方の五時頃まではいわゆる営業で得意先などを回っていたが、同時にプランニングの実作業の責任者であったので、夕方頃からはデスクワークをしなくてはならなかった。
私の仕事のパターンは、夕方からプランニングの作業を開始して、夕食を挟んで作業がある程度形になるのはたいてい真夜中で、その間に他の仕事をしていた社員は一人二人と適当に帰っていく。私たちのいる事務所には、小さな鳥かごがあって、もともと誰が置いたのかも知らないが、その鳥かごには二匹のセキセイインコが入っていた。しかしいつの間にかセキセイインコは一匹になってしまっていたが、一匹になったタイミングもその理由も私は知らない。

存在感の薄いおとなしい鳥だが…

セキセイインコの世話については、社員たちが当番を決めて、丁寧に鳥かごを掃除し、マメに水や餌を交換していた。私が偶然目にした時も、いい加減な世話ではなかったように思えた。とはいえこのセキセイインコは、社員同士や、社員と来客の間で話題になるような特異な存在ではなかった。
セキセイインコの鳥かごと私の作業デスクはちょうど部屋の対角線上にあって、会社のメンバーの座席の中では、私がセキセイインコに一番遠い位置にいた。私一人が残業することになって、部屋の中に私以外の社員がいなくなると、セキセイインコはくちばしと足を使って鳥かごからほとんど音を立てることもなく、ゆっくりと床に降りてくる。床に降りたセキセイインコは、それからゆっくりと部屋の対角線上を歩いて、私のデスクに近づきやがて私の靴の上に上がってくる。

そして、私のチノパンの一番下から、くちばしでチノパンの生地をくわえて上へと昇ってくる。さらには、私のジャケットに乗り移り、次は私のジャケットを上へ上へと上っていくのだった。この辺りまでは、セキセイインコと私は直接的には非接触なのだが、ジャケットを上り詰めるとやがて私の顎に到達する。次にセキセイインコは、私の顔の上の延びたもみあげや、鼻の下の中途半端に延びた髭などを伝って、私の頭頂部を目指すのだった。その過程で私の頬の皮の上を上ることがあり、その際には私の顔の皮膚をつつき乍ら、時に少し強く咬む。途中で私の顔に架かっている眼鏡のツルで小休止したり、頭髪をつついてあくまで頭頂部を目指していくのだった。そしてついには私の頭頂部の定位置に収まり、そこで私の頭髪をくわえて、残り少ない頭髪を没収しようとするのだ。

思えば至上のパートナーだったセキセイインコ

愛情を込めた仕草はなかった。私が仕事をしている間は、私と共同作業をするようにいつも私の頭か顔の上にいる。この一匹と私との奇妙な習慣は、何年間にもわたる共同作業だったので、すべてがルーティン化されていて、ひょっとしたらそれなりに懐いているのではという感覚はあったが、どちらかというとセキセイインコの習慣やクセといった視点で理解していたのだ。私が帰宅するときは、肩や頭にとまっていたセキセイインコを鳥かごに戻すようにしていた。鳥かごには閉じられた扉はなかったので、そのままにしておけば鳥かごに戻るのではと思ったが、セキセイインコを鳥かごに戻すのが私のルーティンで、私なりのセキセイインコに対するリスペクトの在り方のように感じていたのかも知れない。

そんなある日、事務所に出かけるとその日は私が一番早い出社だった。普段はそんなことは気にしないのだが、その日に限ってなぜかセキセイインコのことが気になって、鳥かごを覗くと止まり木にもいない。さらにかごに近づいてみると、セキセイインコは鳥かごの床の上で冷たくなっていた。それを見ながら、私はなぜか堰を切ったような突然の悲しみに襲われ、頬を涙が流れるのを止められなかった。セキセイインコは、社内でも話題にもならない小さな存在だったが、その時私は、セキセイインコがいつも私に、最大限の愛情を与えてくれていたことに気づかされたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?