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子どもの頃の記憶: 母の狂気

子どもの頃の記憶。

子どもの頃というのは
自分の家が、自分の家族が「普通」だと思ってるから
大人になって思い返すと全く普通ではなかったことが
たくさんある。


機能不全家族で育った元子どもたちにとっては
あれは普通じゃなかった、と気付くことが
大事なことなんだろう。


私の母は本当に飾り気のない人で
化粧もほとんどせず、
申し訳程度に粉をまぶすくらいしかしない人だった。

質素、倹約、清潔。
そのかたまりみたいな人だった。


どんな子どももそうなんじゃないかと思うけど
私はきれいな人や可愛い人が好きで憧れていて
幼稚園の先生や近所のお姉さんなど
美しい人をみると
「きれいだね」「びしんだね」とよく言っていた。

母は華美な人を毛嫌いしていて
「あんたは見た目しか見てない!人を見る目がない!」
「あんなケバケバしい人、みっともない!」などと
よく言っていた。

母は「そのままの美」みたいなものに価値を感じて
それを追求してたのかと思ってたけど
今になって思うと
ただの僻み、妬み、嫉妬だったのだとわかる。

時々思い出すのが、
母が外出、とくに特別なおでかけやハレの日のような行事を嫌っていて
「私はそんなところに行けるような服を持っていないから行けない!」
「ちゃんとしたバッグがないから出かけられない!」
「私は着て行く服がないから参加できない!」
と言って行くのを拒んでいたことだ。

他の家族はその心境を全く理解していなくて
「そんなの何着たって一緒だ」
「新しく買えばいい」
などと言っていたが、
母の拒みは一層激しくなり、ヒステリックに
「行けない!」「買うお金なんてない!」
と喚き続けてた。

私が大人になってからも同じような言動は続いたが
一緒に服を選んであげたり、
着てみたものを「似合ってるね」とか
「それすごくいいと思うよ」と言ったりすると
意外とすんなり出かけることがあったりした。

今になって思うと
母の気持ちが少しわかる。
とにかく自分に自信がなくて
何をやっても不十分に感じて
どうしようもなく人目がこわかったんだとわかる。

誰かに認めて、励ましてもらいたかったんだとわかる。

それでも、子どもの時の私には
「全然大丈夫だよ」とか
「お母さん何を着ても似合うよ」なんて
言える知恵はなかったよ。
私が子どものとき、そんな風に言ってくれる人はいなかったんだから。知らない言葉は言えない。

私が大人になってから母に言ってあげた言葉、
「すごく似合うよ」「素敵だね」
「それいいじゃん!」

その言葉は全部、
私の友達たちが私にかけてくれた言葉。
私に教えてくれた言葉だ。
会うたびに良いところをみつけて、励ますように褒めてくれた大事な友達。
母にはそんな友達がいなかったんだろうか。


今になると母の気持ちは少しわかる。
けど、自分がかけてない言葉を私からもらおうとするのはずるいだろう、見当違いだろう、とも思う。


いつかそんなことも含めて
わかって許して認めてあげられる日がくるんだろうか。

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