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いよわ×ポケミク「たびのまえ、たびのあと」考察・論評

はしがき

 本記事では、ポケモンと初音ミクのコラボレーション企画「ポケモン feat. 初音ミク Project VOLTAGE 18 Types/Songs」において投稿された楽曲「たびのまえ、たびのあと / いよわ feat.初音ミク」について、筆者の感想を述べるとともにちょっとした考察を行う。ただし、考察において述べる主張はあくまでも確定事項ではないことにご注意いただきたい。


本編

 まず、本楽曲の英題である「Journey's Prequels, Journey's Traces」を見てみよう。「prequel」は「ある物語の前日譚」というニュアンスを持つ単語であるが、「trace」の和訳は「跡」である。また「trace」には「図を描く、スケッチする」という意味もある。したがって、本楽曲は日本語のタイトルでは「前‐後」という対比になっている意味だけを読み取ってしまいがちだが、「跡(=レポート)」「スケッチ」と掛かった複数の意味を含んでいると私は考える。これからその論拠を示していく。


 作者本人のコメントからもわかるように、本作品は旅そのものの内容というよりもむしろ、旅、あるいは旅をする人への憧れというものに主題を置いている。このことは本作品を特徴づける大きな要素であるといえる。

 本作品で描かれているのは旅の最中ではなく、旅の前日譚である。そしてMVの初音ミクは「先をゆく誰か」の冒険、その跡を見ることでポケモンの世界に親しんでいる。このことは全体の歌詞を参照されれば明らかであろう。MVで、ポケモンの顔「ピカチュウ」の進化前であるピチューがメインに据えられているのは、旅に出る前の段階の幼いミクを象徴するものだろうと推察できる。

書き残したレポートが
旅に出る前に 埋まっちゃうから

たびのまえ、たびのあと / いよわ feat.初音ミク

 上に歌詞の特徴的な部分を抜粋してみた。レポートはふつう、旅を行った後に書くものだが、ここでは逆説的に「旅に出る前に」レポートが書かれている。MVのミクにはクレヨンで紙に絵を描く描写があるが、これは先をゆく誰かの旅をなぞるとともに、自分がどんな旅をしたいのか、想像を膨らませてスケッチをしているものだと考えられる。このような「スケッチ」の意味がタイトルに込められているように私は感じた。


今 想像を超えたことが
借りたひとかけらで
起こっちゃうかもしれないよね

たびのまえ、たびのあと / いよわ feat.初音ミク

 上で引用した歌詞の一節の「借りたひとかけら」とは何を表しているのだろうか。本作品が「自分ではまだ旅ができない」段階を描いていることに照らし合わせれば、おそらく借りるのはゲームカセットのことだと考えられる。いずれにせよ、ポケモンのソフトを持っていない子どもの心情にあえて着目したこの作品は独創的であり、とても新鮮味を感じるものだ。このようなアイデアを生み出し、情緒豊かなアニメーションとともに形にしたいよわ氏にはただ感嘆するばかりである。


 本楽曲は「憧れ」という感情が持つ大きな原動力について表した作品だと考える。先人の通った道の跡をなぞり、憧れて夢中で真似して、いずれ自分も旅立っていく。このことの感動は、いよわ氏本人のコメントの通り、平行的に創作活動にも通ずるところがある。同氏は自分も誰かの先をゆく存在になれるようにと願いを込めてこの楽曲を作ったのである。私はこの「憧れ、憧れられ」の連鎖に、胸が躍るようなロマンを感じられずにはいられない。本楽曲はそんな魅力が詰まった作品なのである。


あとがき

 本作品の投稿日である2/27は、初代作品『ポケットモンスター 赤・緑』の発売日でもあり、「Pokémon Day」として日本記念日協会により正式に認定された記念日である。よって「ポケモン」ファンにとっては特別な意味を持つ、大切な日であることは間違いないだろう。かくいう私も7、8歳の頃から長らくポケモンに触れており、このような日にいよわ氏が素敵な楽曲を投稿されたのは喜ばしい限りである。最後に、ここまで読んで下さった読者には深く感謝を申し上げる。

波方(@Xb9Xu)