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偉いとか偉くないとかが日本をだめにする

「偉い」の意味

⇒普通よりもすぐれているさま(goo辞書より)
1.社会的地位や身分などが高い。「会社の―・い人」
2.人間として、りっぱですぐれている。「苦労しただけあって、―・い人だ」

「偉い人」と聞いて多くの人は1.の意味で

・会社の上司
・両親
・学校の先生
・政治家
・歴史上の偉人

あたりを思い浮かべるだろう。

それではこれらの人たちは、2.の意味で、立派で優れているのだろうか?

将棋の駒にたとえて見る

「歩」という駒がある。一番、盤面にたくさんある一番弱い駒だ。

それに対して、「飛車」や「金銀」などは、強い駒であり、明らかに歩よりも優れているといえる。

仮に今が戦国時代のような状況であれば、軍師や将軍の方が1兵隊よりも明らかに優れていたため「偉い」といえる。

しかし現代においても同じだろうか?

「偉い」の定義が変わってきている

一般的な会社であれば、平社員より係長、係長より課長、課長より部長が偉い、ということになる。

しかし、昨今、ビジネスの内容が急速に変わることで、これまで主流だったものが陳腐化したりする(例えば、良いガラケーが作れる技術者よりも良いスマホを作れる技術者が評価され、ガソリン自動車のエンジニアよりも電気自動車のエンジニアが評価されるなど)

また、役職だけでなく、長く働いている人や、年収の高い人がこれまでは「偉く」なりがちだったが、そういう人たちが必ずしも優れているとは言えないことが増えてきたのではないか。

ビジネスの変化に会社(社会)が追いつけていない

そうはいっても急にこれまで培ってきた「偉い人」の決め方は変えられない。

その結果、若くて年収が低く社歴の短いエンジニアが作ったものがすごく会社に貢献していても、彼よりももっともっと偉い人より高い評価(給与)になることはあり得ない。

それだけならまだしも、時代の変化についていけず間違った判断をするような上司に権限があり(なぜなら偉いから)、その下で結果を出せずどうすることもできない部下がいる組織が、結果を出せなくても当然である。

理想はプロスポーツチーム

スポーツを例に取ると

ピッチャーはキャッチャーより偉いだろうか?

センターフォワードはキーパーより偉いだろうか?

そんなことはない。

1人1人が仕事のプロフェッショナルであれば、年収や肩書の違いはあれど、それぞれは役割であって「どっちが偉い、偉くない」ということではない。

社長だって人間だから間違えることがある。今日入ってきた社員がめちゃめちゃいいアイデアを持ってることもある。若手や部下の意見に素直に耳を傾けることがどれだけできてるだろうか。

こんな誰の意見が正しいか分からない時代だからこそ「偉い」「偉くない」を排除し、フラットに協力しあえることが、正解に近づける一番の近道ではないだろうか。

そこが今の日本の社会には足りないように思う。

おしまい。

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