「ひぐらし」「うみねこ」問題

毎週『ひぐらしのなく頃に業』が楽しみ過ぎる男。

そろそろ終盤が近いので考察も煮詰まってきて、今一番面白いコンテンツの一つであることは間違いない。
今回「ひぐらし業」の考察では同作者別作品の『うみねこのなく頃に』の設定が流用されているんじゃないかと語られることが多い。
ここで「ひぐらし」「うみねこ」問題について僕の思ってることを書きたい。

よく「ひぐらし」と「うみねこ」を表した言葉として
・ミステリーに見せかけたファンタジーが「ひぐらし」
・ファンタジーに見せかけたミステリーが「うみねこ」
って言うのだけれどちょっと個人的には意味合いが違う気がしている。

この「ミステリーとファンタジー」をそのまま「現実と虚構」と読み替えると、
・現実の世界を虚構の中で救う「ひぐらし」
・虚構の世界を現実の力で暴こうとする「うみねこ」
という解釈をしている。

少年少女が起こす疑心暗鬼・発狂・凄惨な事件の真実は村に蔓延る寄生虫が見せた幻覚のせいというのはミステリーとしては言ってしまえば三流だ。
しかし00年代、世の中への希望が失せて、立ち向かう敵もいなくて、仲間同士殺し合うことしか出来ない当時の病んだ若者たちにはみんながみんなを信じれば奇跡を起こせるというファンタジー(虚構)は多くの支持を得た。

しかし次回作の「うみねこ」はその逆だ。
魔女が見せる幻想描写を主人公の戦人が「青き真実」で虚構を破壊していく物語だ。これは要するにフィクションの虚構に捕らわれた僕たちオタクに対して現実を突きつけている訳だ。常にアニメに溺れて幻覚を見ている僕らを起こしにきた。そう感じた。
だけれど後半になってそれが一変してくる。
みんなが大切に守ってきた幻想・虚構を現実で暴くことが正しいのか?
そんなことをするべきではないと。そんなのは知的強姦だと言い出した。

これが竜騎士07の作家性だと思っている。

もちろんミステリーだと思って頑張って推理していた読者はうみねこに怒る理由も大いに分かる。だけど僕は、やはり作家主義のオタクとしては「うみねこ」「ひぐらし」で描かれている「現実を乗り越えるための優しい虚構」こそ竜騎士07先生が描きたいメッセージをだと思っている。


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