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推しってなんだ

インターネットにしか居場所がないのに、インターネットスラングを嫌うどうしようもないヒネクレ人間なので、「推し」という言葉に未だに抵抗感を覚えている。

推しってなんなんだろうな。
多分、言葉として一度も使ったことがない。
最近では普通に日常会話でも聞くようにもなって、そのたびなんかモゾモゾしたりする。僕にとって、アレ特有のこだわりの強さが最も発揮されるのが日本語かもしれない。こんなあまりにも生活にありふれたものからいちいちスリップダメージを受けてたら、そりゃあ社会に適合出来ない訳だ。

昨日自分の好きなものを誰かに勧めたい・共有したいという話をしたけれど、これが「推し」ってやつなんだろうとは思う。
しかし使いっぷりを見ていると、「推し」という言葉の対象は人とかキャラクターにあるのが主な使い方のように見える。発祥がドルオタからだからそれが正しい用法なのだろう。

単に好きという意味で使われているとしたら、好きな作品のキャラクターも数えきれない程いるのだが、しかし作品とは違い、自分の好きなキャラクターを誰かに「推し」たい思ったことはないかも知れない。

その明確な違いはというと、客観的か主観的かによるところが大きい。
僕の中では作品の好みは客観的だが、キャラクターの好みは主観的だ。
食べ物で例えるならば、作品は「チャーハンとカレーとラーメンどれが好きか。」だ。これは明確にもともと全く違うものなので、それぞれ比較をしてどういう点が優れているか、見た目とか価格とか材料とか作り方とか客観的な要因で示しやすい。
しかしキャラクターは「どこの店のラーメンが一番おいしいか。」だ。
これを客観的に示すのは難しい。何故なら客観的には同じようなものから選ぶとなると味覚という好みから選ぶことになるため、主観性の占める割合が高いからだ。

だからキャラクターを推したことはない。
そんなものは立て板に水の水掛け論だ。
自分だけが好きでいればいいだけだ。
だから誰かに強要する必要もない。
人の好みを理屈に押し込めることは出来ないのだ。



おまけ

今日節分の日だってさ。知らなかったよ。

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パンってかいてあるパン屋でパンを買って食べました。
美味しかったです。

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焼きそばにバリエーションが欲しくてオムそばを作って食べました。
美味しかったです。



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