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56.ズバリ保育観&価値観4900億⑤『お手伝い』はしない。【その3】

お手伝いすると、気持ちがいい。

そう思うものです。喜ばれるなら、またしよう。

お手伝いを求めてる人はいないか、

自分が手助けできることはないかと、

誰かの『やりたいこと』を探すようになり、

それが上手になります。お手伝い出来ることを、

自分が探して、見つけて、お手伝いして、嬉しい。


      それはやがて、


お手伝い、人の役に立てることが、

私のしたいこととなっていくでしょう。


    まわりからの評価は、優しい。

     になるのかもしれません。


   でも注意して欲しいのです。

何か虚しい、1人の時はなにしたらいいんだろう、

今さら後戻りできない、これが自分のはず、

誰かの笑顔が見れるなら幸せ。見れないなら?

誰かの笑顔を作るのが喜び。作れないなら?

お手伝いが出来たら幸せ。お手伝いがなければ?


       『お手伝い』。

あなたは、『お手伝い』というワードについて、

使い方を考えてみたことはあるでしょうか。


何故私が、テーマにしてまで『お手伝い』のワードを意識しているのか?


それは、私が小さい頃から『お手伝い』というワー

ドに触れることが少なかったからだと思うのです。

そして、近頃、【お手伝い』というワードを頻繁に

聞くようになって、

どうも『お手伝い』が、しっくりこない自分がいる

ことに気づいて、書こうと思った次第です。


   ここで私の小さい頃の話をします。

それでも、洗濯や、風呂掃除や、お米を研ぐ、ゴミ捨て、ちょっとしたスーパーへの食材の買い物は、小学校の頃からしていました。

お手伝いとは、お手伝いであって、家事だけに限らないものですが、

振り返ると、お手伝いをした記憶が、これといってありません。

そして先に挙げた、洗濯などは、お手伝いという意識はなく、やらなくちゃ生活が成り立たないから、
自分のやることとしてやってました。

親の手伝いではありませんでした。

家事は親のやることじゃないからです。

洗濯された服が着たいから、洗濯をする。

食べたいからご飯を炊く。

稼ぐことはできなかったので、自分の出来ることは

やりたかった。

おかずを作ることは、なかなか手が進まず、

母や、姉、兄が、作ってくれるのを見ていたり、

やれることを見つけてやったりしていました。

野菜の皮を向いたりキュウリのアクを取ったり。

一緒にやってる感覚でした。

  手伝いの感覚はありませんでした。

   やりたいことだったのです。

   自分でご飯を作りたかった。

 自分の作るご飯が家族のご飯になるなら

作りたかった。味付けも、盛り付けまでを

自分で切ったり、味付けしたり、作りたかった。

でも、失敗したら、家族のご飯がマズくなってしま

うので、やりたかったけど、びびって、どうしても

なかな手が伸びなかった。

食べられなくなるほどの、焦がしや、調味料の入れ

過ぎは、もったいないので、避けるために、やら

なかった。

でも、少しずつ少しずつやれば良かったなと、

思っている。

1グラム、一粒、一欠片。ほんの少しの、材料で、

光熱費は目をつむって、自分が食べる分だけでも、

料理をチャレンジ練習をすれば良かった。

その発想さえ浮かんでたら。

でも、ガス代をきにしていたその頃の自分は、

それが精一杯だった。


ここで大切だと思うポイントがあります。

【手伝って』と言われた記憶がない。


やりたかった。

出来るようになりたかった。


私は、お手伝いして欲しいと、言われて感じるとる、メッセージがありました。

     『一部をやって』

   『一部さえやってくれたら』

   『後はこっちがやるから』

  『それだけやってくれたらいいよ』


、、、、、、、っと、また尻切れトンボです。


さて他にどんなメッセージを、私は感じとっていた

でしょうか。想像してもらえますか。

また、次回投稿まで、自由時間です。
(言うまでもなくいつでもあなたの時間です😊)

ありがとうございました😊

【その4】を、楽しみにしてもらえたら幸せです😊

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