見出し画像

ーーー「これからのIT教育論」ーーー

ITってつまり何かっていうと「通信技術」だと思うんです、だからあくまでコンピューターの話に限らないと言うか、コミュニケーションレベルの話まで議論の的にしたいなって思うんですよ。
 
コンピュターを使うのも人間だし、最終的な出口は人間が恩恵を享受することにあるわけだから、情報の通信というのは入り口も出口もつまるところ人間のためのものなので、人間にとって良いものである必要があると思うんです。
 
だから、テクノロジーを素早く発達させること、他国や他社よりも技術が高度であることは、無条件に良いことであるかはわかりません。
 
つまりネットや技術のどのような向きの発達が、人間にとって幸福をもたらすかを考える必要があると思うんです。
ただ単に、経済競争に煽られてより売れる技術や製品を作っているのでは、テクノロジーを使っているのではなくテクノロジーに使われる側だと言えるのではないでしょうか?
 
人間にとって、情報技術・通信技術がどのようにあるのが良い状態といえるか?つまり、人間とテクノロジーの良い付き合い方とはなんだろうか?これを考えることがとても大事だと考えています。
 
これの一端に #メディアリテラシー の問題があると思います。
 
たとえば【スマホ依存】は、単純に技術の発達と、人間の行動心理をついた商品の戦略が生んだ結果です。
たとえば、スマホ依存がどれだけ人々を害しているかはっきりとした説明がつくならば、これは【公害】と同じ現象ではないでしょうか?
 
工場の排煙で周囲の環境がわるくなり、近隣の人たちが肺炎になってしまうように、SNSアプリの依存性の強い設計のせいでユーザーがストレートネックや睡眠障害で苦しむ、これらの出来事は似ていると思いませんか?
差があるとすれば物理か情報か、つまり触れるか触れないかの違いでしょう。
 
このようにITにまつわる環境が、実際に我々の生活に及ぼす影響に関しては「目に見えない」ことがほとんどなので、議論が軽視されがちだと思うのです。
こういった目に見えない「情報」というものを一度みつめなおして、その影響をよく調べて正しく使う必要があります。
 
具体的なところで言うなれば、
・オンラインで居続けることが精神に影響を及ぼすのか
・テキスト上で交わされるミスコミュニケーションとそれによる人間関係の不和をどう解消するのか
・アプリやサービスの設計における倫理観が必要です。
・AIチャットボットをそれと公開せずに使用することは人道的であるか
・企業や国はどの程度の情報を独占する権限が認められるべきか
・どのような情報が誰からも独占されず公共的にとり扱われるべきか
・どのような情報はプライバシーとして管理されるべきか
 
これらのような、まだ現状でも未発達な倫理観を、教育として子供達に落とし込むことは実に難しいように見えるけれども、実は子供達のほうが正解に近いところにいる可能性があります。当人である子供達の意見を聞き、一緒に考える、そんな教育がいいのではないでしょうか?
 
※参考(Google Science Fair "Rethink project")
 
「子供と一緒に考える」部分に関しての必然性について、論理立てて考えているわけではないのですが、逆にアンチテーゼとしては十分なりたつと考えています。それは子供達には投票権もないし、教育現場や指導要領に対して意見する立場にないからです。

社会を作っているのは「大人」であって、大人のための社会というところからは逃れられないはずです。どれだけ大人が「子供のために」と言ったところでそれは「大人が子供のためになると思っている」だけのことです。
そして大体の場合「子供が大人になった時のため」のものです。

子供達が何を学びたいと思っているか、どういう学びを求めているのか、どういう教え方や学び方が楽しいのか、前向きになれるのか、「将来」というものについてどう考えているか、学校や教育というシステムに【子供達からのフィードバック】が必要だと思いませんか?

常に錯覚しがちなことですが、大人は子供に「過去」を見ます、つまり自分が「子供だったころ」です。それはとてもナンセンスで、子供達は今の時代を大人と共に生き、今の社会を見て、今の社会の風に当たっています。
彼らがどう感じているのか、知りたいと思いませんか?

特にIT分野に関しては発達がめざましく、動きに時間のかかる公教育は、IT分野の変化に俊敏に対応できません。
そこにつけて、発達段階の子供達の吸収力のすごさです。IT分野に関してはすぐに「大人はわからないけど子供や若者のほうが詳しいし使い方もうまい」になりそうです。

では公教育が管理し損ねる、新しい分野や新しい文化・価値観を子供達に正しく伝えていくのは誰の役目でしょうか?
これによって公教育を非難するのはよくないと思っています。公教育には公教育の役割と責務があります。
(※誤解されがちなところですが、義務教育課程において、勉強は手段であり目的ではありません。これは文部科学省の「学習指導要領」をよく読めば理解できることです。)
 
ではどうすればいいのか?
このために、「コミュニティスクール」という考え方を採用します。日本では、いま原義とはやや違った意味で使われていますが、「寺子屋」などは原義で言うこれにあたるかと思います。
 
コミュニティスクールという考え方は「地域社会そのものが学校である」という考え方です。学校や保護者や教師だけではなく、子供達は社会の未来である以上、子供達は社会のみんなで育てるべきものなのだと思うのです。
 
これをいうと「教育以外もそうだ」という意見もあろうかと思うのですが、教育とうものがどれほど重要なものかをきちんと知る必要があるかと思います。
これを一口に語るのは困難ですが、教育が社会に及ぼす影響の大きさを知るためには歴史から学ぶことができます。
 
社会への影響の話に限らず、本人の発達にももちろん大きな違いを産みます。
やや理的に考えます。もちろんDNAや遺伝などの因子も大きく影響しますが、発達段階の環境因子もかなり大きく影響します。
「三つ子の魂、百まで」は、大脳の発達課程を見ても事実であるとわかります。
 
人間の脳の発達は、3歳ごろまでには大脳、小脳、脳幹という基本構造がほぼできあがります。 さらに、子どもの脳は6歳で大人の脳の9割まで成長し、小学校を卒業する12歳でほぼ完成すると言われています。
 
この話をするとき「子供達の能力の話」にフォーカスしがちですが、よく考えてみてください。心理・精神の基礎もほぼこの発達段階で構築されると予想されます。
極論ですが「幸せになれる人」になれるかどうかはここで決まると言っても過言でないでしょう。
 
自己肯定感や、チャレンジと成功と失敗、愛憎、そういったものの基礎が脳機能と一緒に12歳ごろまでに構築されると思って間違いないでしょう。
つまり、基礎能力もさることながら、いかなるマインドセット(思考の癖)を構築するかもこの時期の教育が非常に大きく影響すると考えられます。
 
ボクが考える #これからのIT教育 とは、この発達段階に「情報倫理」というマインドセットとIT基礎能力を子供達に与えることです。なおかつ、子供達から見えるITの活用や、付き合い方をフィードバックし、地域社会を巻き込んで行うIT教育であり、これを現段階で可能な限り体現したものがEXA KIDSになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?