見出し画像

フリコが虹の橋をわたって2weeks passed.

2023/12/13.


今朝、とんでもなく泣けてきた。

今日は新月。
いつものように祭壇のお花とお水をそれぞれ替えて、かれこれ20年くらい続けている新月のお祈りを書く。

今日は久しぶりに朝から家に1人時間。しばらく自分以外の人の用事でバタバタしていてフリコが虹の橋を渡って以来こんな時間は久しぶりだった。

ふと思いついて、フリコの永遠の不在を認めてしまうようでずっと怖くてできなかった天国のフリコへゆっくりじっくり心を込めて自分の真実で話しかけるというのを初めてやった。日々フリちゃんには話しかけていたが、立ち止まってそのことだけをする、という時間も心の余裕もなかった。

そうしたら抑えていたものがどどーっと出たように喉の深い奥のあたりから嗚咽が止まらなくなって、朝のキッチンでしゃがんで1人泣いた。

新月や満月は、満潮や干潮があるように、月の満ち欠けが人の体や心に作用するのは自身の出産が早まって満月になった経験から知っている。

ヨガもムーンデイと言って気持ちやバイオリズムが揺れ動きやすく、普段よりもエネルギーが大きく動きやすい状態にあるため、思わぬ怪我やアクシデントにつながりやすいとされ、練習がお休みだったり瞑想クラスが持たれることが多いことを思い出す。

「わたし悲しいんだか悲しくないんだかわからないね」と自分の中から質問が来ていたばかりだった。体調や気分はすべて悲しいのに、なぜ頭は大丈夫なようにしているのだろう。料理のアイデアもうかばないし、子どもたちに聞かれることにもうまく答えられない。自然にできることは書くことと車の運転と掃除とお風呂に入ることだけ。

なんとかやってます      蝶より


先代のメッちゃんを亡くした時は自分がどのくらい取り乱していたか記憶にないくらい泣いたと思う。それが何日だったのか記憶もない。

でもその横には小さな息子がいたことを少し時間が経過してからふと我に帰った時におもったのだった。小さな息子はそれまでの人生で見たことのない死というもの。家族だった愛犬の死に加えて、母親が普段見たこともないように泣き崩れている場面を同時に経験したのだった。

親があまりにもドラマティックすぎると、子ども自身の感情表現に蓋をさせてしまうことがある。それは自分の経験でしって気をつけていることだ。そんな懺悔のような記憶から今回わたしは家族に対する配慮が大きかったのだとおもう。

夫の雪夫も年齢のせいか今回はかなりキテいる様子だった。彼は感情を揺らさない名人なのに。

気丈にふるまうことなんてナンセンスというのはわかっているつもりだったのだが、ボロボロでズタズタな時のロジックというのはなんだか変なものだ。

朝起きる時から寝る時まで、毎日わたしのそばにいたフリコ。
体調管理からすべてのことはわたしがやっていたし、そりゃあ悲しさが大きくても当たり前だよ、などと自分自身に話しかける。

でも自分以外のまわりの様々なことに良い顔をして対応しているうちに一番大事な自分の感情に蓋をしていたのに気づかなかった。

泣いていいし、感情を出していい。
その時々で気づいた時にそれぞれに対応していけばいい。
まわりが自分と違う受け止め方をしていても、それぞれの方法でいいんだ。

わかっていたはずだったのに毎回死と向き合うと違う感情がある。
だからこそ人それぞれでいいのだ。
そうおもった。

蓋を開けるきっかけはなんだったんだろう?と思えば、先日、数人に会ったことだった。こんなに早くにフリコが逝ってしまうとはゆめゆめ思っていなかったので入れていた予定だった。家にいるはずのものが居なくなるということは、家にいて日常を過ごしているといちばん辛い、というのが身に染みはじめていたので、そのまま予定を変えずに会って貰えたのがとても良かった。

それぞれ彼女たちは長いつきあいの友達。みんな動物が大好きで、それぞれに人間動物含めて喪失を経験している。美味しいご飯を食べながらの会話の最中には、フリコのことに大きく触れるわけでもなく、わたしも泣いたりしたくなかったので、フリコの話しを深堀りせずに、そのままにしてくれたことがとても有り難かった。帰宅してから友達っていいもんだなあと人間の良さをおもった。

そういう仲間の中にいると、まるで映画「アバター」で、みんなが癒しが必要な身体に触手みたいのを伸ばしていってエネルギーを与え、遂には生き返らせるようなことが起きるみたいなことを体感したような気がした。

みんながわたしの痛みをしって癒しの気持ちをもってそこにいてくれている。
見える人が見たら、みんなのコードみたいのが伸びてて、わたしにみどり色のエネルギーを送ってくれているみたいな感じだったと思う。

どの日も、帰宅したらすごく眠くなり、まるで身体の自然治癒力がぐんぐん効いて、どんどん治してくれているみたいに朝までグッスリと眠った。

北海道を代表するお菓子やさん
六花亭 札幌本店 喫茶室で食べた「冬至ぜんざい」
安定の素晴らしい美味しさ

ちなみにわたしは、なかなかそう見られないが、あんまり人との付き合いが上手なほうじゃない。激しく気を遣いすぎたり、テンパってやりすぎたりということもよくあったが、ようやくシニアエイジ近くになって「少しだけ出来るようになってきた」程度。過去には人との付き合いを疎ましく思っていた時期もある。でも人間って自分をしった上で、そしてまた再度自分のタイミングと場所で人に出会っていくことで偶発的に癒されるんだなぁとおもう。とてもありがたかった。

この時、もしかしたらロックされていた心の胸の鍵が開いたのかもしれないと思った。その翌日、寒気がしていたが熱はむしろ低いくらいでまったくない。わたしを心配した妹が源泉掛け流しの温泉に連れ出してくれた。そしてゆっくり半日いたらいつもはかかないような大汗をかいたあとに感情が戻ってきたのだった。

普段そこここに当たり前にあると思っている自然は実は当たり前ではないんだな。寄り添ってくれているんだと弱った心と身体でわかった。

今日は、なんとなくこの曲をおもいだしていた。


いま書きながら記憶が少し蘇ってきた。
そういえば先代メッチャンの時は、妊娠中つわりがひどいバージョンの悪阻と呼ばれる症状もあったし、上の子が初めての義務教育のはじまりで親としても小学校一年生だったので、1人の夜中のバスタイムでペットロスを癒したんだとおもう。あの時は、年齢も若く、人生経験も浅く、自分以外の人の喪失の場面に想いを馳せる余裕もなかったなあ。

でも今回は、肉体があるうちにリアルに人と会うこともしていこう、同じ感性や志をもつ人たちと。ハッキリそう思うようになった。

しばらくお母さんとして家族をサポートする人生だったが、フリコのためにも、先ずわたしが自分で自分を幸せにできる次の人生に移行しようと、悲しいだけで終わらせない。文字という自らが小さい頃から好んで使ってきたツールで、フリコのことを無駄にしないで自分にとって良い転機にすることでフリコの存在を自分の人生に刻んでおきたい、という不思議な気持ちがムクムクとわいてきている。

自分が新しいスタートだと思う時、人はいつでもまた再スタートを切ることができるのだから。

ありがとうございます(*Ü*)*.¸¸♪