Yoko xmas

writer(ライター) /北海道⇄ニューヨーク /パートナーの雪夫🧔🏽‍♂️/ミックスカルチ…

Yoko xmas

writer(ライター) /北海道⇄ニューヨーク /パートナーの雪夫🧔🏽‍♂️/ミックスカルチャーの男女🧑🏽‍🦱👩🏽‍🦱の子どもたちと犬のおかあさん/🧘🏻/🌿/👩🏼‍🌾/クリスマス愛が強めです

マガジン

  • me and my xmas

    xmasはわたしにとっては生活のキラキラであり、ハイシーズンに限らない一年を通したわたしの一部。 生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と義実家のあるニューヨークのブルックリンでの二拠点生活とこれからのことや、日本でのミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの子育てがひと段落したと思ったら、愛犬と高齢親の介護サポートがはじまり、先日、愛犬と母を立て続けに見送った50代後半から再スタートの記録。 まずはロゴスの世界からこんにちは。

  • 55からのわたしGOGO記

    どこへいくのか?わたしの旅よ。 でも旅はまだまだ続くのじゃ。

  • フリコ ノ キロク  我が家の元保護犬

    我が家の元保護犬フリコ。御年推定14歳。推定ポメラニアン。フリコの記録。

  • 《tiica》

    たいせつなたいせつな 小さいあなたへ 小さかったあなたへ 《tiica》はシンプルにその言葉の頭文字をとったもの 《tiica》には3つの《tiica》があります 大きい《tiica》 これは大きい人への《tiica》です 小さい《tiica》 これは小さい人への《tiica》です 寓話 《tiica》 夢の世界か まぼろしなのか もしかしたら本当にあったことか? そんな寓話の《tiica》です これは、わたしが子育て中に子どもたちへかけていた言葉、 出会った言葉たち、気づいたこと、ちょっとしたコツなどを わたしの子どもたちにと書き残していたものからはじまりました へえ、そんなおうちもあるんだなあと のぞいていってください もしかしたら小さかったわたしへ もしかしたら未来の小さいわたしへ その日その時の気分で、どちらでもお好きなほうを

最近の記事

  • 固定された記事

Yoko xmasについて

読み方は「ようこ くりすます」これを書くにあたって、あらためていままでの50年と少しの人生を思い出すに、(ちなみに写真は小さいころ、おたふく風邪をひいたわたし)わたしは文章と写真と映像で世の中とインタラクションしてきたのだと再確認しています。 小さい頃は人と話す時にはまず頭の中で文章を作って、前頭葉に書かれている文章をそのまま読み上げる様なそんな子どもでした。(もしかしたら今も?) かつて某デザイナーズブランドの店舗管理者時代にイベントの文章を手がけてからは、地元に招聘さ

    • me and my xmas

      春は冬の間に身体に溜まった毒を排出する時期でもあります。 桜が咲き始めてすぐの北海道は寒の戻りがあり、ここのところ風邪ひきさんがまわりに増えています。そういうわたしも久しぶりに風邪をひきました。こういう時は症状を通じて身体が話しかけてきたと考えて、その声を受け止め、ゆっくりと休むしかなくなるので、すべてのやるべきと思っていることを手放して、休養と治癒に専念します。 春の満月のピンクムーンのエネルギーと満開に咲いた桜の花の香りを感じながら、風邪でぼんやりとしたあたまで「わた

      • me and my xmas

        北海道は春。 例年よりも2週間くらい早い桜が咲いてきました。 地道な地震活動で少し南へずれちゃったのか?と思うほどに、なんとなく雪国の気候も少しだけ変化している様に感じています。 xmas xmas 人が亡くなった後の事務的な忙しさ  先日、母の四十九日が終わりました。亡くなった直後からのこれまでの日々、特に遺産相続人がたくさんとかじゃないのに本当に事務的なことに時間が取られるんだなあと改めて思っています。 これは必要な提出書類というのが場所によって異なる(写真付

        • me and my xmas

          生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と義実家のあるニューヨークのブルックリンでの二拠点生活とこれからのことや、日本でのミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの子育てがひと段落したと思ったら、愛犬と高齢親の介護サポートがはじまり、先日、愛犬と母を立て続けに見送った50代後半から再スタートの記録。 まずはロゴスの世界からこんにちは。 新しい形での発信をスタートします! なぜ xmas(クリスマス)? わたしは小さい頃、クリスマスがなかったおうちで育ちまし

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        Yoko xmasについて

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        • me and my xmas
          2本
        • 55からのわたしGOGO記
          17本
        • フリコ ノ キロク  我が家の元保護犬
          20本
        • 《tiica》
          3本

        記事

          ようやく春

          北海道は、ようやく春の日差し. 船の甲板みたいな我が家のベランダガーデンも始動準備だ. 冬囲いの中のベリーたちは今年も実をつけてくれそう. でも、生粋の道産子としての季節予報の見解としては もう一回くらい寒の戻りがありそうな気がして慎重に進めていく. 息子のドレッドヘアをカットしたものを ぜひとも鳥たちの巣作りに使ってもらおうと 鳥たちが居た痕跡のある場所へ置いておく. あたたかいよ〜使ってねーと とりあえず声をかけておく. フェルト状になった髪の毛はき

          ようやく春

          プチポルターガイスト体験 親を見送る

          先月の末に母を亡くしました。 その前の前の前の月には、わたしの心の一部であり同志でもあった愛犬を見送ったばかりだった。 元保護犬でしたが完全にわたしがあの子に保護されていた側でした。 なんだかなーという言葉が今の感情を表現するのに結局は一番しっくり来るような気がしている。 死がいきなり自分ごとになると、いろいろなことが腑に落ちるし、目の前で自分の映画を見ているみたいで、頭の中がずーっとずーっとボンヤリしてしまうのだけど、このボンヤリ時間を過ごすことはとても必要な大事なことな

          プチポルターガイスト体験 親を見送る

          大切な存在が亡くなった後に感じたこと/癒された動画 親を見送る

          昨年11月末に、心の友で同志でもあった元保護犬の愛犬が亡くなり、 母が数年前に発覚した病気が悪化して、12月末に再入院。 今年の2月末に亡くなりました。 こういう立て続けに大切な存在を無くした経験談を見聞きしたことは過去にあっても その時その時に自分なりに相手に心を尽くしたつもりでも、残念ながらどこか他人事だったんだなあと、 大切におもっていたその人と同じように悼むことは、どうやっても出来るわけがないという、なんともいえない無力感があったけど、 その立場になってみ

          大切な存在が亡くなった後に感じたこと/癒された動画 親を見送る

          母が永眠しました 親を見送る

          昨年の11月にかわいがっていた家族の一員の愛犬を亡くしたばかりだったのに、母まであちら側にいってしまいました。 母は、数年前、コロナ禍で救急搬送されて何度やってもPCRは陰性、からの間質性肺炎が発覚。 幾度かの緊急搬送も、本人は元看護師長だけあって毎回自ら医師と治療方針などを納得いくまで話し合い、時に交渉し、最期まで自身がモットーとしている『医食同源と人間らしい尊厳の大切さ』を出会う全ての人に体現しつつ、毎回不死鳥のようにカムバックしてきては周りの人を驚かせてきました。

          母が永眠しました 親を見送る

          雪で出来たト音記号🎼 小さな姉妹の大冒険

          私たち姉妹がまだ小さかった頃 きっと小学ニ年生と幼稚園とかだったか もしかしたらもう少し小さかったか しばれる北海道の1月はじめに お正月にもらったかわいい額のお年玉を握りしめて クラシック好きの母の誕生日プレゼントを 思いついて2人だけで買いに出かけたことがあった。 はじめてのことだった。 あの頃は交通手段はバスのみで 家から大人の足でも15分はかかる バス停まで歩いて行って 目的地のレコード屋さんがある中央通り10丁目の壺屋ビルまで バスで15分

          雪で出来たト音記号🎼 小さな姉妹の大冒険

          フリコが虹の橋をわたって 2month passed. 不思議な話し③ Twinkle lightと北海道の真冬に出現したアゲハ蝶のその後と

          フリコは猫飼いさんたちにも人気があった。 もれなく「猫みたいだ」と言われた。 犬も猫も1匹1匹性格がちがうし、人間と同じく様々なこともあるなあと思う。 静かにあちこちにいた猫のような犬のフリコ。 ジャンプ力も猫相当で、我が家に来てまだ間もない時に来客時にマンションの玄関からスルリと出て行って非常階段から一気に半階下の踊り場まで飛び降りたことがあった。もうダメた!と思って泣きながら抱っこしにいったたわたしを「なにか?」と言いたげにキョトンとした顔で見ていたフリコ。わたしたちは

          フリコが虹の橋をわたって 2month passed. 不思議な話し③ Twinkle lightと北海道の真冬に出現したアゲハ蝶のその後と

          フリコが虹の橋をわたって 49日 フリコと娘の深い絆と不思議な話し②

          今日で49日。 49日って1週間が7回過ぎたってことなんだ!とこの年齢になって初めて気づく。生きている私たちが心を少しだけ穏やかにしていくのに最低限の必要な時間が49日だとも聞いたことがある。 家族で話して49日を迎えるまではそのままにしておこうと置いてあったフリコの身の回りのもの。 フリコが使っていた食事台は娘が中学生の時に学校の木工作の時間にフリコのために作ったもので、それは思い出が深すぎるので亡くなった後すぐに祭壇にしていた。 フリコのベッド。これはベッドとは名

          フリコが虹の橋をわたって 49日 フリコと娘の深い絆と不思議な話し②

          フリコが虹の橋をわたって1month passed. 蝶、その後.

          ふわふわの家族がいる人にはお馴染みの、夜にみなが寝静まったあとに何やらしているカサカサ音はたまにまだ聞こえる。 かなりおばけになって出てきて欲しい気持ちはあるけれど、いまだに姿は見れていない。 出現から19日が経った天国のフリコからの使者さまは元気にお過ごしです。 春までお家の中で生きれたら最高だけど、今ここは真冬の北海道。 山の学校に通った子ども達の昆虫採集以来かと思われるが、どうなるかわからないからこそ蝶生をできるだけ楽しませてあげようと、ネットの情報を参考にさせても

          フリコが虹の橋をわたって1month passed. 蝶、その後.

          フリコが虹の橋をわたって3weeks passed. 不思議なこと①

          ここ最近のわたしの口癖は「仕方ない」。 いろいろフリコのことを思い出しては 「会いたいなぁ、でも仕方ないんだよね…」 と溜め息をつく。 「だってもう身体が無いんだし、天国に行くしかないんだもんね」 「もう苦しまなくていいんだもの、それがフリちゃんにとっては一番だよね」 そう言いながらまた「仕方ない…」。 でも「仕方ない」はマジックワードにもなっていて、今日あたりからは、そう言葉にしながら重い気持ちを一つ一つ薄皮を剥がすように手放していっている感じがしてきた。 言葉にするこ

          フリコが虹の橋をわたって3weeks passed. 不思議なこと①

          フリコが虹の橋をわたって2weeks passed.

          2023/12/13. 今朝、とんでもなく泣けてきた。 今日は新月。 いつものように祭壇のお花とお水をそれぞれ替えて、かれこれ20年くらい続けている新月のお祈りを書く。 今日は久しぶりに朝から家に1人時間。しばらく自分以外の人の用事でバタバタしていてフリコが虹の橋を渡って以来こんな時間は久しぶりだった。 ふと思いついて、フリコの永遠の不在を認めてしまうようでずっと怖くてできなかった天国のフリコへゆっくりじっくり心を込めて自分の真実で話しかけるというのを初めてやった。日

          フリコが虹の橋をわたって2weeks passed.

          フリコが虹の橋をわたって10Days passed.蝶になってもどってきた?

          「ぎゃあああーーーどーーしてーー?」 早朝の我が家にわたしの叫び声が響きわたる。 「愛犬フリコが虹の橋をわたって最初の1週間は我慢していたけど、やっぱりマミー(我が家の家族のみなさんはわたしをこう呼ぶ)、ちょっとおかしくなっちゃったんじゃ?」という感じで家族がリビングに眠い目をこすりながらゾロゾロと集まってくる。 フリコが虹の橋をわたってから11日目。 朝、起きたら、居間の床に蝶がいたのである。 ここは北海道、北緯43度。お隣りはロシア。 本日の外気温は氷点下、ところに

          フリコが虹の橋をわたって10Days passed.蝶になってもどってきた?

          学び

          ( 写真は昨日どっさりと降った雪 ) 11月の末にわたしの愛犬フリコが急逝してしまった。息つく暇もなく、師走に風邪から後期高齢者の母が持病である今話題の間質性肺炎の悪化で緊急入院、在宅のこれまた後期高齢者(あと数年で100歳)の父の様々なことを姉妹でこなす。 わたしたちはプチシニア世代。自分のことでもかなり精一杯で自らの家族のことなど入れるともうヘトヘト。夜には電池が切れたように寝てしまうし記憶が飛ぶことも頻繁にある。 でも、自分の親って自分が体力があったり健康だったり