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スピードは僕を疲弊させる

まず僕が普段主張していないことをこの場で吐き出させてほしい。
情緒が安定している人間関係がしたい。

多くの人は冷静でないまま問題を声に出す。それが僕にとって危機意識や感情を揺さぶられるトリガーになるのだ。それはもちろんそうしたくてSOSを上げるのだから理にかなっているのだが、疲れた。僕も普段から色んなリスクや恐怖と立ち向かっているので、他人がそういうことをしてくるとイライラする。まあみんな大変なんだよな、と思うしかないのだが、ただでさえごちゃごちゃしている僕の脳内がよりごちゃつくので、できれば平和主義であまりあれこれデカい声で言わない人と一緒にいたいというのが本音である。

逆に、大事なことはぼそぼそ言わないでほしい。仲間外れにされている気がするし、僕はそういう人のところについていたいので…。とはいいつつ、これは僕も臆病だからやってしまう。この「この人と一緒にいたいから誠実な対応をする」というポジティブな捉え方は頭にストックしておこう。

ところで…

僕の頭がごちゃごちゃになる明確なパターンがある。同時に配られた情報を順番通りに処理する力が全然ないのだ。なぜか手順が1,2,3…とあるものを僕の脳内ではその順にひとつずつ処理できない。好奇心が抑えられないのかもしれない。これがこうなるとこうなるよね?と本に、上司に、家族に言われても、好奇心とかうまくできない焦りが出てくる。

もしかすると、すぐに処理しなければという思い込みがあるのではないだろうか。優等生に見られたいとか、すぐに結果が欲しいとかいう邪念がそうさせている可能性がある。しかしそれを見落として一瞬後にはパニックだけが知覚されるのだ。これでは何もうまくいかないと書いていて気が付いた。

さて、日々の一つ一つの行動を落ち着いて理性的に当たっていくには何が効果的だろうか。ひとつは、頭だけでなく身体を動かして脳内の情報処理速度と身体のペースを同期させることである。つい頭の中は早ければ早いほどいい、知的作業が多ければ多いほどいいと思っている自分だが、それはむしろ自分の幸福度を下げている可能性がある。必要なすこしの好奇心を手にしたら、やりたいことを少しだけ手につかみ、順番をよく理解して動作を行う。ハードウェアを触るとか軽作業や料理、お酒などを作るのがいいだろう。脳内にノイズがあまり出ないもの、出ても許容範囲で抑えられるもの、あるいは僕自身がこれはノイズと割り切れるようにチャレンジしていくのがよい。今日はここまでしか思考が及ばなかったがまあこんなもんでいいだろう、と毎日思うのが大切だ。でないと速さを求める本能と遅さを求める本能、僕の中の好奇心と臆病さが永遠にケンカし、気づけば疲弊してしまう。

結論、何かにつけて行動が遅い、周りに追いつけない自分がコンプレックスだからこそ、速さを意識してしまうのだ。しかしこの構図が無意識にある限り、スピードを出しても永遠に焦り、空回りし続ける。情報は出し続けていきたいが、実はそれさえもじっくりやってよかったという充足感よりは、これしかできなかったというタイムアタックに近い。これしか今日やってないよという感覚で生きているし、他の生産ができなかったことを悔やむ。それをつらさと取っている姿勢そのものが、僕を疲れさせているかもしれない。

そもそも時間を気にしないことを選択しているのであれば、作業したときはじっくりことに当たれたという充足感を、もっと大事にしてあげよう。


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