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「アポカリキシ・クエイク」序章(全セクション版)

1

「あれは、ただの地震ではない。『釈迦ヶ嶽雲右衛門』がロサンゼルスに現れたのだ」

谷松と名乗った老人は、そう、ぼくに告げた。

「………一応は知ってますけど、あれですか? あの大惨事が、その、江戸時代の力士によって?」
ぼくは彼の正気を疑った。そんなニュースは当然、どこにも見当たらない。

「そうだ。彼らは『見えない』。普通の人にはな。大地のエネルギーを感じ取れ……」
「帰って下さい! うちは仏教です!」

その時だった。地震が来たのは。

ごおおおおお・・・・ぐらっ、ぐらぐらぐらっ、ごごごごご・・・・・!!
ばりばりばりばり・・・・・ずずずずずずず・・・・みしみしみしっ・・・・!!

谷松は手から光り輝く力場を発し、ぼくをその中に包み込んだ。地震から守る、というだけじゃない。見えた。南海トラフの奥底から、巨大な力士が身をもたげた。そのビジョンが。

「見えただろう。そして、あれが『雷電』だ」
谷松はそう告げた。目に涙があった。

2

その時の地震は、そう大きなものではなかった。震度4、ぐらい。けれど、ぼくが感じた心的衝撃は……。

「雷電、ですか。『雷電為右衛門』。江戸時代の、史上最強の力士……!」

アパートの一室。谷松老人の力場のためもあってか、ものが倒れたりはしなかった。ぼくには……谷松の言葉が、もはや狂人の戯言とは思えなかった。あれを見た。体験してしまった。世界のほうが狂いだした。いや、ぼくの常識が、異常な世界から目を逸らしていたに過ぎない。世界はもともと、常識で図り知れるようなものではない。

「そうだ。釈迦ヶ嶽の師匠に雷電為五郎がいるが、そちらではない。南海トラフを揺り動かしたのは、為右衛門だ」
「なぜです。何百年も前の力士が、なぜ?」

谷松は、深い溜息をついた。ぼくの無知に呆れたわけではなく、心底深い問題を、一から詳しく論ずるために。

「彼らは、その本人ではない。普通の人には『見えない』、『大地のエネルギー』を感じ取れ、と言っただろう。霊的な存在なのだ。神がかった力士は神と、地霊と合一し、死後その情報は大地に刻まれる」
「……つまり、あれは、だと」

ぬるくなったお茶をすすり、谷松は頷いた。そして、滔々と喋りだす。

「そのようなものだ。多神教で言えばだが。―――いや、仏教やバラモン教、ヒンドゥー教では、あれらを阿修羅(アスラ)とも呼ぶ。地下世界パーターラを支配し、地軸を動かし、天上界の神々の支配を揺るがす悪魔と。そうした側面もある。オリエント、ギリシア、ケルト、北欧……世界中の神話に現れる巨人族。それは、力士のことだ。仏教では彼らを護法善神として取り込み、金剛力士……いわゆる仁王としている。かつて、あのような力士が世界中にいた。聖書にもこうある」

 "人が地のおもてにふえ始めて、娘たちが彼らに生れた時、神の子たちは人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。そこで主は言われた、「わたしの霊はながく人の中にとどまらない。彼は肉にすぎないのだ。しかし、彼の年は百二十年であろう」そのころ、またその後にも、地にネピリムがいた。これは神の子たちが人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった。"
―――旧約聖書『創世記』6章1-4節

―――ぼくもかつては、力士の端くれだった。四股名は「葦の海 渡(あしのうみ・わたる)」。怪我で引退し、今はしがないちゃんこ屋だ。土俵で活躍出来ない分、若い奴らに頑張ってもらいたいし、現役力士や先輩たちには最大限の敬意を払う。個人的に相撲の歴史を学び、それなりの知識を得た。それがまさか、こんな事態に巻き込まれるとは。

「あ、あの。あなたは何者なんです。なぜそんなことを知って……さっきの超能力は……ええと、そもそも、なぜぼくを訪ねて?」

谷松は右掌を向け、ぼくを制した。質問が多すぎた。これから少しずつ知って、呑み込まねば。

「まず……葦の海君。『ヨハネの黙示録』を知っているか。新約聖書の最後の書を」
「はぁ、知識としては。うちは仏教ですけど」
「聖書には数多くの偽典、外典がある。正典に含まれなかった書物だ。その中のひとつに、これがある」

谷松は、鞄から古びた本を取り出した。分厚く、重い。黒い革表紙の装丁。
「大正時代、ワシの曽祖父が手に入れた。ギリシア語の古い写本から訳されたものだ。原典はパレスチナのサマリヤ地方にあるという」
「大正……百年前……まさか!?」
「そうだ。関東大震災も、彼らの仕業だ。ここに予言されていた通りな」

その表紙には、こう記されていた。

『黙力士録(アポカリキシ)』

3

『黙力士録(アポカリキシ)』。やつらの活動について、数千年前から未来に到るまでを予言した書だ」

ぼくは……笑わなかった。駄洒落や与太話、偽書の類と笑い飛ばすことも出来たはずだ。ギリシア語のアポカリプシス(啓示、黙示)と力士が混ざるなんて荒唐無稽どころじゃない。けれど。

「地球上のどこかで、常に地震は起きている。通常の地震なら、ここに記されていない。どれほど大きくともだ。ワシは……そうでないもの、地下の力士霊……力神(りきしん)による地震が、全てこの書に記されていることを知っている。長年の体験で、その真実であることをな」

ぐびり。ぼくが唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。

「その……地震研究所とかへ持ち込んで、研究してもらうとか。大勢の人が助かるはず」
谷松は目を閉じ、首を振る。
「この書を世に知らしめることは不可能だ。力神は目に見えず、何の科学的反応も示さない。荒唐無稽、与太話と一蹴、一笑されるのがおちだ。さもなくば迫害に遭うか、胡乱な終末論を説くカルト教団に利用されるだけだろう。曽祖父もそれを恐れ、公表しなかった」
「そんな……」
「ともかく、ワシはこれを受け継ぎ、知ってしまった。同時に、力も得た。さっきのような。一部の者からは『ヤコブの力』と呼ばれている」

"ヤコブはひとりあとに残ったが、ひとりの人が、夜明けまで彼と組打ちした。ところでその人はヤコブに勝てないのを見て、ヤコブのもものつがいにさわったので、ヤコブのもものつがいが、その人と組打ちするあいだにはずれた。その人は言った、「夜が明けるからわたしを去らせてください」ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」その人は彼に言った、「あなたの名はなんと言いますか」彼は答えた、「ヤコブです」その人は言った、「あなたはもはや名をヤコブと言わず、イスラエルと言いなさい。あなたが神と人とに、力を争って勝ったからです」" ――――創世記33:24-28

力。超能力。これを、この書の真実を知った者は。体が震えてきた。もう逃げられない。

「そうだ。君にこの書と知識と力を受け継いでほしい。そのために来た」
「それも、予言ですか。まさか、力神と戦えとか言うんじゃ」
「戦える相手ではない。挑む者はいるが、やつらは…… !」

谷松は急に言葉を切り、身を翻して力場を構成した。音もなく飛来した弾が逸れ、壁を貫いた。敷金が!

「『ドヒョウ・フィールド』の使い手、谷松昭(たにまつ・あきら)だな。預言書を渡してもらおう」

音もなく室内に現れたのは、痩せた、異常に背の高い銀髪の男だ。一応186cmあるぼくが、見上げるぐらいには。天井に頭がついている。手足も不気味に細長い。瞳は……一つの眼に二つ。ぎしぎしと牙を鳴らし、獣のように唸る。

「な、なんです、こいつは!」
混血者(ネフィリキシ)だ。こやつはまだヒトに近いが……」

敵。この書を受け取るということは、敵に追われるということか!
「さっき言った『力神に挑む者』っていうのは、こいつらですか!?」
「こいつは尖兵に過ぎん。背後にいるのは、カルトだ。国を動かすほどのな。……下がっていなさい、葦の海君」

谷松が手を下げ、力場を……敵が言うところの『ドヒョウ・フィールド』を、畳の上に下ろした。円形の力場が、谷松と敵のいる場を囲む。瞬間、小柄で痩せていた谷松の肉体が巨大化した。敵と同じぐらいに背が高く、横幅は……まさに力士だ。

「DOSSOI!!」
谷松の猛烈なぶちかまし! 目の覚めるような一撃だった。敵は血反吐を噴いて真後ろに吹き飛び、壁に人型の穴を開けた。敷金が!

4

「かはァッ!」

敵は壁を突き破って、隣の部屋に。埃がもうもうと煙を上げる。人が入ってなくてよかった。

「や……やった! でも」
「ここは捨てろ。やつらに捕捉された。次々来るぞ」
「え、え」

谷松が『ドヒョウ・フィールド』を解き、もとの小柄な老人に戻る。長くは使えないようだ。

「ぐうゥ……逃サヌ」

敵が、混血者(ネフィリキシ)が立ち上がり、向かってくる!
「た……谷松さん!」
「心配いらん。こいつはもう殺した。今ので核(コア)を破壊したからな」

「がぼあッ!?」

敵が再び血反吐を吐き、うずくまる。見る間に全身が白くなり、灰か塩のようになって、崩れ去る。火と硫黄の臭いが漂う。
「こ、これはなんです!?」
「『塩の柱』だ。知らんか。相撲で塩を撒くのは清めのためだが、こいつらの塩は穢れの塩、ソドム・ソルトだ」

"主は硫黄と火とを主の所すなわち天からソドムとゴモラの上に降らせて、
これらの町と、すべての低地と、その町々のすべての住民と、その地にはえている物を、ことごとく滅ぼされた。
しかしロトの妻はうしろを顧みたので塩の柱になった。"
―――創世記19:24-26

「獣と人はすべて土と塵から生じた。だが、天使や悪魔は火と煙から生じた。混血者は火と塵……地下の溶岩と硫黄から生まれ、になる。こいつはまだ下っ端だ。ワシでも倒せる程度にはな。君にもこれぐらいにはなってもらわんと困る」
「え、あの」
「逃げるぞ。荷物をまとめろ。カードや通帳やスマホはもう使えん。財布と着替えだけでいい」
「ええええええ!?」

谷松は窓から外へ飛び出す。言われるまま荷物をまとめ、一応カードと通帳とスマホを持って、書き置きをして、外へ。……ぼくの愛車が、めちゃめちゃに壊されていた。さっきのやつがやったのだ。中古だけど、いい車だったのに。

「え、あ」
「遅かったな。スマホは壊せ。GPSを辿って追ってくる」
「あ、ああ、あああああーーーあああ!!
ぼくは半狂乱になり、泣きながらスマホを愛車の残骸に叩きつけ、破壊した。

こうして、ぼくの日常は壊れた。決定的に。

「……適合者を見つけたか。谷松め」

東京、両国の地下。報告者に背を向けたまま、女は呟く。長身で豊満、筋肉質。金髪を髷めいて結い上げている。
「混血者一体を破壊した後、車を奪って甲州街道方面へ逃走しました。追跡部隊が向かっています。現在位置は八王子」
「キュクロプスと、飛翔型混血者を向かわせろ。いくらでも使い潰して構わん」

どくん。どくん。どくん。どくん。

心音が響く。ちゃんこ鍋のように煮え立つ穴の上に、巨大な軍配が立つ。そこに―――磔にされた、巨大な力士がいる。
名は……「陣幕久五郎」。

『黙示録の四力士』計画。妨げはさせぬ」

【序章・終わり】

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