【つの版】大秦への旅・インデックス
ドーモ、三宅つのです。新たにインデックスを作りました。
つのの記事はつのに属しますが、ミームが広がるのは歓迎しますので、紹介したり感想を書いたりする程度はご自由にして下さい。You Tubeとか書籍とかでつのの記事に基づく仮説を披露しても構いませんが、その場合は出典を明記して下さい。
なお今回は東アジアのみならず、ユーラシア大陸全体に話が飛びますので、世界地図をご用意下さい。なければGoogle Mapで充分です。
◆海西大秦編
01.烏弋山離
隴西・河西・葱嶺・大宛の彼方には、かつてアレクサンドロス大王が到達した諸国があります。
02.安息條支
アレクサンドロス大王の死後、イラン高原とイラクは、セレウコス朝を経てアルサケス朝パルティア帝国(安息国)の支配下に入りました。
03.海西羅馬
いよいよ大秦、ローマ帝国に到達しました。
04.安敦遣使
西暦166年、大秦王安敦の使者が後漢に到達しました。
05.崑崙王母
大秦の彼方には崑崙山が聳え、西王母がいるといいます。
◆大秦景教編
06.大秦拂菻
(東)ローマ帝国は、チャイナの史書において「拂菻」と記されます。
07.大秦景教
中央アジアやチャイナには、ネストリウス派キリスト教が伝わりました。
08.秦氏幻想
日本の渡来氏族・秦氏には、様々な幻想がつきまとっています。
09.太秦猶太
20世紀初頭、ついに秦氏とユダヤ人が結び付けられました。
10.河豚計画
日ユ同祖論は政治的にも利用されました。
【続く】
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