見出し画像

#52 文化×食 煎茶の歴史

今回から、文字情報で伝えた方が良いテーマについては、noteで紹介することにしました。それに伴って、「×食ラジオ」改め「×食研究所」とタイトルを変更することにします。

前回、第50回で紹介した隠元和尚は、煎茶というお茶の飲み方を伝えた方でもあります。今日は、江戸時代~明治初期のお茶事情について、紹介します。

隠元和尚が伝えた煎茶の製法は「釜炒り製法」のお茶でした。このお茶については、現在の飲み方である急須に茶葉を入れ、お湯を注いで飲むのが一般的で、このように飲むお茶を「淹茶(えんちゃ)」と言います。

一方、山城国(宇治)の永谷宗円が1737年頃に考案された「蒸し製」の煎茶もありますが、こちらは土瓶に湯を沸かして、これに茶葉を入れ、火からおろして抽出して飲まれていました。

ちなみ1835年頃には、同じ山城国で6代目山本嘉兵衛が、藁で覆って光を制限して栽培する方法を用いて「玉露」を作らせています。「玉露」は50~60度のお湯で淹れます。

番茶などの中級以下の茶葉については、やかんに湯を沸かし、茶葉を入れ、煮立てて煎じる「煎じ茶」という飲み方や、「茶焙じ」という道具で焙じてから飲む、という方法もあったそうです。

私たちが普段使いしている筒状の「湯呑み」や、来客用にお出しする「煎茶茶碗」などは、煎茶の広まりとともに江戸時代の末期に使われるようになりました。

私が勤務していた三重県はお茶の生産量が全国第3位。三重ブランドに認定された「伊勢茶」を県内各地の生産者が独自のこだわりを持って生産しています。


日本のお茶の種類についてはこちら。

今日はここまでです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
次回もよろしくお願いいたします。

参考文献
「和菓子と日本茶」和食国民会議監修 思文閣出版

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?