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大厚木でバフェットからの手紙を読む①チャーリー・マンガーへの弔辞

 なにしろ暇だ。暇だから大厚木で寝ながらウォーレン・バフェットの手紙を読むことにした。20世紀以降の世界で最も尊敬される投資の神様、米国ネブラスカ州オマハに生まれ「オマハの賢人」といわれたあの人物の手紙だ。

ウォーレン・バフェット(2015 SelectUSA Investement Summit)

 ウォーレン・バフェットは1930年8月30日、米国ネブラスカ州オマハに生まれた。若い頃から投資に興味を持ち、コロンビア大学でベンジャミン・グレアムのもとで学んだ。1956年にバフェット・パートナーシップを設立、1962年にバークシャー・ハサウェイを買収。以来、バフェットはバークシャー・ハサウェイを通じて数々の企業を買収し、その投資哲学と成功によって「オマハの賢人」と呼ばれるようになったのだった。
 株式を長期保有し、企業の本質的価値を重視するシンプルな投資哲学で巨万の富を築いた男である。その成功は世界の多くの投資家に影響を与えてきた。

 これから読むバフェットからの手紙、すなわち「バークシャー・ハサウェイ 株主への手紙」は、ウォーレン・バフェットが毎年発行するバークシャーの株主へ宛てた手紙だ。同社の業績や投資戦略についての詳細な分析を提供するこの手紙は、投資家や経済学者にとって貴重な洞察を与える。
 ここからは2月に公開された最新のバフェットの手紙を大厚木試訳として日本語文で紹介してゆく。
▼原文はこちら
https://www.berkshirehathaway.com/letters/2023ltr.pdf

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チャーリー・マンガーのこと
バークシャー・ハサウェイの「建築家」

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 チャーリー・マンガーは2023年11月28日に亡くなり、100歳の誕生日を33日後に迎える予定でした。彼はオマハで生まれ育ちましたが、人生の80%を他の地で過ごしました。
 私が初めてチャーリーと出会ったのは1959年のこと。彼が35歳の時でした。1962年に彼は資産運用を始めると決めました。そしてその3年後、彼は私に正確に言いました。私がバークシャーの管理権を買収するという愚かな決断をしたと。しかし、私はすでにそのための行動をしていたので、彼は私が自分の過ちを正す方法を教えてくれると保証したわけです。
 チャーリーの家族は、当時、私が管理していた小さな投資パートナーシップに1セントも投資しておらず、そのお金をバークシャーの購入に使ったことを念頭に置いてください。さらに、チャーリーがバークシャーの株式を所有することを期待していませんでした。それにもかかわらず、チャーリーは1965年にすぐに私にアドバイスしました。「ウォーレン、バークシャーのような別の会社を買うことは忘れてください。しかし、バークシャーを管理するようになった今、公正な価格で素晴らしいビジネスを追加して、公正なビジネスを素晴らしい価格で購入するのはやめてください。あなたのヒーロー、ベン・グラハムから学んだすべてのことを捨ててください。それは小規模において実践されたときにのみ機能します」多くの後退を伴いながら、私はその後、彼の指示に従いました。
 何年も後に、チャーリーはバークシャーの運営において私のパートナーとなり、繰り返し私を正気に引き戻しました。彼の死まで、彼はその役割を続け、私たちは、私たちと一緒に初期に投資した人たちとともにチャーリーと私が夢見ることさえできなかったほどの良い状態で終わることができました。チャーリーは現在のバークシャーのいわば「建築家」であり、私は彼のビジョンの日々の建設を行うための「ゼネコン」として行動したのです。
 チャーリーは自分の役割が創造者としての役割であることを決して主張せず、代わりに私に賞賛を受けさせました。ある意味では、彼と私の関係は兄としての側面があり、また、愛情深い父としての側面がありました。彼が正しいと知っていても、彼は私に手綱を渡し、私が失敗したときに彼は決して - 決して - 私の過ちを思い出させることはありませんでした。
 物理的な世界では、偉大な建築物はその建築家に関連付けられますが、コンクリートを流したり、窓を設置したりした人々はすぐに忘れられます。バークシャーは偉大な会社になりました。私が長年にわたって建設班を率いてきましたが、チャーリーは永遠に建築家としての功績を認められるべきです。
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 手紙の冒頭はこのようにチャーリー・マンガーへの弔辞から始まっている。

チャーリー・マンガー(2010年5月5日)

 チャーリー・マンガーは、2023年11月28日に99歳で死去した。ウォーレン・バフェットと長年にわたり共にバークシャー・ハサウェイを運営し、その成功に大きく貢献した。バフェットはマンガーをバークシャーの「建築家」と称し、自身は彼のビジョンを実現する「ゼネコン」としての役割を果たしたのだと述べる。バフェットは、マンガーが彼のパートナーとして、常に正気を保ち、正しい方向に導いてくれたと強調しているのだった。
(つづく)

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