調子に乗るな!って注意が意味不明な件
小学生の子どもが、「調子に乗るな」と親に注意されている姿をたまに見かけるんですけど、あの注意ってよくわからないですよね。
そもそも、なぜ調子に乗ってはいけないのか。
調子に乗るとはどういうことか
まず「調子に乗る」の定義を考えてみます。調子とは体や心の具合のことだと仮定すると、調子に乗るとはその具合がイイ感じになっている状態だと推測できます。
サーフィンで言うところの波に乗っている状態ですね。本人は気分が良く能力も最適に発揮できているのでしょう。つまり「調子に乗る」行為事態は、特段に悪いことではないのです。ではなぜ、注意を受けるのでしょうか。
それは、
調子に乗るとめんどうだから
と注意者が思っているからだと考えられます。
たとえば調子に乗りすぎて周りの人に迷惑をかけてしまったとしましょう。サーフィンで言えば、他の波乗り者の邪魔をするような行為です。この場合に限っては、「調子に乗るな(乗りすぎるな)」が的を得た注意になります。気分良くなって周りが見えない人への注意になるからです。
しかし違う文脈での「調子に乗るな」は、注意者が言語化をサボっている発言でしかありません。この言葉で注意を受けた場合、どう捉えればいいかわからないのです。
元気よく楽しんでいる子どもが、親から「調子に乗るな」と注意を受けたとしても、なにがダメのか不明確でしょう。元気がよかったのが問題なのか、その状態でなにか問題が起こっていたのか、それが注意された側にはわかりません。しかし親はそれ以上の言葉を付け加えません。
それではただ単に、「私の言うことを聞きなさい。面倒だから」と言っているのと等しいのです。このメッセージを短文でかつ簡単に伝えられる言葉、それが「調子に乗るな」になっている危険があります。
これでは注意された側がかわいそうです。いうのも、その注意をされたところで何を改善すればいいかわからないのに、相手からは注意したんだから直してほしいと思われるからです。
こういうケースを見るたびに、言語能力を高める努力はつねに行っていく必要がありますし、自分の使っている言葉の意味を再認識する習慣も大切なのだとわかります。
なんとなく便利だから使っているその言葉は、相手にとっては苦痛になっているかもしれないのです。
読んでいただきありがとうございます。これからも読んでもらえるとうれしいです。