見出し画像

3月1日「自分の時間が欲しい」とは

忙しい人が良く口にする「自分の時間が欲しい」というフレーズ。私もよく「自分の時間が本当にない」「自分の時間が欲しい」と愚痴をこぼしている。

「自分の時間が欲しい」って一体何なんだろうと昨日の夜、ふと考えた。

「自分1人だけになる」という言葉通りの時間なら、トイレの時間とかお風呂の時間とか、短時間になってしまうが「1人」になることは出来る。(子どもがいるとトイレやお風呂すら1人でゆっくり、というのは難しいことも頻繁だけれども)だから1人時間がまったく無いというわけではない。

でもそうじゃない。

私が欲しい「1人時間」とは、自分の心をゆっくり落ち着けたり、頭の中に溜まっている考えを整理したり、何か意思決定をするために思いを巡らす時間のことを指すんだと思う。

今日昼休みにネットを見ていて気になった記事をじっくりみたい、好きなアーティストのライブの日程が出ていたから行けるかどうか検討したい&どんなライブグッズがあるかじっくり見たい。家をスマートホーム化したいけどどうやったらいいのか分からないので既に実践している先駆者のブログを見たい。アレクサの有効活用の方法を検討したい。今月何が出来て何が出来なかったのか振り返りたい。来月何がしたいのか考えたい。今後の休みに行きたいお店をまとめておきたい。などなど。

一つ一つの事柄はすごく小さくて(実際に自分でも書いてみて「こんなことか!」と驚いた)、もしかしたら何かの作業の傍ら出来ることなのかも知れない。そして、そういうことを考えるための「休みの日」なんだろうけど、休みの日を最初から十分に満喫するための準備を日頃しておきたいと思う。贅沢なことなのだろうか。

私は自分と向き合い、内省する時間がないと窮屈になってしまってしょうがない性格なんだと思う。自分が自分に戻る時間がないと私が私じゃなくなっていく感覚がある。

自分の時間が欲しい、ということは自分の未来について考える時間が欲しいということと同義なのかも知れない。自分の未来について考えるということは緊急ではないけどとても重要なことである。そういうことに時間を割くことで「在りたい自分」に少しづつ近づいて行ける気がする。

私は仕事もしているし子どももまだ小さいため「1人時間」が十分にある身ではなく、なんとか旦那と家事育児を切り盛りしながら時間を捻出している。この貴重な1人時間を使って私はなりたい自分になるために考えを深めていきたいと思う。


うちの金魚に美味しいエサを食べさせたいと思います。