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ヒステリーによる虚言と作話

カウンセリングと診察から帰って来た。
今日は、この部分に関してはあまりにも悲しい。

「悪貨は良貨を駆逐する」

という事なのだろうと思う。

私は、性善説を信じて生きてきているけれども
結局のところ、最終的には悪の方が蔓延るのではないかと憂いている。
自身の人生の自己決定権を人は誕生から憲法で保障されているが、
どれだけ盤石に人生の礎を築いたとしても、悪がその盤石を割っていく
ということはいくらでも考えられてしまう。

モラル=法 ではないので人はその「モラル」を破るハードルはとても低い。

嘘を単純につき続ける例えば、「私は性被害者です」と私に言う分には
「モラル」を破ったに過ぎない。
しかし、これを捜査機関に申告をすれば時として虚偽申告になったり、
名誉棄損と言う「法」を破ることになる。
今回、私が相談に乗っていた方が、私に「私は性被害者です」とよってきて、捜査機関がそれを被害受理したという一件があった。
(まだ、捜査状況を明らかに出来る状態ではないので伏せる)

この場合、この方は
モラルと法を同時に破ったということになる。
まず、こちらとしては「被害者です」と言われて、「本当か?」
と疑うこと自体がセオリーとして間違っている。
どうなっているのか分からないが、受理されていれば尚の事
疑うような要素はない。

じゃあ、この問題は何なのかと言うと、

「本当に被害に遭っている人までを疑いの目で見なければいけない」

ということである。
疑ってかからなければ、こちらが喰われる可能性があるなら
疑わしいものは「ごめんなさいね、こちらでは無理です」と言うしかない。
もしくは、他の機関に宛がうなど。
悲しい世の中だなと言うのと、性善説と性悪説のどちらが正しいのかを
秤に掛けなければいけないこと自体が、とても悲しい。
正直に言えば、もう人の話なんて聞きたくもないと思う。
聞かなければ、秤に掛けなくても済まなくていいわけなのである。
人のモラルに掛かっている問題をこちらが疑心暗鬼になるのは大分と違うと思う。
人は「嘘をついている」と思いながら、人と話をしたくない。
人間は、哺乳類の中では前頭葉が発達しすぎたのかもしれない。
それによって、考えなくてもいい起こってもいない不安を感じる。

ただ、嘘をついて生きていく、生きている人を叩いてみたら
ころんとさみしい音がするだろう。それがすべて、自己責任なのか
それとも、成育歴から考えるべきなのか。
しかし、悲惨な成育歴であっても嘘をつかずに優しさをもって
人にあたれる人もいる。それがほとんどだと考えると、その成育歴と
いうのを殊更考える必要などないかもしれない。
それを私に考えさせる時点で、マインドコントロールなのだろう。


虚言癖がある人は、安定的なアタッチメント(愛着関係)が近しい特定の養育者と築けなかった可能性が高いと思う。
根底の基盤がしっかりしていなければ、人は人と安定的な人間関係を築くことは難しいと言われる。目の前にその瞬間、その人がいるときだけ「いる」と感じ、離れてしまっていたら「いない」となってしまう。通常は、離れても「いるよ」と思えるものなのだが。なので私は十何年も

「親と子のアタッチメントは確実に満たされるべき」

と言い続けている。試し行動にもこたえる、その子、その子の年齢に合わせて「あばれなくなってもお母さん(お父さんetc)は私(僕)を見てくれる」
という、安全基地的経験があれば人に依存することを成長に従って嫌がる。
ここで必要なのは、親も分離を受け入れるということだ。
鳥の巣症候群と言って、子どもに世話を焼くことが自分のアイデンティティになっていた人が、いざ子どもが自立をすると病的に抑うつなどを感じることがある。その様を見て、子どもが自立することは悪なんだと思うケースも
存在する。良好な人間関係が築けるような成長曲線を添うには、どちらもが
「別の人格として尊重され、人生がある」と思いながら(思える年齢によるが)関りを持たなければいけないと思う。

作話をしなければ、親や友人の関心を引けない、自身のプライドを保つことが出来ないケースがある。作話には当然のことながら、ストーリー性があるために綻びが見えてくる。その嘘を哀れに思い嘘と知りながら、受け入れてしまった私が、「嘘で世の中どうにでもなる」と彼女に思わせてしまったのかもしれない。
泥臭い努力をしなくても、嘘させ付けば「ハーバード大に留学していた」と
一瞬で超高学歴者にすらなれてしまう。しかし、多くの人は私を含め、
受験勉強に1日8時間、休日14時間、塾や模試などを受けて、こつこつと
判定を上げていく、そこに嘘はない。嘘で作り上げられた人間関係だったりが、長く続くとは思えない。
まず、してはいけない「不倫」をしている時点で、どちらも罪だ。

恋で泣かせた人も、恋で泣かされた人
同じ罪を振り分けても、いいね

という歌詞がある。

その程度で、話がまとめられない人間ごときが不倫なんかに手を出すな
という話なのだ。
その結果、自身の願いが果たされなければ
血税で成り立っている捜査機関に被害者よろしく、この世にあったのか?
と思われる事件を持っていく。

最後に、

この世の中には、
思い通りにならないことの方が多い。
思い通りにならない中で
得られたものから幸福を生み出すのが
健全な、人間だという事です。
応報感情を満たすために人を利用する人間に
応報する権利などないのです。

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