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人権がないわけじゃない。返せばいいと言っているだけ。

Twitterに加害者からの手紙をアップしているわけだが、引用RTで

「法に基づいて刑罰受けて、やる義務のない個人的な謝罪までして、まだ叩くか笑 本当いじめるの大好きだな日本人」とあったのだけれど、

私は少なくとも加害者に人権がないとは言っていない。その刑罰も謝罪も自身が犯した犯罪行為に起因するものである。こういった言葉を投げかけられて、さらに傷つく人もいるだろう。私は、「そういう考えもあると思います」と返したが、そういう考えもあるとしか思わない。人の属性が違う時点で違う気持ちが生まれるのは自然であるし、そこに対して無理に分かり合おうという気持ちは持っていない。持つべきではないと思う。

被害者の落ち度を探したり、励ますという大義名分のもとで優越し更なる被害を与えている人たちは認識しているのだろうか。事実、特に性犯罪の被害に遭った人に対して、様々な角度や自身の立場を考えることなく、投げかけた言葉で被害回復の機会を損失させていることがあるということを。

人は説教をするときにアドレナリンやドーパミンが分泌されるという、それは言っている側は安全な場所から投げかけている言葉だからこそ、言い負かしてやった、おまえのためを思ってと言うようなことを思うのだろう。一種のインスタントな快楽なのだ。

これはなくなるべき悪しき問題だが、これが「問題なんだよ」と提起したところで、「これやあれは問題のある言葉だったのだ」と振り返ることの出来る人は初めから悪意を持った言葉を投げかけない。この部分に関して、私は制御できるものではない。人が分かり合うなんて不可能なのだから。

私が今、Twitterで行っている活動と言うのは犯罪加害者やその家族から見れば、加害者の人権の部分に対しての配慮がないような表現があるかもしれない。しかし、人権がないとは言っていないし思っていない。ただ、奪ったならば返すべきであるというところである。すべてに起因するのは自身が決定して犯した犯罪によって起こった被害である。そこは責められて当然でないだろうか。

刑を全うしたということが、被害者に対する償いと結び付けられることがよくある。この記事を読んでいる人の中に、実刑判決を言い渡された人がいたとしたら考えてみてほしい。あなたが刑務所に入ったことで被害者になにか還元や慰謝されましたかと。恐らく、されていないのである。

加害者側の多くが、無資力である。この犯行によって起こる不利益を考えることなく起こしているような、性犯罪、無差別殺人、強盗傷害致死などはどう考えても起こる不利益が相当に多い。犯罪を犯すとき、無資力であることが多いからこそこうなっている現実が存在している。それゆえ、被害者に損害賠償を支払うことすらが出来ない。

それを、社会保障に組み込み国が代替した方が遥かに被害回復は早くなるよねと言うことを論じている。加害者側の方は、自身の能力を活用しきったうえで無理ならば、それ以上、被害者側は求めることを出来ないように法律は作られている。なので、損害賠償の支払いをしないことは許されることではないが、最大限能力を活用しても支払えないなら法律が守ってくれるでしょう。ただ望むのは、再犯をしないことを意識して生きていくことを心から望む。

私は厳罰化の問題は大きな課題であると考える。しかし、1番に考えているのは、被害に遭ってしまったすべての犯罪被害者が等しく早期回復を望める社会にすることなのだ。その部分に重きを置くのは、刑罰を重くしたことで被害者感情が軽くなる人もいるかもしれないが、刑期が長くなった、一生刑務所にいることになったと言っても被害者の被害が消えないのである。であれば、もう一層のこと起きてしまった事実をこの社会で改善する方が良いのではないかと考える。

絶対に日本で起こり得ないことを現実化しようとする活動は私は出来ない。死刑にしたらいいとか一生、刑務所に入れたらいいとか。それを考えたら、法律自体、罰条の文言自体を変える必要が出てきてしまう。それをすることは相当に問題としてハードルが高すぎる。日本の傾向的に考えたとき、古い法律自体を引きずっているのに「性犯罪は初犯で死刑」と言うのは飛びすぎている。最低、「性犯罪は初犯で実刑」がいいところだと思う。

量刑は司法の世界の話である。裁判員裁判で性犯罪や保護責任者遺棄致死の量刑が重くなっている傾向を法の秩序を乱していると論じる法学者が存在する。日本に裁判員制度が導入された時点で相当に日本がうごいたことには違いない。そこで死刑判決が出たとき、裁判官が「控訴をすすめる」と言うような状態である。そこに比重を置いたとしても、被害回復にならない。

犯罪被害者の権利拡充や回復の問題は、司法から逸脱した部分に存在しているので、比較的、地方自治体規模からでも導入が想定できると思っている。

自動車社会だから、全ての車は車検の更新のたびに自賠責も更新する、自賠責に入るということは誰しもが自動車の事故によって被害が発生したら、最低限身体に関する部分は回復できるよにと言う制度である。それを犯罪被害者の補償にも当てはめたらいいじゃないんですかと言う話というといいのだろうか。

自動車事故の後遺症も自賠責や保険会社基準、弁護士の赤本基準などあるけれども、それを相当に下回っている犯罪被害者給付金の状態があまりに被害回復の糧とは呼べないこと自体が問題であって、制度として存在していてもその制度がニーズにこたえられていなければ、ないと同じなんじゃないかと思う。どうして、年齢や職業によって支払われる金額が違うのかとか普通ならば、「命に貴賤があるのってどういうこと」と思うことがまかり通っている。

その部分を大きく変え、犯罪被害者支援は金銭だけでなく生活の多くに関わってくる。相談窓口が一本化されていないから、支援を求める際に違う場所に行き、何度も同じ被害体験を話すことになる。それが相当に負担であって、一度支援を求めたら支援団体から心無い言葉をかけられて、もう支援を求めないで孤立するケースがある。そういった精神的負担を少なくするために、一本化された制度を作るべきだと思っている。

犯罪加害者は刑務所に入ったらすべての困りごとは看守にいうわけである、色々な機関に時間を割き行くわけではない。犯罪加害者の困りごとが看守によって改善されるとは思っていないけれど、その部分は行政と当事者、支援する人が考え行動することである。そこの相談が1か所で済むことだけでも加害者と被害者の間には大きな差がある。

そのほかに、日本国民は平等に裁判をうける、訴訟をする権利がある。犯罪加害者が国選弁護人を呼んでほしいと言えば、来るわけである。しかし、被害者が自身の個人情報や様々なものを守ろうと弁護士を呼ぼうとしても、国選弁護人を今すぐによんでくれとはならないのだ。そもそもが、犯罪被害者は検察が公判を行うので弁護士に依頼する必要もない。しかし、性犯罪などの名前、居住地などを知られたくない場合は民事訴訟の際の訴状に自身の氏名などを記載されたら困る。だから、弁護士の事務所を記載してもらうなどの必要がある。その費用は被害者が起こしたことではないのに支払わないといけない、支払えなければ法テラスなどを通して分割で支払ったりとなる。民事訴訟を考えても、訴訟の時点で印紙代や着手金が相当金額かかるとなると、ためらう人もいるし、そもそも回収できないからやめておいたほうがいいと弁護士に言われるケースもある。

泣き寝入りを余儀なくされている人たちが、泣き寝入りをしないで済む方法を考えたときに、その被害の損害を国が代替したとしたら無駄ではないのだ。その犯罪によって起こす、民事訴訟の費用も国が負担するとしたとしても、年間に犯罪加害者の国選弁護人に支払われる報酬よりも低いと思う。これ以上、奪うということを国が見ているだけでいることが問題だと思う。

世の中のどこに、自身のこの様子を明らかにしたい人がいるのでしょうか、過去のあすの会のご遺族や当事者の方たち、現在、犯罪被害者や遺族として講演会などをしている人々がその体験を成功体験と思い話したり活動していると思いますか。そんなことはないのです、あまりに辛いことだから二度と起こしてはいけない、けれども起こってしまう。すこしでも、犯罪被害と言うことの苦しみを考えてほしいから語るし、少しでも未来の被害者が回復できるように活動されてきたわけです。そして、自身の身に降りかかった不条理を意味のないものにしないために。

今、平和に生きている誰かが明日被害者になるということが理であって、今は犯罪被害者の現状に関心などないかもしれない、しかし、当事者になった時にすべてを見てしまう。

すごく私の思っていることはシンプルである。

「未来の被害者は救われるべきである」

それだけの話なのだ。

あまりに長い時間、犯罪被害者の声と言うものを無きものにしてきた部分があると思う、刑務所の生活環境や冷暖房、死刑囚の色鉛筆問題、監視カメラで監視されていることが人権侵害などと言うことは様々な機関が報じている。被害者側の声がほとんど聞こえてこない、声を上げるだけのエネルギーなどもうすでに残っていない、もう忘れたかのように生きていくことを選んだ人たちがいるということ。でも、中には声を上げ続けている人がいる、真実を追い求め、偽りのない誠実な形で世の中を変えようと思っている人がいる。その人たちの声は小さいかもしれない、それとも加害者側の声が大きすぎるのかもしれない。少なくとも、有期刑の場合は終わりがあるのだ。被害者側の困難に終わりと言う数字はない。だとすれば、少しでもわずかでも回復の光をと願うことが普通だと思う。

加害者側の人権問題はそちらの人たち、支援する団体などの方々が改善するべきならするべきである。主義主張をすること自体にヘイトを感じることはないし、必要だとすれば改善されることなのだろうと思う。けれど、その立場を利用して被害者を貶めるような形は違うのではないかなと思う。何人も、被害者の回復を阻害することはできないと考えている。

前科があろうが、現在収監されていようが、犯罪被害者だろうが、犯罪被害者じゃなかろうが、男性だろうが、女性だろうが、おかしいと思ったことはおかしいとロジックを立てて変えるべきなのではないだろうかと言う次第だ。

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