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犯罪被害者支援が途絶えてしまったら、この世の被害者は取り残される。

と言う報道がなされたけれども、実際問題、犯罪被害者支援に対しての資金であるとか人員が少ないのは、ほかの団体と比べると利用者から金銭を取るということが出来な部分だと思う。多くの活動している人たちが何かしらの犯罪被害者の当事者や遺族であって、弁護士やカウンセラーも手弁当の部分は多くあると思う。もしも、そこに金銭を介在させてしまったら、ビジネスになってしまうし「ある程度の資金がある被害者」のみの救済になってしまう。

私が以前に仮釈三郎さんとお話をしたとき「金銭が介在しない支援はしない」と言うようなことを言っていて、私はその逆で「犯罪被害者の権利拡充の団体を作るとしても、被害者からはお金は取れない」と。そこは、加害者やこれから刑務所に行く人、待っている人と言う部分もあるだろうから、金銭を介在させてもそこまでおかしい話ではない。被害者は、一瞬にして心身の健康や社会的地位を失うという観点からしても、「では支援しますので、いつまでに〇〇円、入金してください」と言うのは、とてもでないけれどできない。実際に活動するとすれば、企業からの支援であったり、賛助会員からの寄付などで賄うほかないと思う。

犯罪被害者の中でも金銭の有無によって、一種のカーストが起きるくらいならば、私は国がワンストップで支援する仕組み化を作るべきであるし、司法が絡んでくる時点で、国が司法の権限において、被告人をどうするかを決める時点で、国が大きく関わっているのは事実なのである。犯罪被害の有無にかかわらず、精神科や心療内科に通う人は、自立支援医療制度があり窓口負担(処方薬局含む)が0円から1割負担程度で済む制度がある。多くの犯罪被害者は、何かしらの精神疾患で心療内科などに通うことが多いので、とても運用として素晴らしいシステムであるが、しかし、それは犯罪被害者に対してではなく、継続して心療内科などに通う人すべてに認められた制度である。現実問題、犯罪被害で負った身体の後遺症のために病院にかかるとなると、窓口負担額は3割となる。せめて、犯罪被害によって負ってしまった疾病や障害に対しては国が全額負担するであるという風でいいと思う。私は、はじめこのけがが第三者の悪意を持った行為での怪我だったので、10割負担だった。のちに、第三者行為の届け出を出して保険が使えるようになった。第三者行為の届け出と言うのは何かと言うと、普通は社会保険であれば組合、国保であれば国が7割の費用を負担するが、最終的に怪我をさせた当事者に7割分を請求するよと言う制度であるが、実際にその請求がされたということは聞いたことがない。

話は戻るが、犯罪被害者の支援に対する団体が赤字に陥るという現象が起きている時点で、国が何も対策をしていないという風に考えるのが普通だろうと思ってしまった。国が行ってもいいことを法人に行わせていて、その上に3割の団体では赤字が発生している。なぜそうなるのかと言うことを考えると、明らかにこの10年間だけでも「犯罪被害者が相談できる窓口」と言うのがネットでも周知されるようになり、被害の告白であるとか支援を求めやすい環境になったという点もあると考える、そうすれば今までと同じ予算と人員で行っていたら、対応する事柄が増えても予算、人員は増えていない。当然、費用倒れが起きてしまう。じゃあ、どうすればいいのかと考えたときに、私たち日本国民の誰しもが「安全な国に住んでいるけれども、私たちが被害に遭わない保証はどこにもない」と思い、関心を向けていき、政治や法さえをも動かすところだと思う。同じ日本であっても、自治体が違えば犯罪被害者の支援自体があったりなかったりする。同じ国なのにだ、アメリカの様に州で死刑の廃止や存続を決められるようなシステムではないのに、そうやって地方公共団体によって違うのは、一体どういったことなのだろうかと思う。日本が門地によって社会的な差別をしてはいけないと言っているのに、自治体によっては、支援が違うというのは逆転の現象ともとれる。その自治体だったら、被害態様が軽いとか重いとかではなく、誰しもが犯罪被害者になった時には、被害態様はひどいのだ。許す心であるとか、優しさも余裕がなければ持つことが出来ない、挙句の果てに生活にすら窮し、孤立して死んでいく人だってたくさんいる。もしも、その人が犯罪被害に遭っていなかったら、ごく当たり前の持っていた生活が維持されていた可能性が高いにも関わらず。私は、事件後、離婚をしているが(今は籍を入れずに一緒に暮らしている)犯罪被害に遭っていなかったら、出たことが出来なくなって自分自身にいら立つことや、やさしさのつもりでかけている言葉に敵意を感じたり、溝が生まれることなど起きなかったのだ。結婚生活で、絶対に離婚しないということは言い切れないけれども、私にとって「私が存在していたら、この人を不幸にしてしまう。全部奪ってしまう」と本気で思った。私の離婚が事件と関係あるのかないのかと言うことも、刑事裁判の際に争われたが裁判所は結果的に、「事件前には円満で家族で出かけたり、趣味を楽しんでいたごく普通の幸せな家庭だったと認定できる。この事件により被害者の家庭が崩壊したと認定する」となった。よく、犯罪加害者側が犯罪を犯したら、妻に離婚を言い渡されたと悲しそうに言うが、その逆のようなことは当たり前に起きている。人の幸せと言うものを、奪うことにそこまでの労力であるとか時間がかかるということはなく、不法行為によって、犯罪と言う形で人の心や体を破壊したら当然のごとく壊れてしまう。私は、犯罪被害者サポートセンターの方に、無理を言って子どもをトライワイトスクールに迎えに行って、鍵を渡すので家で娘を見ていてほしいとお願いした。そういった、被害者宅で被害者がいないのに、子どもを見るということは色々な関係上なかったようだ。それでも、何とか受けてもらい、公判に参加してきた。私は、とても救われたと思った。そして、犯罪被害者サポートセンターの方が「部屋が片付いていて、冷蔵庫にもちゃんとバランスの取れた食材があって、素敵なお母さんをしてらっしゃるんだなと思いました。でも、辛いでしょうね、100%生きている時間を被害者として生きられないから、被害回復は後回しになるから」と言った言葉は、私にとって宝物のように思っている。子どもに不自由をさせたくない、その一心だった。私は、娘が求めるだけ、恥ずかしいからいやだというまで抱っこしたかった。けれども、それをすることはどうしてもできなかった。親として、後遺症が今より大きく残ったとしても、抱っこするべきだったかもしれないと思うこともある。今日、娘と喧嘩をしてしまった。

「日本軍が、アメリカの飛行機の性能を見たとき、上官の言っていることが全部嘘だと思ったと言っていてね、日本兵は上官にアメリカは個人主義の国で結束が出来ない腰抜けだと言われていたけれど、実際には違った姿を見て何が本当だったのかと思ったそうだよ」と言ったら、「なんで武器から急に精神論の話になるの。ママはもう少し人に分かってもらおうと思わないの」と。なぜかイライラしてしまい「ごめん、ちょっともう話すのやめる」となった。

喧嘩をしたとき私は、いつも娘が幼かった日々のことを思い出す。犯罪被害に遭う前は、育児にイライラすることもなく生きていた。よく、ママ友が「毎日、夜泣きするし死にたくなる時がある」と言っていたのを思い出す。私は、その意味がさっぱり分からなかった。「なんで、泣くだけでそうなるんだろう」と。結局、単純に私は家事育児に積極的な主人だったということと、「泣きたいから泣くんだろう、何か怖い夢を見ているか伝えたいことがあるに違いない」と思うだけの心の余裕があっただけで、その乳児期より手がかからない就学3か月前に犯罪被害に遭ってからは、育児と言うものが私の中で「この子だって、私を傷つけるよなことを言うことがある。恐ろしいと思えてしまう。」と思ったことは何度もある、けれども犯罪被害者になってしまってからは、何に対しても今まで余裕があった事柄でも「打ちのめすぞ」と言うくらいに、イライラするようになった。それは、安定と言うものが私から消えてしまったからなのだ。親が子を殺す犯罪にしても、一部を除けば余裕があれば、そんなことになっていないと思う。

余裕があって初めて、人はマズローの5段階欲求をなぞれるのである。食物がなく、明日生きられるかすらわからない人が自分以外の人に支援が出来ないように。

支援が出来ないような状態の資金繰りになってしまう団体には国がサポートする必要があると思う。間違いなく、非営利団体であっても資金がなければ、切れ目のない余裕のある支援と言うものは難しくなってしまう。そうすれば、被害者の回復の機会は遅れていくか頓挫する可能性すらあるかもしれない。日本政府の様に国葬をするからと言って、鶴の一声の様に何十億もいきなり用意できないのだ。支援団体が安心して支援ができないというのは由々しき事態であるし、もう少し「当事者になるかも」と言うような感覚が生まれてもいいと思う。結局のところは、犯罪被害者が法を動かし、犯罪被害者が支援をしの繰り返しになる。一部には、弁護士やカウンセラーと言った外部の領域の人たちも関係している。しかし、その人たちが完全なる手弁当でこういった問題に取り組むというのは非常に少ないと思う。犯罪者が弁護士をつけてくれと言えば、すぐに国選弁護人がつけられる。被害者が弁護士をつけてくれとじゃあ、誰に言えばいいんだという話で、それくらいに差がある。以前にも書いた、犯罪加害者で矯正施設に収容されている人は、2000億円の予算で1人で換算すれば400万円の税金が投じられている。その逆に、被害者は1円も国からもらえないことがほとんどなのである。同じような法を学んだ弁護士や検察官、医療を学んだ医師やコメディカルの人であっても被害者の人権をさらに踏みつける人もいる。

その観点からしても、犯罪被害者サポートセンターと言うのは100%リソースを犯罪被害者の被害回復や精神的な負担、または然るべき機関につなげていくということをしている。もしもこの日本から、犯罪被害者支援センター等が消えたら、どこが窓口になるかと考えたら、まず1番に頭に浮かぶのは「警察の相談窓口」くらいになってしまう。法的な紛争を抱えていなければ、弁護士会や検察庁の仕事ではない。しかし、警察も逮捕したあとのことのフォローは非常にすくない。じゃあ、この日本のどこに犯罪被害者サポートセンターの役割を代替できる機関があるのか。恐らくないんじゃないかと思う。もはや、憲法と法の大本が「平等」を唱えていても、実際に国の機関から平等に扱われていないのであれば、破綻しているのだ。

私は以前「日本にこれ以上住みたくない」と言ったことがある。正直に言えば、どんどんと日本は向ってはいけない方向に向かっているように感じる。マスコミは、日本を分断させるような疑問符を投げつけて結束させないようにする。どこの国のなんの団体かなどと言うことは凡そ頭に浮かぶが。当たり前に毎日起きている犯罪被害者の権利の拡充が進んでいないのに、何段も飛び越えた法案は簡単に可決する。その意味の深さや様々な既得権益を考えたら、日本と言う国に絶望してしまうのも仕方ないと思う。しかし、私はナショナリズムの人間である、上記の言葉と大きくずれるが日本は長い歴史を閉ざすことなく、日本であるべきだと思っている。女性の権利だけで言えばここ70数年で選挙に行けるようになり、ここ30年程度で働きに行けるようになり、それくらいに女性の人権は軽視されているのだ。かといって、男性の権利が大きく尊重されているとも思わない。一種の今までの不条理を現代の男性にぶつけているような場面も往々にしてあると思う。そういった、現象が犯罪被害者の権利拡充にもおきていると私は感じる。誰しもが平等であり、性別や門地で差別されることなく、同じように奪われた尊厳は回復されるべきである。ジェンダーの問題は恐らく、何世紀経っても交わらない。だから、そこに言及することは出来ないし、そこまでの主義主張がない。しかし、性別関係なく無差別に起きる犯罪被害に関しては、論じる意味はあると思う。だって、誰しもが被害者になる可能性は確実にあるのだから。男性だから性犯罪に遭わない交通事故に遭わない、女性だから殺されない詐欺に遭わないなんていう性別のくくりなど超えて、誰しもがなる可能性を持っている以上、未来の犯罪被害者が「先人は何も変えなかった」と嘆き、回復できないようなことになるくらいならば、私は小さくとも声を上げ続けたいと思う。

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