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私が死んだら、誰かの夢が朝になったそう思えばいい。

もう、ずっと体調が悪い。
体調が悪い→精神的摩耗が激しい。
生理食塩水の点滴を受けたとて、何も変わらない。

今の私は、36歳(2月に37歳になるが)、幸福だった時間
というのは子どもが生まれて、たった6年だった。
酒井雄哉氏と言う、天台宗の僧侶がいた。
千日回峰行業を2度成し遂げた、父がその本を私に読んで見ろと
私て来た。
私は原始仏教の勉強をしていて、釈迦は「修業は意味がない」と
結論づけている。私は基本的に鎌倉仏教を信じていない、
地獄の沙汰も金次第と言うのを戒名やら法事やらで見てきた。

死と言うものを遂げた人間は何も見えない」

だから、私は法医学者になりたかった。
家族はありえないほどに反対をした。
死を商売にすること自体が大きく間違っていて、誰しもが死ぬが
死者に対する贖罪として、祭壇を豪華にしたり、通夜ぶるまいや
精進落としを高い値段であればあるほどにとなる。

今の私は、「もう、なにもいりません」と言う状態である。
本当に最低限の事をして、苛立ちすらも隠しながら私は
大丈夫でもなんでもないのに「大丈夫だよ」と嘘をつく。
もうそんな生活に疲れた。
加害者が死んだ、私はあの世があるとは思わない。
ただ、死んだ人からのレスがないので証明が出来ない。
もしも、私が死んだとして、加害者を滅多滅多にできるのなら、
私は、頸動脈を切るなり、北海道で酒と睡眠薬を飲んで凍死
してもかまわないと思っている。出来ないであろうから、惰眠を謳歌しているだけだ。

私は、富豪になりたいとかそういう願いを持っているのではない。
普通の暮らしと、健康を返せと思っている。それすらをせずに、
1抜けたと自殺される身にもなってほしい。
加害者が自殺しようが生きようが私には一切関係がない話だが、
2000万なんて35歳なら払えるだろうし、なんなら払わなくていいと思っていた。社会があまりに絶望的な目で自分を蔑んで見るのも全部自分が悪い
わけで、加害者の死を知るまでは私の精神状態は比較的落ち着いていて、
事件自体を受け入れる段階だった。
その「加害者の死」と言うものを知った時から、私はどんどんと人生の坂道を転がり込んでいった。自身のバウンダリーを守ることで精いっぱいで、

よく、「加害者は死ねばいい」と言う相談者がいる。
私はそれは形容として取っているが、事実、自殺されたらされたで
間違いなく、自殺したことに憤り問題はこじれていく。
だから、簡単に性犯罪者を死刑にというのは少し違って、
再犯防止なりの策はあるのである。
私は死刑反対論者である、そこにもしも冤罪があったら
「死刑にしろ」と言った人たちは人殺しに加担していると相違ない。

私は自殺した人を止めるつもりも、憐れむ気持ちもないのです。
本人がそれが最善だと選んだから、毎日、「死にたい」と言う言葉を
紡ぎ、それを弱っている人が見たら、あなたの知らない所で誰かが
自殺してしまうかもしれない。
まず、「死にたい」という人が戦い抜くことは不可能にに近いと思っている。

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