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肉を切らせて骨を断つ

一昨日、昨日とパソコンを開く気力なし。里芋をただ、六角形にむく。

木曜日のカウンセリングに正直に言えば、行きたくなかった。毎回、私はそこで自分が「犯罪被害者である」「性被害に遭った人間」だと再認識するからだ。加害者の一方的な性衝動によって行われた犯行に10年以上苦しむことになっている。

岐阜の黒川村満蒙開拓団の女性たちをご存じだろうか。

第二次世界大戦で満州から引き上げるために女性を旧ソ連兵に差し出すことで村の人々が帰れた。しかし、帰ってから「お前たちもいいおもいをした」「けがれもの」と言われる。

そして、これだけ高齢になってもその時の若い自分に引き戻されている。これが、どれだけひどい犯罪なのか。そして、彼女たちの犠牲のもとで命が担保され返ってこられた人たちが中傷する。どれだけ悲惨なことなのか。彼女たちは八紘一宇、七生報国と信じ国家のもとに従った結果である。

私は、戦争のない日本の空の下で犯罪被害に遭った。全く面識のない人間に私と言う存在をマイナスになるまで奪われたときに、アイデンティティが壊れたような気がした。私が思っていた神話は簡単に壊れ果て、主人と娘と三人で築き上げた平和は一瞬の事件で奪い去られた。

主人は私を名前で呼ばなくなった。もう私の名前を喜んで読んでくれる人はいないのだと思った。ある人にその話をしたとき「外科医の人は患者を名前で呼びたくないというね、亡くなったら心がおかしくなるからだそうよ」と。主人の中の私を見る目が変わったのかもしれない、私は犯罪被害を通して主人を裏切った、娘を裏切った。その部分では加害者なのである。

カウンセリングで「犯罪被害者としての主張をすれば私は一生、犯罪被害者として生きなければいけない、一人ならそれでいい。すべてに蓋をして家族に贖罪するためには、私は犯罪被害者であること、その回復を諦めて尽くすことしかない。この人生を諦めるなら出来るかもしれない、しかし、どっちも欲しいと思ってしまう」と。

私はなぜ、通り魔的に行われた犯行の被害を10年たっても痛み、自分を通して与えた家族への被害回復を考えなければいけないのか。犯罪被害に遭っていなければ、私は家族にそのような念を抱くこともなく、10年を違う形で生きられたと思う。しかし、犯罪被害に遭っていなければ、犯罪被害者当事者としての生の声は書けなかった。物事を評価するのは受け取り手の問題である。私は、この犯罪被害を「こんな被害に遭って辛い、病んでしまった」で終わらせるつもりなど毛頭ないのだ。その先、

「病んでしまったけれど、未来の犯罪被害者は救われる世界になった」

そこを追いかけている。実際問題、それは不可能だろうか。ただ一人の人間がこうやってnoteやTwitterで被害の現実、司法、矯正施設の現実を書き連ねるだけで何が変わるのかと思う。しかし、10年私は耐えたのだ、言葉を投げるということは辛いことが返ってくるかもしれないことを覚悟したうえで。Twitterでたくさんの人たちが応援のコメントを送ってくださる。私が犯罪被害に遭った価値はすでに生まれている。その人たちが紡ぐ一言一言には重みがあり、私の今日を生かしてくれている。「嗚呼、今日も生きてよかった」と。それが今は点かもしれない、点が線になればどうだろうか。きっと、届けたい人に届く日が来る。

私がクリスチャンだったころに友人がかけてくれた言葉がある。

「本当に縁があったら、絶対にまたつながるのよ」。

主人と一時期別れていたことがあった。その時にかけてもらった言葉だ。私は、どこのだれかも知らない「あなた」にこうして文字を通してであるが、つながることが出来ている。犯罪被害者の権利拡充と言う問題もそれに似ているのだろう。今の犯罪被害者等基本法は当時のあすの会の犯罪被害者当事者、ご遺族の方が痛みを耐えながら点を線にし作り上げた法案である。しかし、公判の迅速化や意見陳述などの被害者参加制度は拡充されたが、その後の日常の糧に対する、被害回復の部分は全くと言っていいほど法整備されていない。司法は司法から逸脱しない、逸脱する部分を補完する必要がある。

本村洋さんの本を何度も読んでいる。絶望と戦うということは容易いことではない。一層のこと、自分が自分であるとわからなくなるまで壊れてしまった方が楽だと思うこともある。自殺してしまえばいいと思うことだってある。犯罪加害者には明確な「数字」が存在している。適正な法手続きでのみ身柄を拘束され、実刑なら何年とした確固たる数字がある。しかし、犯罪被害者にあるのは「絶望」と言う数値化できないものなのだ。いつ終わるかすらわからないものに心力を捧げることは途轍もなく辛いのだ。その違いだけでも、犯罪加害者と犯罪被害者には大きなビハインドがある。そのうえで、犯罪加害者の未来の糧はしっかりと用意されている。衣食住、医療、協力雇用主まで。しかし、犯罪被害者にはどれも用意されておらず、自身の力で得なければいけない。せめて、被害にあったものが金銭でない生命、身体、精神であっても司法は金銭に換算するしかない。その部分は、早期に回復されなければいけないと思っている。犯罪被害に遭い、経済的にも苦しいと様々な要因が重なれば、人が何を選ぶかは一目瞭然だろう。私たちが知らない間に、犯罪被害の犠牲により命を落としている人がたくさんいる。

私は1500万円を加害者に言ってみれば貸している状態で自殺され、相続放棄により失った。そもそも、回収できると思っていないで訴訟提起しているということを以前書いた。しかし、その金銭がなければ生きていかれない人だっているのだ。私は、人よりも質素に暮らしているだろう。もう、何も持ちたくないからだ。私自身、その1500万は命につけられた値段である。当然、返してもらうべきである。しかし、たった紙切れ数枚で加害者がまた勝手に選択した「自死」によって、被害者からも権利を奪うのだ。それで「残念ですが諦めるほかありません」で済ます。

犯罪を犯すと決意したのも加害者で、被害者の回復の権利を奪うのも加害者なのか。では、どこに被害者の決意は存在するのか。形而上学的に考えなければいけないほどの問題なのか。

いや、あるでしょう。「不法行為によって奪われた被害の回復」それが民事訴訟である。刑事罰は被害者の慰藉ではない、国家、司法が社会秩序の為に法治国家であることによって犯罪者に与えている刑でしかない。その量刑が被害者の被害回復につながるような論調がある。死刑にしたらいい、長く刑務所に入れたらいいと。犯罪の性質所にも拠ると思うが、死刑にした、刑期が長いから「被害回復できた」にはつながらないのだ。私は当初、求刑の上回りしか考えてなかった。しかし、見せつけられてしまったのだ。加害者が刑務所に長く入ったところで、私の被害が回復されない。それ以上に、加害者に税金が多く使われ、損害賠償請求をしても当然、収監されているから返ってこない。この矛盾を政府は取り去るべきだろう。政府の名のもと、法の名の下で刑罰を与えているのならば、その期間は当然に損害賠償の判決をとっても支払われない。これが、死刑だったらどうだろう。もう二度と、加害者が働くこともない金額も大きい。それの刑を言い渡すならば、被害者に成り代わって政府が補償するべきであると。

刑罰と被害者の相関性など存在していない。

いいように搾取されたものは、返してもらわなければいけない。それが物事の道理であるし、被害者感情として当然なのだ。

仮に、あなたの車が盗まれたとします。当然ですが、返せと思うのです。それと同じロジックなのです。なぜ、それを政府や当事者になり得ないと思っている人たちは「強請っている」かのようにし、補償しないのか。しかし、私自身、当事者でない人たちを責めることはできない。自分自身、犯罪被害者と言う立場になってから「終わらない地獄」を感じたのであり、当事者にならなければ「こんなに法には欠陥があり、政府には穴がある」と思わなかったのだ。

思ってしまったから、感じてしまったから、10年間の時間で声に出来ないものが声になってきたから続けているのです。私には私としての一分が存在していて、その一分を捨て去り廃人に成り下がることは容易いものだと思います。事実、今の私は半分以上、廃人でしょう。しかし、誰が廃人にしたのか。それは犯罪と言う愚かな行為であり、早期の補償(金銭以外も含め)をしない、自己責任のもとに立ち上がれと押し付けるこの政治形態にもあるのではないかと。

私はただ、春を待つ人間として生きていたかった。あの12月22日の寒空の下に横たわり、地面を近くで見る私ではなく、近く咲くであろう桜と春を待っていたにすぎない、単なる日本国民である。しかし、私のこの身体は無機質なアスファルトにずたずたに引きずられた私しかおらず、その惨状を35歳になった私が手を施そうにもどうにもならない、この現実を如何にかしようとしているだけなのだ。

私は今でも、散り去り二度と戻らない25歳の日の桜を追い求め、そして実年齢で春を待ち散りゆく桜をも受け入れられるようになるために、この犯罪被害を無駄な経験として残したくないと思っている。私の主義思想は人と大きく異なる、右向け右をして責任を持たなくていい人間で生きることはとても容易い。そこで左を向くという勇気を持った時、人は何かを動かし人をいい方向で扇動できるものだと思っている。

「存外、生きていけるものだ。犯罪被害に遭ったとしても」

と思える時代が来るべきである、日本は狂ったほどに法に柔軟性がない。他国との利害関係のある法律は大きく変えるが、日本国民の個人個人に関係する法を作ったり、手を加えたりすることはしない。今、明治時代に生きている人はいるだろうか。性的同意年齢に限って言っても、いつまで明治の話を令和にしているんだと。誰だって分かっているけれど、自分はもう13歳じゃない、13歳にもなり得ない、だからいいじゃないくらいなのかもしれない。しかし、必ずその法律の定める壁に苦しむ人は生まれる。

私は死ぬまで苦しむことを覚悟している。泣かなければいけないこと、耐え忍ぶことを覚悟している。いざとなれば、首を掻っ切る覚悟さえしている。じゃあ、私が市役所か霞が関で「犯罪被害者の権利拡充が遅い」と焼身自殺して変わるだろうか、絶対に変わらないのだ。変わらないのだ。誰一人として、自身の尊厳を他の人間の一時の感情で奪われてよいものではない、しかし人間が存在する社会である限り悲しいけれども、奪われてしまう。そうだとしても、その奪われた分が現在は金銭でしか換算できないが補償され、転居、就職、医療などの心配をせずに生きていけるならば、ここまで現在の犯罪被害者と同じくらいまでは悲しまなくて済むのだ。

自衛隊での性被害を訴え続けた、五ノ井さんが防衛省から謝罪と言う結果まで持って行けたのは、五ノ井さんの強い精神力と周りの人たちの力なのである。客観的な証拠がない中で、加害者に行為を認めさせ防衛省と言う国防の要に謝罪させることは容易なことではない、多くの人は「もういい」とあきらめて、ひっそりと泣き続けるのだ。五ノ井さんの行ってきた活動というのは当然のことながら誰しもが出来ることではない。五ノ井さんは1万回たたいたら壊れるドアを諦めることなく、1万回を超えるほどにたたき続けたからこそ現実となった。私が伝えたいのはそういうことであり、1人の元自衛隊員が国を動かした。それが可能であるということ。


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