ひまつぶし

最近、数時間の暇がポンと発生することが多い。
そんな時、僕は都内を散歩する。

先日、神保町で例によってラーメンを啜ったのち、取り留めもなく歩いてみた。真冬にしては気持ちのいい気温で、イヤホンから流れるラジオが耳に花を添える。
迎賓館を横目にどんどん西へ進むと、総武線沿いに信濃町、千駄ヶ谷と続く。

千駄ヶ谷駅に着いてふと思い出す。
「そういえば将棋会館ってこのあたりだったような…」

9年前。
中学に入学した僕は将棋部に入部した。いずれは野球部に入ろうと思っていたが、環境の変化による体力面の不安と純然たる興味から、将棋部に籍を置いた。12歳の僕には、一時間半の登校時間は不安には充分足るものだった。
当時の計画としては、一学期を助走期間と位置づけ、夏休みまで将棋部に籍を置き、二学期から晴れて野球部に移籍しようと考えていた。
自分の腕には自信があった。一学期で文化系の部活を制覇し、運動部も軽く倒せるだろうと過信していた。
この小賢しい考えのせいで、“地獄”と形容される野球部の夏休みの練習を幸か不幸か回避してしまい、知らぬ恨みを買うハメになるとは、当時はまだ知る由もない。

入部して数ヶ月経つと、徐々に力関係が把握できてくる。同級生の中で序列が二番目の僕は大会で活躍の場を増やしていた。そんなある日、僕は先輩に連れられて将棋会館に腕試しに向かった。
日曜日の将棋会館は盛況で、大人で賑わっていた。13歳の僕はどんどん大人を倒していき、初段認定を受けた。
子どもにチンチンにされた大人たちは、面白いようにみな絶望の様相を浮かべる。自身の実力の無さと情けなさに苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる大人を眺めるのが好きだった。
僕は、基本的にほぼ全ての世間の大人を小馬鹿にしていた。

東京体育館の横を抜け、小さな神社の角を曲がって少し進むと、懐かしい建物が目に入った。数年前の将棋連盟の政治闘争の結果、建て替えられることなく古いまま残っている五階建ての箱物は、旧友を暖かく歓迎しているように感じた。
中に入ると、平日ながらそれなりに盛り上がっている。駒音とチェスクロックを弾く音が鳴り響く。盤を前に相対すれば、年齢も性別の差も関係ない。小学生から爺さんまでいる。

受付の人に9年ぶりであることを告げると、もう一度級位認定しましょうね、と言われる。少し待っていると呼び出され、最初の手合が始まる。
相手は高校二年生の女の子だった。平日の15時に私服でここにいる彼女にその理由は聞かない。細かいことは抜きにして将棋のことだけ考えればいい。
先手の僕は居飛車に構え、1級の彼女は5筋に飛車を振った。玉頭の抑え込みが功を奏し、何とか寄せ切った。
対人で指すのが久々なこともあり終盤がボロボロだと感じつつも、とりあえず勝利を拾えたことにホッとする。

二戦目は小学生だった。
とんでもなく落ち着きがない。しかし初段である。こちらが指すとすぐ指してくる。しかも的確に急所を突いてくる。まだ幼い顔立ちのこの子はとんでもなく強い。
僕が居飛車・舟囲いのオーソドックスな型に組むと、彼は三間飛車・左美濃に組んでくる。がっぷり四つでむんずと組んだ形だが、ジリジリと徳俵に寄せられる。最後は呆気なく詰まされてしまった。
負けました、と頭を下げた途端に、彼は受付の方へ行ってしまった。僕に勝ってさも当然と言わんばかりに。
僕はあのちびっ子を許さないと心に誓った。

全部で九戦行ったのだが、その最後に小さな女の子と当たった。
さっきの子とは打って変わって、落ち着いた聡明そうな子だった。
戦型は居飛車・舟囲い変化型対四間飛車・穴熊と相成った。玉の固さの違いでガンガン攻めてこようという意図だろう。こちらは穴熊の急所である8筋を狙う形を取り、相手の攻撃を迎え撃った。
しかし、だんだんと戦況は悪化する。こちらが特にミスをした訳でもないのにじわじわと影が忍び寄ってくる。最後に9筋から無理やり香車を絡めて悪あがきをしたものの、押し切られてしまった。忸怩たる思いで彼女に教えを請う。
「早めに5六歩を突いて6八に銀を上がれば、私も銀を上がんないといけなかったから、素直にそうしておいた方がよかったとおもう。」
意味が分からなかった。屈辱的だった。恐らく彼女の頭の中には定石が叩き込まれているのだろう。
この子は小さな頃から将棋に親しんでいたのだろうか。聞いてみると、まだ将棋歴1年の11歳だと言う。恐らく藤井聡太効果である。
たった1年しか将棋に触れていない子に負けたのか。そして、前回僕がここに来た時、彼女はまだ2歳!
そう考えると笑うよりなかった。

結局、子どもに負けた2試合込みで6勝3敗で1級と認定された。
中一のときより棋力が落ちている。まあ当たり前と言えば当たり前だ。
閉館時間の21時になり、ゆっくり千駄ヶ谷駅へ歩く。

9年前に倒した大人たちはこんな感情だったんだ。やり場のないやるせなさでなんだか悲しくなってくる。でも、意外と悪い気はしない。
二戦目に当たった少年は、当時の僕より歪んだ目をしていた。
あの子も世の中をナナメから見て、数年後、自分が倒される側になった時に同じ感情を得るのだろう。
そう思えば、あの子の態度も許してあげよう。


そんなことを考えながら、サラリーマンでいっぱいの総武線に乗り込んだ。

#エッセイ #コラム #将棋 #千駄ケ谷

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