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King Gnu/Slumberlandの歌詞考察

年が明けて、King Gnuにハマった。

関ジャム(テレビ朝日)で2019年聞くべきアーティストに選ばれ、ソニーからメジャーデビューを果たし、いまノリにノッている4人組バンドだ。
そのへんはWikipediaを読んでもらうと手っ取り早い。

今年1月にリリースした「Sympa」というアルバムはオリコンチャートで初週4位につける大躍進。
興味を持ったきっかけは、正月に特番で放送された「King Gnu井口理のオールナイトニッポン0」だった。
正直、ひとりでラジオパーソナリティを務めるのは難易度が高い。
現にあまり面白くはなかった。
本人もこぼしていた通り、明らかにラジオを聞いて育ってきた感じはなかったよね。提案したコーナーを見ても。
アーティストのひとりしゃべりで面白かったのはいきものがかり・吉岡聖恵とmiwaまで遡る。

ただ、流れた曲が抜群に良かった。音楽的素養がある訳ではないので何がどう良かったかは分からないけど、とにかく良かった。

なかでも良かったのが「Sympa」のリード曲のSlumberlandだ。
Spotifyでめちゃくちゃヘビロテしている。
さっそく、この曲が歌っていて気持ちいい理由を考察していこうと思う。

TVステーションでは今日も
騒ぎ立てているコメンテーター
耳障りで狂言めいた
遠い世界の話ばかりだな

テレビ局のワイドショーの批判から始まる。
視聴者の視点で、第三者として社会問題を斬るコメンテーターを「耳障り」で道化を演じていると皮肉る。

また、2小節目と3小節目で脚韻で「コメンテーター」と「狂言めいた」で音を合わせている。

さらに、4小節目の
「遠い世界のはなばかだな
と太字部分にアクセントを置いて、細かい韻を連打している。

正義もヘッタクレもない
悪事も結託すりゃバレないな
甘い蜜だけを吸っていたい
薄っぺらいピエロはあっちへ行きな

引き続きワイドショーを批判している。
また、ワイドショーイコール権力者と置き換えることも可能かもしれない。

権力者たちは自分の利権を守ることに固執して、結託して既得権益を守り、安穏と「甘い蜜だけを吸って」生きている。その行動には「正義もヘッタクレも」ない。
また、そんなコメンテーターたちを「ピエロ」、つまり道化役だと揶揄する。

さて、まず大きく見ていく。
1小節目の「せいぎもヘッタクレ」と「あくじも結託」で踏んでいる。この部分は韻が絡み合っているので後述する。

そして、3小節目の「吸っていたい」、そして4小節目の「薄っぺらい」で踏んでいる。
小節のケツの直後、その次の小節の頭で踏む、いわゆる「返し韻」という技法だ。
この2つの音は不完全韻である。厳密に言えば「い」という音は「薄っぺらい」の「ぺ」と「ら」の間には存在しない。
しかし、「すってたい」「うすっぺらい」と太字の部分にアクセントを置くことで、韻として成立している。

1小節目についてもう少し言及したい。
「正義もヘッタクレもない」
この曲は、頭からすべての歌詞が小節の始まりから半拍遅れて歌いだしている。
ドン、ドン、ドン、ドンとリズムを取りながらこの部分を聞いてみてほしい。

ドンせい ドンヘッ ドンレも ドン

この裏拍の部分がすべて「エ」の音で統一されているのだ。
歌っていてめちゃくちゃ気持ちいい。
ある種、声をリズム隊のひとつとして捉えていると言えるかもしれない。

(井口)
“Wake up people in Tokyo daydream”
(常田)
Open your eyes, open eyes wide.
Rock'n roller sing only'bout love and life.
(井口)
“Wake up people in Tokyo daydream”
(常田)
Open your eyes, open eyes wide.
It could be the start of something new tonight.

サビに入る。
白昼夢、空想に耽るコメンテーター(=権力者、ピエロ)たちに目を覚ませと呼びかける。
いまのテレビ、果てはこの国は寝ぼけているんだという強烈な皮肉である。
曲のタイトルである「Slumberland(=眠りの国)」ともリンクしてくる。

「目を開けろ、目を凝らせ。ロックンローラーは所詮愛と人生しか歌えねぇんだ」
めっちゃかっこいい。
16分音符に乗せて「Rock'n roller sing only'bout~」って歌うところすごい楽しいよね。

あと邪推だけど、「love and life.」のあと「yellow!」って叫んでる気がする。
黄色人種の日本人に向けて歌っているんだよ、という意思表示に感じたが、これは…どうだろう。

全体的には、
俺らは愛と人生しか歌えない。だけどお前らはこの歌を聞いて何か感じ取ってくれよ。
そういうメッセージを感じる。

「目を開けろ、目を凝らせ。今夜、まっさらから始めよう」
It could be~の公式の訳は上の通りだが、
「今夜をテメェの人生の何かのきっかけにしてくれたら嬉しいぜ」
的なニュアンスを感じる。

とにかく、このサビでは、
「いまこの国はダメだ。だけど俺たちが何か変えてやるんだ。」という前向きな印象を受ける。

そして。
サビは常田さんが歌う部分でひたすら脚韻で踏んでいる。
“Open your eyes[ái], open eyes wide[wáid].
~love and life[láif].
Open your eyes[ái], open eyes wide[wáid].
It could be ~ tonight[tənáit].”

完璧に[ái]で踏み倒している。
超気持ちいい。

ド派手に着飾ればセンセーション
中身二の次TVステーション
すっからかんなセレブレーション
素っ裸で今夜のシュミレーション(原文ママ)

世間の評価なんて見せ方次第だ。
その表面を派手に虚飾すれば、世間を欺く大評判を巻き起こすこともできる。
本質的な中身なんて誰も覗いちゃいない。
だからテレビ(=権力者、ピエロ)は「中身二の次」で表層的なことを褒めそやし、また大事なことを無視する。

そして、「セレブレーション」というワードは和訳すれば祝賀、祝祭である。またテレビ番組の比喩だ。
中身をないがしろにした結果、「すっからかん」になってしまった。
奴らは何も考えずに仕事をし、『夜の楽しみ』の模擬実験を行う。
(simulationはシミュレーションと表記すべきところ。詳しくは「音位変換」で検索。)

ここはわかりやすい。
センセーション[senséiʃən]、ステーション[stéiʃən]、セレブレーション[sèləbréiʃən]、シミュレーション[sìmjuléiʃən]と4小節に渡って[éiʃən]で脚韻を並べる。

また、「ド派手に着飾れば」「中身二の次」で不完全ながら頭韻し、3小節、4小節目では「すっからかん」「素っ裸」で頭韻して細かく刻んでいる。

(井口)
“正直者はバカを見る”
(常田)
ディスるだけのアンチヒーローを射る
私服を肥やす足長親父
子供を騙してはメイクマニー

括弧書きの1小節目はテレビ側の意見。
「正義もヘッタクレもない」と謳う権力者たちは、愚直な正直者を馬鹿にする。
そんな否定してばっかりの彼らアンチヒーローを射掛けると宣言する。

本家「あしながおじさん(Daddy-Long-Legs)」は、資産家がある孤児院の少女の才能を見込んで資金援助し、最終的に二人は結ばれるというシンデレラ・ストーリーである。
しかし、私利私欲にまみれたテレビ(=権力者、ピエロ、セレブレーション、足長親父)は、子供(=正直者)を騙し、自分たちの利益を守り、増やすことに熱を上げていると批判する。

ここに、
・権力者
・弱者
・King Gnu
の三項対立が見てとれる。前者2つは、歌の中でさまざまなものに例えられている。共通するのは、権力者は弱者を蔑ろにしていること。
その中で、King Gnuは視点が曖昧なままで、歌うことでこの世の中を変えてやると意気込む。
果たしてKing Gnuは弱者の側からモノを言っているのか、第三者的視点なのか。

さて、Bメロはフロウで魅せる。
まず、「見る」「ディスる」「ヒーロー」「射る」と2文字で刻む。
ヒーローは一見踏んでいないように見えるが、歌い方で踏んでいるように見せている。

後半は、16分に合わせて言葉をハメていく。
字面では、「おやじ」「メイクマニー」と2文字で踏んでいるように錯覚するが、恐らくここは踏もうとしていない。
前者は「じ」に、後者は「マ」にアクセントを置いていることから推察できる。

サビは1番と同じである。

擦れて溶けたビロード
からは露わ傷を披露
けれど血は出ぬ我が身
中身が空っぽの強み、伴う痛み
来た道振り返り生まれる弱み
寄せては返す人の波
それでも繰り返す日々の営み


1,2番のA,Bメロで一貫して権力者を攻撃していたのに対して、Cメロでは自身の弱さと無常を歌う。

とりあえずビロードの意味を調べる。

ビロードとは、パイル織物の一種。
ルネサンス期の代表的な服飾材料としてイタリアで生産され、日本には南蛮船の渡来と共に広まった。
光沢に富み、柔軟で摩擦に耐えるので、婦人服や袋物によく用いられる。
ベロアに近い。

なるほど。なんか触った時ふわふわしてて肌触りがいいアレだと言うのはわかった。

つまり、King Gnuは摩擦に強いビロードが溶けるまで着ている。そして「我が身」に傷を負っている。
ここから、先ほどの命題について、King Gnuはあまり着回す服を持っていない弱者側の人間であることが推察できる。
ただ、注意しておきたいのが、ビロードはそこまで安い素材ではないということ。(調べると安くても3000円/mくらいの価格帯)
「弱者」とは言っても、金銭的にそこまで困窮しているような描き方はされていないことに留意したい。

また、傷を負っても、自分の中身が「空っぽ」である故に血は出ない。
しかし、傷の痛みは感じることで辛うじて人間であることを確認できる。
そして、生い立ちを思い返し、コンプレックスを思い出す。
都会の人波に攫われて、その人の多さこそが逆に自分の孤独を際立たせる。それでも日々は続いていくし、前に進まなきゃいけない。

この「弱み」=コンプレックスは、如何様にも意味が取れる。
あとの文面から感じ取れる人生への虚しさかもしれないし、人間への諦観と、更にその状況にスカしている自分かもしれない。
まぁとりあえず考えてみてよ、という挑戦状にも受け取れる。

全体的にCメロの前半は少し悲壮的な印象を受ける。
後半を見てみよう。

擦れて溶けたビロード
見事に露わ傷を披露
けれど血は出ぬ我が身
中身が空っぽのお詫び
のらりくらり都会暮らし

上3行は前半とほぼ同じだ。
しかし、「からは露わ傷を披露」という部分が「見事に露わ傷を披露」と変化している。
さらに、終盤に「中身が空っぽ」と歌っているが、今度は「お詫び」の上で「のらりくらり都会暮らし」と来た。

「ごめんな、俺は中身が空っぽかもしれないけど、それでも俺なりにこの都会でブチ上げていくよ」
という肯定的な、人生の新たな道標を建てているように見える。

細かい言葉のチョイスの違いでここまで印象をガラッと変えさせられるのだ。

さて。

Cメロは韻律が爆発している。
脚韻「ビロード」「披露」、その間で「からは」「露わ」とジャブを打つ。

我が身」「中身」「強み」「痛み」「来たみち」「弱み」と乱射しまくり、
人の波」「日々の営み」で少しブレイク。

もう一度上の韻を踏みつつ、aaiの三文字踏み列伝に「お詫び」を追加。
極めつけは「のらりくらり」「都会暮らし」である。
もはやおもたいくらい徹底して韻を踏み続ける。押韻主義、ライムセーバー。客の心震わすバイブレーターだ。

ラスサビも文言は同じだが、最後のWake up~を常田さんもユニゾンしたりと、盛り上がりを見せる。
弱者たちがKing Gnu軍に加勢したのか、はたまた権力者から離反者が出たのか。
とにかく、Cメロからラスサビの反撃の狼煙を受けて、勢いが増した印象を感じる。
果たしてお上に向けた刃は、この歌による反乱は成功したのか…

以上が歌詞の考察だ。
疲れた。
なんで2000文字のレポートを蔑ろにしてまでこれを書こうと思ったのか。
2単位は意外と重い。
このnoteより格段にクオリティの低いレポートを提出してしまった。

何はともあれ、King Gnuは格好いい。

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