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自分のペースで、

誰でも、夜中に意識が急覚醒するときがある…と思うのだけど、今日は突然『のんびり』という言葉が降りてきた。
そして、「あぁ、そうか!のんびりだからか!!」と納得している自分がいた。
ここ数日でおきた出来事について、それが答えだからだろうと思ったためだ。

というのも、いくつか前の記事で求職中と書いたかと思うのだけど、それについて、まぁ、自分的にいいんじゃないかな……と思うような募集を見つけたので、先日、ダメ元で申し込んでみたのだ。
しかし。
結果はお決まりのお祈りメール。

ここでも、基本的に期待値低めで考えていたので「そうか…ダメか…」と思った。
あんまり驚いてないと思われそうだから、ちゃんと書くけれど結果を見た瞬間は「書類選考でダメだったのか……マジか……」みたいなショックは受けたよ。
くあぁ!と言葉にならない言葉も意識に上がった。

だけど、私の人格を否定された訳ではなく、その申し込んだ会社的パズルに、私というピースが合わないと判断されただけだと思って、気持ちを切り替えるようにした。
したけど……。

期待値は低く見積もっておくぞと考えていても、実際には結構、良さそうな仕事内容だと思っていたらしい。
ちょいちょい思い出して、ダメだったかぁ…と無意識下では考えていたんだろうね。

それに対する「気にしちゃダメだよー」というメッセージが、今日突然降りてきた「のんびり」という言葉だったみたいだ。


……という話をしたいと思う。
スピリチュアルな話が苦手な人はここまででブラウザバックか、別のページに移動することをお勧めするよ。


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私は最近…というか、約6、7週間ほど前から、ジュリア・キャメロンさんの「新版ずっとやりたかったことを、やりなさい。」で紹介されているワークに挑戦している。

モーニングページとアーティストデートの二つ。(と、本で紹介されている週毎の追加ワークも)
モーニングページは、朝起きたらノートに3ページ分、自分の気持ちを書き出すワーク。
アーティストデートは、自分と内なる自分でデートするワーク。
(モーニングページの方が頑張っているので、そちらに重点を置いて書き進めようと思う)


毎日、時間は決まっていないけれど、なるべく早朝、起きてすぐ、とにかくノート3ページ分を自分の気持ちで埋めている。
気持ちやその日やろうと思うこと、創造的になりたいから自分の神さまに対してのお願いなんかを書いている。
(神さまに対するお願いは……説明すると長くなるので、該当書籍を読んで欲しい)

そのワークで私は自分の中にいるアーティストの存在とか、創造主(神さま)であったり、後ろから見守ってくれている方々や、何者でもない何某かの方とかからメッセージ的なものを受け取る機会が増えた気がするのだ。
物事の、関連性が高いとか、重なるみたいな……そういうシンクロも増えた。

普段は全然接していない、久しぶりに会うような人に「同じようなことを考えていたの」と言われたし、たまたまLINEで連絡をくれた人の内容が「同じように食べるものを注意するようになっていた」とか、とか……。

久しぶりに会った人とは、いろいろ話をしてみて『たまたま、偶然』にしては重なっていることが多かった気がした。

そもそもその本に書かれている、1週間毎にやってみてと提案されている追加のワークだったり、話自体がその週(前後の週など)にシンクロする時もあったように思う。

そのシンクロしている感覚が、神さまとか何者でもない何某かの方は常に自分のそばにいて、その方々からのメッセージを何となく直感で、これはこういう事かな?と考えられるようにさせてくれた。
素直に、ポジティブに受け取れるようになったのはモーニングページのお陰な気がする。
この「noteを書くこと」もその本のお陰という感覚がある。


などと、前置きが長くなったけれど。
とにかく、モーニングページのお陰で、直感が働くようになった。

だから、突然降りてきた「のんびり」という単語も、直感的に「世の中のペースと自分のペースが違うからか!」と閃いたのだ。

「世の中」
それは社会とか、一般的な会社のようなものの集合体。
そしてあくせく動き回っているビジネスパーソンなどなど。

「その人たちのスピードと、君は全然違うペースで動いているからだよ」

そういうメッセージが突然湧き上がってきた。
寝起きだから、余計に降りてきた感があった。

だから多分、今までお祈りメールを送ってくれた会社のスピードと自分が相容れないから、見守っている神さまたちが「すみません、うちのやつはそちらのスピードに合わないんで…」と先回りして断っているんじゃないかな…なんて妄想。

YouTubeで配信をしているあるタロット占い師さんも「神さまなり、後ろの方々はその人のちょうど良いタイミングをいつも見計らってくれている」と良く話す。
信じる信じないはそれぞれの自由だから、この話を読んでくれている方も好きに考えてもらって良いのだけど、私は「多分そういうことはあるんだろうな」と考えている。


今までの人生で、絶妙なタイミングで支援がちょいちょい起きている…気がするのだ。
どこからともなく、なにかを受け取った人が現れて、私に「これ、どう?」と提案してくれる。
それは後ろの方々が「今かな……今ならちゃんと有効活用できるだろうな、このチャンスを受け取れる経験値、貯まったよね?」と思ったのでは……?なんて考えたくなるほど、ちょうど良い塩梅で示されるんだ。


こちらが勝手に、「今だよ!今、こうなったら良いのに!!なんで今すぐ起きないかな……これからどうなるんだろうな……」と焦るのは良くない。

焦ると神さまたちの声が聞こえなくなる。
自分の表面的な感情しか感じなくなる。

だから、そういう不安を抱えながらも、腐らず愚痴らず、ただできることをやっていると、今回みたいに「このメッセージ、理解できるよね」と送ってくれるらしい。
実際、そういうタイミングで来たから驚いた。


因みに、私が考えるスピード感の違いについて。

面接に行った先でなんとなく感じたことだけど、ある会社の採用担当の人は典型的なビジネスマンという感じだった。
スピード重視。効率重視。どうしたら稼げるか、会社を発展させられるかを常に考えていそうな雰囲気を感じ取った。

だからだろう。
良い歳してのんきにしている私に対し、なんとなく醸し出される雰囲気が「もっとちゃんと、行動的に、いろいろ経験して、スピード感を持てば良いのに……」みたいな、自分(面接官自身)とは違うなと思ってそうなものだった。

実際のところ、何を思ったかは想像するしか出来ないし、特に知りたくもないからいいんだけど。
(ばりばり会社で働いてます!みたいな男性が苦手なのは、そういう雰囲気にプレッシャーを感じるからかもしれない。これは余談)

そういう自分とは違うスピードで生きている人との出会いは、男女関係なく、一人や二人だけじゃなかったな…と思い返してみれば、顔がちらほら湧いてくる。

その人たちが普通に行動しているスピードが、MAX 10で確認できるメーターで表現して2か3だとしたら、多分私はそのスピードに合わせるために5か6で頑張らないといけない。
そして、その人たちが早くやらなきゃと頑張る5か6は、私にとって8か9くらいのもう限界に近い状態だろうと思う。
私が頑張らなくてもできる2か3のスピードは、その人たちにとってはきっと何かしているの?的な速度なんじゃないかな。

それじゃ、私とその人たちの関係が良くなるわけもない。
こちらが頑張っても、あちらの頑張っている判定に届いてないのだから。
どう足掻いたって、そもそもの感覚が違うんだし、こちらが先に壊れてしまう。

若い頃は、若かったから根性とか気合いで「世の中」について行こうと思えた。
だからなんとか15年も同じ仕事ができたし、そんなスピード感について考えたこともなかった。
でも、体力も落ちて根性もヘロヘロの今の自分では、そのスピード感についていくなんてとても……とても……。

ただ、その人たちにとっての試練として私が必要な場合や、私にとってそういう人たちとの関係が必要だった場合は、また縁が結ばれるのかもしれないけれど。
最近は特にそういうことはない。
多分、現時点で私はそういう人たちと関わる必要がなくなる程度には、なにかを学んだのだろう。


とまぁ、そういうことに気づき、納得した途端、私は今、本当の意味で自分のペースで生きているんだろうなと思った。

神さまが提示したくなるくらいの「のんびり加減」
今の私はそれくらい、社会のスピードよりゆっくりしているのだろう。
それじゃぁ、もうしょうがないかな…と納得してしまった訳である。

世界や、社会や、世の中が一般的に求めているスピードについていかなきゃいけないなんて、このゲームはなんてハードなんだろうね。

自分が思うということは、きっと他にも同じように『違和感』を感じている人がいるんだろうな。
自分のペースやスピードで生きていきたいと思う。
そう思っていい「世の中」に早くなって欲しい。


まぁ、気づいたところで、じゃぁ、どうやって生きていく?みたいな根本的な問題の解決法はまだ神さまからのメッセージは来ていない気がするけど…。
その内タイミングを見計らって、降りてくるんだろうなと思って、今できることをコツコツ頑張ってみようと思う。

読んでくれた方も、それぞれでそういうメッセージが来たら良いなと思いながら今を過ごしてみるのも良いのではないだろうか。


こんな長い話をここまで読んでくれてありがとうございました。