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日記

暴力的強風に体温を奪われる季節。

潔いほどの急激な冷え込みで、清々しくもある心持ちなのですが、同時に胃の下あたりになんとなく鬱々とした澱渦巻いている。

というより、澄んだ空気に取り巻かれて、解像度を無理やり上げられた精神に否が応でも向き合わねばならなくなってしまった。
だいぶん間の空いた感情整理の日記を書いてみる。

生まれてから何度目かの冬。カウントは簡単に出来るのですが、なんだか数えるのが惜しい気分なのであえてしない。

師走の慌しさと、現実逃避の過去の回想を行ったり来たり、夢とうつつの境にいるような、忙しいのに微睡んでいるような、妙な浮遊感のある精神が疎ましい。

そのせいなのか冬に見送った者など殆どいないのに、不意に見送ってきた者達を思い出しては、懐かしいような悔しいような座りの悪い気分が拭えないでいる。

今より遥かに荒廃した、鬱々とした心持ちで絵を描いていた頃、不意にSNSにアップした絵を物凄く好きだと言ってくれた子がいた。

彼でもなく彼女でもない、アンドロギュノスの様な子からリプライで届いた
「凄く死を感じるけれど、同時に強く生を感じるから好きです」
その一文に、ただ驚いたことを強く覚えている。

公言は一言もしていなかったが、その当時描きたかったもの、そっくりそのままの感想だったからだ。
よく気付いたなと思うと同時に、気付いてもらえたという大きな救いになった。

ある年の春先に、不意にその子がいなくなったことを知った。というより、リアルタイムで、過程を見ていた、手も足も出ないSNS上の配信で。

薬剤の種類、半致死量からの計算、嘔気への対処、綿密に計算されていた。希望を見出す隙がどこにもないほど、完璧過ぎるぐらいの覚悟だけ見えた。

なんの神様なのかすらわからないまま、普段祈る事などしないくせに、兎に角、いるかどうかもわからない神に祈った。祈る以外の手段は無かった。
肉の身体を持って帰ってくるも、肉の身体から解放されるも、どちらであれその子にとって最良の結果をただ祈る夜だった。

数日後に届いた訃報から、SNS上でのやりとりも、現実というタイムライン上でも、もう会えなくなったことだけを知った。

描くことへの恐怖ともう辞めようかの狭間で揺れて、結果いまだに描くことへの恐怖が拭えないまま、それでも何故か描き続けている。

その当時の絵は全て手放してしまったし、その当時の様な絵はきっと多分もう描けない。

それでもいつか私が天国の扉を叩き壊す頃合いが来たら、その子に会って、今一度伝え足りなかった分の感謝を時間が許す限り伝えたいと今でも思う。

天国に時間なんてものは無いだろうし、肉体の性別も、あらゆる記号もないだろうから、きっと言葉の数が尽きるぐらいに語り合えるんだと、信じていたい。

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