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性被害者のその後

彼女はいつものように友達と公園で遊んでいた。公園の隣には小さな神社が建っていて、こどもたちは「神さまのいる場所に入ってはいけない」とそれぞれの親からきつく言い聞かされていた。しかしその小さな神社はかくれんぼをするのにうってつけの場所だった。こどもたちはしばしばそこでのかくれんぼに時間を忘れた。

神さまのいる扉さえ開けなければいいのだ。こどもたちは思い思いの場所に身を隠し、鬼に見つかるのをドキドキしながら待っていた。しかし彼女を見つけたのは「鬼」ではなく「知らない誰か」だった。多分彼女は知らない誰かに話しかけられたのだろう、こどもたちがいなくなっても彼女はそこにいた。

別の日、彼女は知らない誰かに話しかけられた。言われるままに着いて行くと知らない誰かは彼女に「神さまのいる場所に入っちゃいけないって言われてるよね」と言った。彼女は周りに置いてある荷物を見て怖くなった。御神輿がキラキラと輝いて神さまの居場所を教えていた。
「誰にも言っちゃダメだよ」
「神さまのいる場所に入ったことを知られると怒られちゃうからね」

知らない誰かは彼女の口を封じた。それからゆっくりと彼女の下着に手を掛けた。このひとは なにを しているんだろう?彼女は自分が何をされているのかを気にしながら、それでも入ってはいけないと言われている場所にたった今自分がいることへの罪悪感のほうが遥かに勝っていた。

言われた通り彼女は誰にも言わなかった ── というより言えなかったのだ。まだ7歳の彼女は自分に起こったことを周りに伝えるだけの言葉を持っていなかった。何より入ってはいけない場所に入ったことがバレてしまうとどれほどの叱責を受けるのか、ということのほうが彼女にとっては恐ろしかった。知らない誰かの話をすれば、必ず神社の話になるだろう。

公園に行くのは怖い。神さまのいる場所に入ったことを知られたくない。けれど友達と遊ばなければ「どうしたの?」と母に訊かれてしまう。言葉に出来ない彼女は公園に行くしかなかった。
── しらないひとが きたないところを なめるから いきたくない
隣で御神輿がキラキラ光っていた。彼女は誰にも見つからないよう声を殺して、この恐ろしい時間が過ぎるのを待った。神さまが見てる。静かに。

ある日その小さな神社は近所の大人たちで大騒ぎになっていた。
" いつもと違うこと " をされた彼女が痛みで号泣したために「友達のお父さん」は捕まった。母親に抱かれて連れ出された彼女の脚には一筋の血が垂れていて、彼女は「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返した。

── 彼女がぼんやりとした記憶を抱え自分の身に起こったことを知ったのは14歳の時だった。友達の家で読んでいた雑誌には「How to SEX」の見出しと「彼に愛されるカラダの作り方」という小見出しが、いかにも可愛らしく装飾されたフォントで並んでいた。

吐き気が止まらなかった。色々な構図で描かれたイラストと解説を読んでついに彼女は限界に達し、トイレへと駆け込んだ。何度も嘔吐きながら胃の中を空っぽにしてもなお吐き気は止まらなかった。いっそ内臓を総て吐き出してしまいたい。彼女は7歳の自分に打ちのめされた。無垢で無知な自分に。

一瞬で自分の総てが汚れた気がした。昨日までの自分には戻れない気がした。愛し合うふたりがすることを自分は顔も思い出せない見知らぬ他人に許してしまったのだ。どうして?どうして ──

彼女は7歳の自分を責めながら、当時のことを知っているひとがそのことをすっかり忘れてくれていることを願った。自分ですらハッキリとは覚えていないのだから、周りはきっと覚えてなんかいないだろう。わたしは神さまのいる場所に進んで入ったわけじゃない。大人に大丈夫と言われたから入っただけだもの。わたしは悪くない。悪いことなんてしてない。

わたしは、悪くない ──

15歳になった彼女は一足先に高校生になった " 友達 " の家で勉強を教わっていた。数学が苦手だった彼女は友達のアドバイスを聞きながら問題を解いていた。その時、彼女は友達に押し倒され余りにも不器用なキスをされた。
「…ちょっと待って」
「どうして?こうなるって少しくらい想像してたでしょ?」
「友達、なんだよね?」
「そうだけど、もう友達じゃないから」
「どういう意味?わたしのことが好きなの?」
「うん」
「本当に?」
「好きだよ」
「わたし、いま生理中だから」

そんなことはどうでもいいといったように、彼は彼女の下着を脱がそうとした。血が付くからやめて、わたしのことが好きならまた今度にしようよと言っても彼は止まらなかった。強引に下着をむしり取り、いきなり彼女の中へ入ろうとする。お願い、待って、やめて。

何処をどうやって帰って来たのか覚えていないくらい、その日彼女は疲弊し切っていた。友達じゃないってどういうこと?付き合うってこと?でも付き合うってこういうこと?悩みながら数日を過ごした彼女は自分宛の手紙に気付いた。青い封筒を開き、便箋に目を走らせる。

── 僕には好きなひとがいます。本当に申し訳ありませんでした。
あの日のことは忘れてください。きみは汚れてなんかいません。

便箋3枚にビッシリと書き綴られた言い訳と謝罪は単なる自己保身の塊に過ぎなかった。彼女は怒りと、悲しみと、恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだった。好きだって言ってくれたから、わたし、その気になってたのだろうか。あの日のことは忘れてください?きみは汚れてなんかいません?どうしてそんなことを言われなくちゃいけないの?もっともっと激しく抵抗すればよかったの?そうすれば、わたし ──

「いまさら汚れやしないよ」彼女の頭の中で声が響く。
「おまえは神さまの前で男を誘惑したじゃないか」
「してない!」
「その手紙にも書いてあるだろう?おまえに誘惑されたって」
「してない!わたしじゃない!」
「おまえが誘惑したんだよ」
「違う!そんなことしてない!」
「おまえが、自分の意思で、したことだよ」
「違う……」
「おまえは憐れな子でも可哀想な子でもない」
「わたしは…」
「おまえは汚れちゃいない。だって自分の意思だったんだから」

彼女は自問自答を終えた。

高校生になった彼女は年上の友達と一緒に毎週車でナンパ待ちに出掛けた。路肩に車を停めているとその横で車が止まり声を掛けられる。こちらは女ふたり、相手は男ふたり。気が合えばそれぞれひとりが車を乗り換えて別行動を取る。彼女に貞操観念はなかった。相手が誰であろうと、何処であろうと、求められれば脚を開く。

それが彼女の選択なのだ。求められることにしあわせを見出し、無知だったことも騙されたことも自分でそうすることを選んだのだ、と思うことで憐れな自分を相殺して行った。

大学に入っても彼女の貞操観念は麻痺したままで、クラブでホステスのバイトをしながら、同伴してくれた上客に身体を差し出した。相手が求めてくれる、喜んでくれる、そして褒めてくれる。こうしていれば悲しい思いも憐れな思いもしなくて済む。彼女の選択は正しくて、間違っていた。

ある日彼女は寝付きが悪いことに気付く。それから食欲がなくごはんが食べられなくなって行った。集中力が続かなくなり、本を読むことが出来なくなり、仕舞には言葉が出て来なくなった。話そうと思うのに頭の中がぼやけて何を声にすればいいのかがわからない。いままで出来ていたことがどんどん出来なくなって行く絶望感に彼女は泣くことさえ出来なくなっていた。

精神科のカウンセリングルームは机と椅子以外余計なものは何もなかった。壁には時計が掛かっていたが、彼女にとってはどうでもいいことだった。カウンセラーが彼女に睡眠や食欲など生活についての話を訊く。彼女は下を向いたままやはり何を声にすればいいのかわからない。
「思い出せることだけでいいのでこどもの頃の話を聞かせてください」
ぼんやりした頭の中でカウンセラーの言葉を繰り返した。

── 思い出せることだけでいいのでこどもの頃の話を聞かせてください

ゆらりと彼女は立ち上がり、カウンセラーが制止する間もなくいままで座っていた椅子を壁に投げ付けた。

── 思い出せることだけでいいので

部屋に飛び込んで来た看護師たちが彼女の腕を掴み、背中を撫でながら「大丈夫よ、落ち着いて」と声を掛ける。彼女は床に座り込み声にならない声をあげて白く冷たい床をその両手で叩いた。

── こどもの頃の話を聞かせてください

わたしは神さまのいる場所に進んで入ったわけじゃない。大人に大丈夫と言われたから入っただけだもの。わたしは悪くない。悪いことなんてしてない。


彼女はいまも、大量の睡眠導入剤と大量の抗不安薬と向精神薬を飲みながら通院を続けている。

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