VRの本質は「新しい自由の獲得」なのではないか

VRに関わるようになって大分経つし、そもそも自分がVRに関わるきっかけはよく言えばノリと勢い、悪く言えば周りの空気に流された結果としてでしかなかったので、昨年のどこかの時期で、一旦立ち止まって考えてみたことがある。

なぜ自分はVRが好きなのか?
VRじゃないとできない、VRの本質的価値は何なのか?

そこで、自分の中で出た結論は、
VRは、人間が『見たいものを見、感じたいものを感じられる』新しい自由を獲得するための方法だからである
ということになった。
こう書くと、「なにそれ?自分の好きなものだけ見て嫌いなものを排除して、閉塞的に生きるってこと? 」と思われるかもしれないが、そうではないということを解説してみたい。

目次
1. TiltBrushに見る「新しい自由」
2. バーチャルYoutuberの台頭とVRChat
3. VRの世界には「まだ」自由が少ない

TiltBrushに見る「新しい自由」

この考えに至った理由としては、Tilt Brushの体験を自分なりに噛み砕いてみたところが大きい。
TiltBrushというのはこういうツール。

このTiltBrush、基本的にアートを描くということしかできないが、最初に1本線を描いた時の感動は、豪華に派手に演出されたVRムービーやVRゲームに匹敵するものがある。
これはどういうことだろう?と考えてみたところ、

そもそも「自分が手を置いたところにどこでも線を描ける」ということを
現実世界において体験できる場所はどこにもない、このVR空間のTiltBrushというツールでしか体験できない

ということに気づいた。

これはどういうことかと言うと、例えば人間が絵を描こうとしていて、キャンバスが遠くにあって手が届かない場合を想定してみる。

この場合、基本的に重力と物理に逆らうことができないため、

・人間が対象に合わせて動く

あるいは、

・対象を超頑張って制御する

ということをしないと絵を描くことができない。


これはデジタルデバイスでも基本的に同じで、
全ての人間の歴史はこのルールをもとに作らている。

しかし、VRはそのルールを覆すことができる。

・人間が合わせるのではなく、対象物の方が人間に合わせる

ということが可能になるのである。

キャンバスに手が届かない時、リアルであれば人間がキャンバスの方に歩いたり寄ったりしなければいけないが、VRであればキャンバスの方から寄ってきてもらうことができる。

これは、何も絵を描くことだけに限らない。文字の入力、家具のレイアウト、UI全てを「人の方に合わせる」ということをベースに構築することができるはずである。

これは、VRゴーグルしかなかったOculus DK2までの時代では思い至らなかった考えだ。
Oculus CV1、VIVEが出てきて、ハンドコントローラーやルームスケールVRが当たり前の時代になることで、VRがただの「視覚表現」ではなく、「身体感覚体験」をもたらすものになり、初めてこのように考えることができた。

人間は、VRの世界では全ての物理法則から解放され、新しい自由を得ることができる。それこそがVRの本質的価値であり、作るべき体験なのではないか・・

さて、ここまで考えたはいいものの、正直自分の中で「はたして本当にそうか?」「それは人々が本当に求めているのか?」というところに疑問、躊躇があった。なぜなら、

・現在のVRコンテンツの多くは、「ユーザーが自由にコントロールする」よりも「制限された中での圧倒的視覚体験」といった向きが強い
・VRデバイスは脱着の大変さもあり、そういった細やかな使い勝手まであんまり掘られてない(数分の体験で終わるケースが現在はメジャー)
・時期尚早なんじゃない?

・費用対効果薄いんじゃない?

という現実や疑問があり、頑張って「自由を得られるようなVR体験」を作っても意味ないんじゃないかな・・と思っていた。
しかし、その考えを打ち砕くような出来事が意外な方向から出現した。


バーチャルYoutuberの台頭とVRChat

2017年末、バーチャルYoutuberがブレイクした。
正直、そうなるとは全然思っていなかった。キズナアイちゃんのYoutuberとしての実力は確かなもので、デビュー以来ほぼずっと追っかけてはいたし、実際人気もずっと上がり続けていて夏のコミケでは有名なコスプレイヤーが採用していたりと、大分メジャーになってきてはいた。

ブレイクのきっかけとなったのは、十中八九「バーチャルのじゃロリ狐娘Youtuberおじさん」。彼(彼女?)が有名なライター「にゃるら」氏にセンセーショナルに取り上げられたことで、ネット中にその話題が駆け巡った。

そして、相乗効果的にその他のバーチャルYoutuberも話題に出るようになり、「バーチャルYoutuber四天王」と箱推しされるような形で大ブレイク。
ミライアカリちゃんの年末生放送を見ていたが、2017年中に登録者数1万人行けばいいな・・という目標設定だったのが12月に入って一気に10万人まで行ったそうな。

それはそうとして、これだけバーチャルYoutuberで有名になれるということがわかると、自分もやってみたい!と思う人も出てくるのが世の常。
特に、のじゃおじさんに至ってはコンビニバイトからのスタートである。
頑張ってスキルを上げれば、バーチャルYoutuberとしてデビューすることも不可能ではない・・という現代のシンデレラ的奇跡を見せられてしまった以上、個人としてチャレンジしたい人もたくさんいるだろう。

そんなのじゃおじさんが激推ししてやまないのが「VRChat」。
このVRChatというサービスは、自作したモデルを自分のアバターとして使い、他のユーザーとコミュニケーションすることができるVRサービスである。

つまり、「なりたい姿になる」という願望を叶えてくれるサービスだ。

アバターを自作するというなかなかのハードルがあるものの、
このサービスを利用することで、ユーザーは現実では得られなかった「なりたい姿になる自由」を獲得する。
さらに、VRChatのヘビーユーザーは5時間とか6時間とかの長い間、VRChatの世界に入り浸っているらしい。

そう、前述した「自由を得られるようなVR体験」が人を虜にしているケースが、私の当初の予想としては違う形とは言え、ここにあったのである。(ただし、現状では男性ばかりが入り浸り、女性に対して異常に手厳しい初期の2ちゃんねるのような状態になっているという話も聞く。まだまだ未熟なサービスであることも事実だ)

自分の仮説が大筋は間違っていなさそうな気がしてきた。

また、バーチャルYoutuberそのものはVRに直接関係ないように見えて、実は親和性が高い。

まず、個人でバーチャルYoutuberを始めようと思った場合、フルボディトラッキングをする方法の選択肢のひとつに
・HTC VIVE+Tracker + VRIKを用いる
という方法がある。
この方法はトラッキングの精度や指が取得できない問題はあるものの、個人でできるトラッキング方法の中では一番安価で安定していると言えるだろう。

さらに、バーチャルYoutuber自身は「VR空間で会えること」を1つの売りにする傾向がある。
ミライアカリちゃんはVRChatに突撃していたり、シロイルカちゃんは独自のVR中継システムを用いて、生中継中にVR観客として参加できたりする。

バーチャルYoutuberが、単純にVRの普及を後押ししてもいるのである。

このような感じで、VRは人間に自由を解放するものであり、現実の不自由さ、不便さを感じている人はその可能性を見出している。
のみならず、実際に自由を獲得しに来ている・・
ということがVRChatユーザー達に起きており、
その沼への入り口としてVTuberブームが作用しそうだ・・という空気を感じたのであった。

VRの世界には「まだ」自由が少ない

VRの世界は本来「全て、体験している人間の身体感覚に最適化できる」
言い方を変えると「見やすいように見せて、感じやすいように感じさせる」
もっと言うと、「見たいものを見て、感じたいものを感じる」
ということができるはずである。

しかし、現状はコスト問題や技術的制約もあり、「見えない自分の姿」「眼の前にあるのに触れない物体」「生き物のような形をしているのに決まった動きしかしない人形」といった状況に溢れている。自由とは程遠いがんじがらめの状況だ。

この状況を改善し、現実ではできない自由な感覚をVRにもたらす。
ということを、自分のコンセプトにしていこうかなと考えている。


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原 真人

#デザイン 記事まとめ

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コメント2件

>Oculus CV1、VIVEが出てきて、ハンドコントローラーやルームスケールVRが当たり前の時代になることで、VRがただの「視覚表現」ではなく、「身体感覚体験」をもたらすものになり、初めてこのように考えることができた。

まさにおっしゃる通りですね
「対象物の方が人間に合わせる」という表現に納得しました。

仮想現実だからこそ、全ては作られたものである。人間が一から、というよりゼロからデザインしたオブジェクトが、人間の求める通りに存在するというのは道理です。

この特性により、求める環境で、求める体験ができる魅力が生まれるわけですね。

反面、人がデザインしたことに由来する自由であるために、デザインが追いついていない部分には無力(触れない物体や同じ動きを繰り返すだけの人形など)という事実もある。
VRの自由と不自由を見たような気がします。

とはいえ、「デザインさえ進めば無限の可能性を発揮できる」事実の方が重要そう。
これからの発展に期待したいですね。
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