食べること
最近・・・いやもうずっと前からだったが改めてわかった。
食べることも本当は興味ない。
そりゃあ食べないと死ぬので食べるんだけど正確には愛情込めて作った料理や、好きな人と一緒にいてこそ食べられるといった方がいいか。
土日は色々食べるけど一人だったら絶対行くことはしなかった。
もし一人で生きていたら体型はガリガリなままだったと思う。
食べれたら何でもいいというか。
旅をしに行ってそれが強く印象に残った。自分一人で「何か食べたい」「はしごしたい」とかそんな考え持てなかったのだ。腹が空いたから探して入る・・・みたいな。
味なんて、味付けがいいってだけでその店に愛着がなかったら通うこともない。そしてその店のことを忘れる。
そういう人間だ。
美味しいものを食べるというのは人と一緒にいてこそなのだ。
(料理にエネルギー注げるタイプって目に見えないだけでいるんですが、そういう人が作ったものを食べたい)
一人で食べることはそりゃあある。生理前の食欲が増した時とか小腹が空いた時とか。
ただ栄養面はそこまで考えない。
惰性で自分一人で、自分を何とかするって意識が動こうとしないのだ。
以前の私は惰性と、心の飢えを感じながら生きていた。心の飢えを満たすには物質的なもので満たすという考えが強く、(他どう満たすか知らなかったから)
外見なら細くいたい=夜ご飯は食べない
人間関係=自分を楽しませてくれる人を求めてる
など自分の中の定義が今と比べてガチガチに縛られていた。(他人軸だよね)
だからそんな気持ちを無視する人と接したら無性に怒りを感じていたり、自分はここまで頑張ってるのに何でそう無下にするようなことをされなきゃならないのかと憤りのない日々を過ごしていた。きっとその人たちは心配で言ったんだと思う。していたら申し訳ない。
要は寂しさを感じながら生きていた。
ーーーしかし今はそれは薄れていって、残ったのはこの状態で一人過ごすようになっても・・・・
ああ、私自分のこと関心ない生き方をするんだなと気づいたのである。
つまり、私は私の為に生きるのは向いてなく
誰かの為に生きて、そのおかげで自分中心に生きれてるのだと。
添加物なしの生き方しても、心が嬉しさを求めてるならいいのだが私の場合はどうだ?多分そこに興味を抱かない限り意味がないと思われる。
誰かの為に生きてるから、食べているということ。その間は栄養面は気にするけど。
ちょっと意味がわからない内容だが、こういう人間もいるってことで。
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