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【躁鬱からもらったもの】#3 軽躁での万能感

私の生涯はドラマチックに決まっている!

「低め・安定」が推奨されている、この双極性障害ですが
一度躁を経験すると低め・安定の生活が
この世の終わりのようにつまらなくなりました。
それこそ
「自分は何のために生きてるんだっけ?」
「自分はこんなことしていていい人間じゃない」
「こんな粛々と過ごす生活なんて何が面白いの?」
躁で自分がとんでもない存在だと思っているので、余計に落差を感じます。

私は休職・躁状態の時、前職のブライダル系の経験を利用して
割とガチめに休職中にビジネス本をだそうとしていました。
スケッチブックいっぱいのマインドマップをつけて
出版社の一覧、自費出版の費用計算とカバー写真の撮影…
(ちなみに『男性脳で考える結婚式という儀式』というタイトルでした笑)
私の中で「休職で休んでる自分」が許せなくって
「なにかをやるため準備期間の私」じゃなきゃいけないという強迫観念が常について回りました。
かの本についてはカウンセラーの人に1時間近く熱弁を繰り広げ、
見事お医者さんから注意を受けました。

それまでに成功しているんだから
私の生活はこんなぬるま湯であるべきではない!
今でもこの考えがちらちら浮かぶことがあります。

「味気ないと思ってもそれが現実なんだよ」

これを病院で言われてからショックで1ヶ月はピリピリしてました。
今までの人格を全否定されている気がして拒否反応がおこりました。
あんなに調子よかったのに!こんななめくじみたいな生活が普通なんて!
しかもこのダウナーが「いい状態」だなんて意味がわからない!
ちょうどこの頃混合状態がひどかったみたいで
「私の存在価値ってなんだ?」
「社会的に役に立てることがないんであれば、私は無意味!」
「世の中に迷惑をかけ続ける存在ならば消えた方がいい」
というのが頭を支配していて、しばしば希死念慮に襲われることも。
どこの本にも書いてありますが、
激鬱状態から回復状態に戻るまでの混合状態が一番厄介ですね。
体力は戻ってきていて、アクティブなダウナーという…
一番面倒が見づらい時期です。

この「味気ない現実」は個人的にいまだ腹落ちしておらず
ふとした時に「今の私は本当の私じゃない」と掠めることもしばしば。
これが寛解していない正体でもあるんですけどね。

次回はほやほやの社会人になった頃のことをご紹介できればと思います。


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