ニュースキャスターとメディアの崩壊



(注)

2022/11/26 に youtube 上にUL された
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【宮台真司のタワマン幸福論】タワマンに住んでも幸せになれない/スローフードの真実/ 良い共同体と悪い共同体/ 地方移住の心理/人類は
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に関する以降の一連の投稿,かなり前にほとんど書いていたが,老老介護でダウンし入院していたので,発信は今頃の間抜けなタイミングとなってしまった.

■ 洗脳マシンの軟化症


昔の記憶.占領時GHQ文書だったかに書いてある日本脳軟化改造政策.

1. 原爆より強力
2. 嘘吐きマシンによる
3. 大衆洗脳・劣化・白痴化

2.つまりテレビ・メディアそれプラス,スポーツとセックスだったか….その使命・機能は⒊で,その破壊力は1.

どんな鈍感な人でもここ5年くらいの日本を見れば,そうだ‼️と感じるしかないでしょう.

そしてその行き着く先が見えた光景の一つが上記の youtube 番組.つまり大衆洗脳マシンが一線を越えて,マシン本体が脳崩壊,の舞台裏が透けて見えた.つまり固いと思われていた情報・ニュース番組のワイドショー化,次には頭脳部分(スタッフ)の軟化症化へと進み,その全面前面公開現象.上記の番組がその典型.

■ 宮台光線の効用


宮台・安藤2人ともダメとか嫌いとか,いや◯⚫️とか色々多様な異見はあるでしょう.が,どちらにしろ一つ客観的に明白になっていること.

大衆洗脳マシンが 暴走・崩壊,の舞台裏が透けて見えてきた.

宮台が太陽の光か月の光に見える,それに照らされてしまって曝け出してしまった安藤,それを通して見えたメディア・テレビ業界の,とんでもないレベルの低さあるいは劣化,崩壊の様.

分かりきったことを書くのは阿保だと言われる方もいることは知りつつ,せっかく時間を費やしたので呟き.

先ずは安藤発言部分をここに集める.


「■ 反・家族第一主義(反知性的構図)」以下,
最初に元発言,空行を挟んだ「→」の下がコメント

但し後半の
「■ こういったところか」
「■ システムと女性差別」
「■ 視角の違い」
は,全体がコメント.

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何故,安藤評など書かなければならないのか,とも思うが,始めた以上生姜無い.最初に言って置く.この部分解りきってるとか鬱陶しいと思う人は読まないことをお薦めする.

あれはあの年で勝手で邪魔な女の子レベルだ(耄碌何とか爺よりマシと思う人はいるかも知れない).それを,この番組でツートップに呼んできたプロデューサーのセンスには呆れる.あるいは婆さんの営業に押し捲られたのか,それとも深謀遠慮の策で,オバサンを珍味として試食セール,その後三行半か.いずれにしても視聴者を舐めとる.

■ 反・家族第一主義(反知性的構図)


反・家族第一主義(安藤)
> 家族として集まるのがめんどくさかった
> 家族主義・家族と言うものが問い直されている



昔のセンスで言えば家族は実上崩壊つまり無い,従って家族主義も反家族主義も意味無し.従ってこの話はお伽噺.

そもそも誰に向かって話をしているのか? こんな幼稚でしかない,勝手なお伽噺,誰が聞いてくれるのだろう.同年輩はもちろん親の世代でも聞いてもらえない可能性が高かろう.ましてや若い世代には.

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> 家族主義・家族と言うものが問い直されている



「問い直され」ていたのは何時の時代のことか?

「家族主義・家族と言うものが問い直されている」のではなく,時代はその先の先に行っている.現代社会に生きていれば誰でも知っている.

安藤は近代化の及ばなかった秘境の出身か? 部落あるいは一家に一台の固定電話を威厳のある家父長が支配していた時代にそういう家庭で育ったのか? ポケベルも無かったのか?

仮にそうだとしても,随分前からケータイは過ぎてスマホの時代である.仮に支配的父親による壁などあっても,電波によってすり抜けられて外部と直結.家族の絆などスカスカである.


> 家族として集まるのがめんどくさかった



世間一般では随分前から,「家族・親族として集まる」のは精々冠婚葬祭だけの形式的なものになっていたろう.そしてそれに対して,勝手で幼稚な子供にとっては「めんどくさかった」であろう.しかしそれを家族第一主義とは言わないし,分別のある者は大人になって後まで「面倒くさい」とは言わない.

今や,本来集まる必要のある親の介護の時には逃げる(安藤はどの程度か知らないが分担したそうだが,その内容は恵まれた選民だろう),家族として集まるのは今やナケナシの遺産相続として揉めるときくらいだろう.従って家族は崩壊していると言うべき.そういう時代に反・家族第一主義とは何の意味があろうか.反重力世界のお伽噺か.

■ 安藤の言葉世界の先


では,安藤の
> 「反・家族第一主義」
とは何を意味するのか?

ツートップの1人として元ニュースキャスター安藤優子が組み合わされ,しかもその頭の中がこのような言葉として吐かれる .

唐突に今回のYoutube ,冒頭「反・家族第一主義」から始まるのだが,テーマのバックが共同体なので家族の話もあってもおかしくはない.しかし,安藤の,反・家族第一主義はお伽噺であるだけでなく,個人的反感というか,あっさり言えば,イヤだイヤだ自分勝手にしたいレベルのもの(小泉劇場・自民党をぶっ潰すの裏口線香花火版).

安藤も現代人も家族主義世界や逆に反・家族第一主義にも縁が無く,安藤の夢想のなかにあるだけだろう.しかしなぜこの言葉が出てくる?

その実態は,おそらく本人が拾われ重用された,特異なTV業界世界にあるのだろう.周りの気に要らない部分を家族主義的? 女性差別的?妬みだとし,不在者攻撃することにしたのか? 

共同体・家族には事実上縁の無い現代人の代表として,インテリの末端インテリア擬きの者が余計なお喋りを始め,場を濁した,といったところか.

■ タワマン住人の挨拶ストレス


> 何故挨拶しちゃいけないんですか?



家族とのたまの集まりは面倒くさがったくせに,タワマン住民の赤の他人との無意味な挨拶は欲しい? それが共同体主義的社会的な存在証明?

一般に近代社会では儀礼的無関心,つまり,特に付き合いも無い間柄ではむやみに他人を凝視する失礼を避けるために,無関心を装う.時代が進むとこういうことが増える.社会学者? という肩書の安藤はそれすら知らないのだろうか?

■ こういったところか


50年前
家族とのたまの集まりは面倒くさい
(家族・親族か否かに限らず)子供モードで,全般的に一緒にいること・出会うことがストレス

30年前 ~
(挨拶するか否かを問わず)お仕事モードで他者を瞬殺,その場その場で選別包装ゴミ・パッケージとして処理

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このように安藤の周りを含む精神世界は進展したのかもしれない.にもかかわらず,タワマン住人に「何故挨拶しちゃいけないんですか? 」とはナニゴト.反動か.

要するに,ドアの外は(タワマン屋内の通路であっても),街なかの歩行者用通路と同様なんだから,挨拶無用は当たり前になってる.その文脈の中で敢えてするのはむしろ不審者の誤魔化し.

しないのを不思議に思うのがどうかしてる.

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もう一つの可能性.職場の周りの同僚と違って異分子としての編入だろうから,貧しい反動的なコミュニケーション・スタイルしか作れなかったのかも.

そんなものを外でやられたらビックリ番組か.その反動も同様.

■ 視角の違い


宮台の見透している,独立した個人ではなくトンマな者が蠢く,近代システム論世界を議論対象とする番組の中では,勝手でトンマですら無い,見る眼ノ無い変態個人主義者安藤の放言は酔っ払い運転で切符を切られるのが普通.

安藤の,非難対象先が幽霊の可能性の高い,反抗心アピールや勘違いの観念だけのお喋り・いやお伽噺,それは場違いというもの.

■ システムと女性差別


なお,宮台が多用する,システム(のクズという存在)は,安藤の言う家族第一主義(とそれへの反発)という構図とは異なる.

後者は好意的に想像すれば,おそらく人事抜擢に納得がいかない者による単なる妬みを受け,それに対抗して空中に浴びかせたピント外れの言葉であろう.

「抜擢登用されました.妬みが続き嫌でした.」といえば済むものを,難しい漢字を知ってることを啓かしたい欲望に負けたのであろうか.


社会の中でも底流として家族第一の中の女性の立ち位置という古い常識に基づく女性差別が残る日本の中で(安藤は差別され無かった方ではなかろうか),如何に頑張ってきたかというスタイルの余波が唐突に,冒頭に来る.

今の時点で言えば,組織の幹部クラスの割合に現れる女性差別という点で日本は異常であり,それを支えているものには彼女の嫌う古い常識もあるかもしれない.

しかし,そう言いたいなら,私的サークル内の放言以外なら,例えばまず第一に,「組織の幹部クラスの割合に現れる女性」割合に加えて,その組織の正社員中の女性の割合を分母に加える程度のデータは揃えるべきだろう.

次に,そもそも安藤はそういう圧力下で登用されず埋もれたわけではない,のだろう.そうだとすれば,浮かんでいたアブクをアホな上司の思い付きでエッジとして登用されアク抜きとして許されたか.多様性の時代なので,1つのエッジとして存在はありだとおもったのか.

さらに,ここでの主要なポイントだが,安藤の言う家族第一主義と女性差別なるものはどういうものでいつまであったのか? 安藤の周りつまりテレビ業界には家族第一主義と女性差別は,ニュースキャスターとして先輩男性陣の中にあったのか? (根強く頑強なものがあったのか? もしそうなら安藤は何故高校留学・帰国後TV界で抜擢されたのか?

周りが,家族第一主義と女性差別にしろ別のシステムにしろそこのクズだとしたら,そこからどのように決別・自立し良い共同体を新しく切り開いたのか? むしろこの論点の方が今回のテーマに近い.しかし,そういう問題意識は見え無い.

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そして,ここではキャスター仕事の裃を脱いでいるので地が出た,感情的な軽いお喋りに過ぎない,としか見えない.そして自分がおそらく何の関心も無いテーマについて粗雑な論点を追加させるというゴミ.それを,知性が必要とされる番組に出させるのは日本の劣化の例示にすぎないようにおもう.


p.s.


そして,もっとレベルの高い女性が多数いると思うが(社会的地位の高い人も,そうでないが現場で当たり前の仕事をしている人でも),プロデューサーはどうしてそういう人を探して登用しないのだろう.そうしたら,感情的なお喋りではなく,テーマに沿ったツートップにした意味のある対談になったろう.

この人選は宮台に対しても失礼だとおもう.レベルが違いすぎる.

なお,画面に出てくる若い司会者は,いかにも数代続く慶応バツぼーいポイ.しかも今だにハイカラムード.古い.これなら安藤のお喋りと似合いかもしれない.別番組にすべき.

また,穿った見方をすれば,番組制作者は安藤のミーハーぶりを炙り出して晒し者にするために,優秀な宮台とツートップの対談者にわざわざした,ということも考えられないわけではない.で,にもかかわらず,宮台真司との組み合わせ対談が何故か弾んでいるようで珍妙.

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