非常識人が生息するところ。社会の3つの姿

この記事は「世界と社会の実像を見るには。真実と真理を獲得するするための5つの方法のどれがいいか。」https://note.com/y1117259k/n/nd29fc6d1ad86に続く連続もの。


これから人々や、さしずめこれを読むあなたが、目が開いているけど実は社会は見えていないということを論証したいと思います。そうしてあなたの非常識を論証したいと思います。



社会とはどこにあるか?

私だけが「社会はどこにあるか」と言ってるわけではなく、パラレルワールドや異次元論などもあるのですから。
参考 https://www.youtube.com/watch?v=7wxn_sX1JlA


社会の3つの姿

世界の人々、さらに日本国民のほとんどの方は誤解しています。

それは社会と呼ばれるモノそのものと、それに対しての考え方や意識についてのことです。

普通一般に、社会と呼ばれるものは、おおよそ三つの姿があるといえます。

一つは、私たち個人が一日で移動したり、その中で経験したりする時間と空間の出来事を、まとめてシャカイ社会と呼ぶ場合がそれにあたります。

だから全ての人が毎日直接経験している家庭と学校や会社の行き帰りだとか、勉強や仕事をやってる時空とかのことで、その全体として社会と呼んだりするもののことです。


もう一つの社会は、つまり2番目は、

新聞記事やテレビなどが示す社会の出来事を、社会と呼んでいる場合があります。
(まだ新聞記事やテレビなど無い時代は、友人知人の話合いのなかで知る人々の噂や社会の姿のことになります。
それを「市場のイドラ」という言う場合もあります。

いまではマスコミがそれにあたり、マスコミも様々な記事で社会なるもの全体の姿を示そうとしているものです。

次に社会とよんでいるものの姿には、社会科学が示してる学問としての社会の姿があります。
社会の政治現象は政治学が、経済現象は経済学が、法律学、教育学、経営学、家庭家政学なとなどがあります。

この学問で示される社会は、2で上げた新聞が取って代われませんし、反対にこの3の社会科学が新聞にとって代わることもできません。
それぞれが独自に示す別な「社会」の姿となっているのです。


さて私たち各個人が言う社会とは、それら三つのうちどれをもって社会と呼んでいるのでしょうか。

あなたはどれを持って社会と言っているのでしょう。

日々経験している日常の時空を指して社会と言っているのか、それとも新聞紙やTV上に示される社会を社会と呼んでいるのでしょうか、

あるいは社会科学全般の知識を持って、社会と言っているのでしょうか、
果たしてどれを指し示して社会と呼んでいるのでしょう。

だから実際には、多くの人々が社会といってるものは、おおよそその三つの社会の姿を、各自勝手に自分の理解力と知識能力に合わせて頭の中で混ぜ合わせた意味で、一応「社会」と呼んでいるものといえるでしょう。

もしそうだとしたら、私たちが社会と呼んでいるものは、全ての人が共通認識にした社会のことだとは言い難く、夫々が自分勝手にイメージする主観的な、そうして自分の知識能力勝手に決めつけている「社会」という像だということになるでしょう。

日本国民の誰もが意識している共通認識の社会だとは言えないものですから、社会なるものは実は虚像なのです。

そうして、そもそも社会と呼んでいる実態はどこにあるといえるのでしょうか。

貴方や多くの人は「実際に目の前にある時空のことだ」というでしょう。
そうです1番目に話した社会のことです。

ほとんどのみなさんが本心でそう思っているのですから、自分の個人的生活圏は社会の一部ということはできるけど、社会そのものではではないよね、と気付いていただけると時代は一歩前進するのですが、いかがでしょうか。

目の前で実体験したことこそ社会実態で本物の姿だとしたら、2番の新聞社会と3番学問社会は偽物か、付け足しになるものか、本物実態ではないことになります。

そこで私がいつも言うように「新聞は嘘を書いている」とキッパリ言うべきでしょう。
学術書や新聞などで「学者知識人は嘘つくな」とハッキリ言うべきでしょう。

今、貴方や多くの人は「社会はある、実際に目の前にある時空のことだ」といったばかりですから、それ以外の目の前でにはない、新聞や社会科学は嘘の社会ということになります。

それでは支離滅裂でまずいから、123全部本物だとしたなら、私達は23は文字や映像や音声で「知っている」つもりになっているもので、1以外は自分の目で見たり、触ったりして五感で確認したものではなく、不確かなものとなります。これを五感に対して第六感などといい、意識や思考力で感知しているもののこととなるでしょう。

しかし2つの不確かなモノが本物(さっき3つを足して本物社会だということにしましたが)で、1、の個人の目の前なあるモノの本物性は、1つだけで他の2つ本物性が2個もあるのだが、1の社会の不確実性(本物性ではなく)は2つもあるということになります。相対比として本物性が1対2で、1は本物性は数で負けて偽物性が強いということになります。

ともかく、つまり社会とは良く分からないモノだということが正解だということです。

このよく分からないのだ、よく分かっていないのだ、という正解を知っておくことは大変大切なことになります。

ところがこの正解等を多くの人は常識的理解だと思っているでしょうか?

それとも誰でもが社会とは何か、知ってるのが常識だと思っているでしょうか?

その自分の常識と非常識を疑ってもらいたいと思うのです。

ほとんどの人は3つを混ぜた意味で社会と言ってましたが、より実態的には新聞マスメディアが示したものを社会だと思いこみ、マスコミにより固定化され洗脳された状態になっているのではないでしょうか?。

新聞以外の情報を信じずに、つまりマスメデイア情報の範囲でエビデンスがどったらこったら、フェイクがどうのこうの、と言うぐあいに優先順位や信頼順位が高いのではないでしょうか。


ここまでくると非常識だという言葉以外に、マスコミ偏重になってしまい知ったつもりに陥っていて、「錯誤(もしくは倒錯)している」ともいえるのではないでしょうか。


そうこれで、これまでの説明を理解してナルホドと認めたあなたはもういいのですが、あなた以外の世界中の人々は、目は開いてるのですがモノ(社会の実際と実態)は見えていないのです。

端的表現すれば、差別用語にもなりかねませんが、真理の言葉だからこそ決して無くしてはならない言葉として言えば、私達は「空き盲」なのです。
目が空いているのに事実実態実際は見えていないのです。

私が人間や皆さんを「愚か」「人間は生れながらに認識障害をもっているため、物事を正しく観られないのだ」と断定的、決めつけを言いますが、ですが私が正しいのであり、決めつけではありませんよね。

私は「かもしれない」とか「と考えられる」とか「と言えるのではないでしょうか」とか「そのような意見も有るようです」とか虚飾、美辞麗句、社交辞礼、綺麗事はいえません。
私がそう言えないことを理解いただき、私が断定的な言い方をしていたら、必ず読者の頭の中で「と言えるかもしれません」と訂正しておいて下さい。

こうしてグダグダした理屈を言うやつ(私)に惑わされて馬鹿なこと言わないで、「社会は実際目の前にあるじゃないか」ということになるのです。



第一回の開眼おめでとうございます。

わからない人はもう一度読んで、目を開いてください。

抜き差しならない人間と社会の問題で、これまで苦悩に陥ってる方はメッセージをください。

(なお実際は、社会の姿には4つ〜5つの面があります。そのことについては後日に説明と証明をしていきます。)


続く


2021,08,10補足。

質問があり解説を補足します。

上で人々の目が見えていないことを「社会」という言葉だけで証明しましたが、このnoteでも社会という言葉を使って話されている方はおおいでしょう。多くは嘘つきなのです。

そこで、多くの方の「社会なるもの」がいい加減なことを言ってることを納得していただき、さらにだからこそここでただ「社会」と言っている言葉の意味内容をよく考えていただき、社会とは何か、意識を広げてほしいのです。

例えば、社会には「政治」もあります。これも社会という言葉同様に皆さんの理解の意味内容がいい加減なもので「政治とは何か」の理解も説明もできないでしょうし、多くの方は新聞的意味に固定された「政治を」いってること(洗脳状態)になっています。

何しろ多くの方(99%の国民)は、政治の現場を目の当たり(日常体感)にはしていないのですから。

それどころか新聞政治記者でも、国会とその出来事全体を見渡して、体験的経験的に「目の前にあること」として知っている者は誰もいません。
専門担当が違い、政治部記者といえども国会全体わ政党全体を、同時的瞬間的に見られる者は皆無なのです。ありえません。
記者の皆さんが個人体験の個人生活時空を体験しているだけです。

ただ自分の目の前の事以外、他人の目の前で起きたことは、国会議員や総理大臣も官僚も、目の前の「政治」を政治だと思い込み錯覚しているだけで、本物の政治(社会)は誰一人も知らないのです。

そうして「グダグダ屁理屈をコイてないで、目の前のものに真剣に向き合え」ということになるでしょう。


こうしてマスコミが決めている「社会」や「政治」、あるいは「国」「日本」「人間」「その愛と愛情」など等、なるものの言葉すべての意味内容が不明で不確なことを、日本人皆が言っていること、知っているつもりになってること、そのようになります。

マスコミが作っている政治社会という意味内容の土俵の中で、人々が考え、語り合っているのですから、そのマスコミが定めた意識範囲に、知らず識らず押し止められ統制されているのです。
つまりマスコミに洗脳されているものなのです。

貴方の意識と中身はマスコミが創ったものであり、虚像虚言なのです。

ところが政治学(学問ということ)には、新聞情報は資料参考として置きながらも、それとは別に「政治学原論」というものがあり、そこで示された学問目的に向かって政治なるものを対象に研究しているのです。

これがないと今説明したように、世界中の個人(政治家、記者など)が言う意味内容不確かな「政治」で議論したり、各自勝手な「政治なるもの」を研究することになってしまいます。

これでは新聞の「政治」と同じになり学問としての政治学は成立しなくなります。

何百年議論しても各人勝手な意味で「政治」を言うのですから、本当の政治なるものの姿は見えなくなる一方になることでしょう。

とうとう現在の実際がそうあるよに、人々は政治学原論の基礎理解もなく、マスコミが紹介する政治学の権威の先生の勝手な意見を後生大事に信じて守ることになるわけです。

過去に「小選挙区制が妥当だろう」などとテレビで言った学者も、どこかの大学で素知らぬ顔で「政治学」を語っていることでしょう。

多くの学者知識人が、また一般的小利口が口を開けば新聞や週刊誌や月刊誌で言われている知識と論旨と同じことをいい、そこにある数字を数え上げたりして、自分の意見の正しさを論証して見せています。
(実証主義科学論とか科学主義とか言います)

ハッキリいいますと、政治学原論、経済学原論、法律学原論、教育学原論などなどの基礎知識がなければ、あるいは世界共通でどの歴史でも共通な基準器・ハカリ・物差しがなければ、社会や政治など物事は評価判断できないのです。

実際人々はそのような原理で目が見えていないのですから、対象不明な政治、日本の政治、政党、選挙などなどを語って、喜怒哀楽(悪政の結果としての国民の苦悩、たくさんの悲劇)を繰り返しているのです。

これでは、私のプロフイール写真の説明のように、子どもたちの命がいくら合ってもたりません。実際に人々は目が見えず社会も自分も見えずに、狂気の社会になってしまっているのです。

社会の中には、また社会という言葉の中には、教育、法律、経済、経営、医学、家庭家族、歴史、人間、人、人類、男女ジェンダー、自然、空、海、愛、正義など等が、一切合切が含有されています。この様な意味の「社会」という言葉に置き換えているのです。

私達はそれら全部知っているつもり、見えてるつもりになっているのです。

キット今日もどこかの結婚式場で『私たちは愛し合い、幸せな家庭を作っていきたいと思います。』とか言ってる訳です。

私達はそれら虚像の一切をまとめて、各自勝手に社会といってるのではないでしょか。

それら全部を語る訳にはいきません。
そこで哲学は「汝自身を知れ」といい「社会」という言葉に代表させ対置させているのです。

暗澹たる気持ちになった方は、安心してください、これからこのような問題の解答を検討して、それを縷縷話していきたいと思っています。


https://note.com/y1117259k/n/n1c23f4bc3676「化け物の名前を三度呼べ」も読んでいただけたら、より一層ご理解いただけると思います。

偶然にも、社会虚像がたくさん有ることを知らないで、事実や真実を真剣に探している方の実例を見つけたので紹介しますが、ここに紹介することに悪意はありませんので注意して下さい。

はっきりいいます、とこれを読んでる貴方と同じぐらい真剣に考え、考え違いしている実例ということです。

電網世界にも現実界にも、その実例がたくさんあり過ぎです。

【大事】信頼度の高い情報源は何?情報の良し悪しを判別する方法解説https://taromoteki.com/information-trust/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?